4月15日、セーヌの河岸で
1年前の今日、目の前でノートルダム大聖堂が焼け落ちた。
その前日の昼下がり、シャルル・ド・ゴール空港に降り立った私は、二ヵ月を予定していたヨーロッパ滞在に心を踊らせていた。空港からRERのB線でパリ市街へと移動し、宿の最寄りであるサン=ミッシェル=ノートルダム駅で下車した。地下からエレベーターで地上に上がって最初に視界に入ったのが、煙を上げるノートルダム大聖堂だった。
スーツケース二つを引きずりながらセーヌ川沿いを東に進む。燃え盛る大聖堂を左手に見ながら徐々に事態を把握していく。
宿に着いて一息つく間もなく、カメラ片手に外に出る。テロの可能性に怯えながらも、色々な角度から、至るところにレンズを向けてシャッターを切った。
土地の人々は、焼け落ちる寺院を前に、為すすべなく嘆き悲しみ、憤る。
観光客は、世界一美しい都の中心で、盛大に炎が舞い踊る光景に、偽りの哀しみを装いに、昂ぶり、イメージを複製し続ける。
一夜明けたパリは雨。哀しみに沈む。私もベッドに沈む。
いつもと変わらない街。日常。車はクラクションを鳴らして行き交い、人々は足早に通りを歩き去る。そこに、昨夜の感情はない。
氾濫したイメージを自らの網膜に結ぼうと、多くが岸辺にたむらう。そこに尖塔はなく、天使の影もなく、灰だけが舞う。
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