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令和6年能登半島地震の被災者という立場となった自分

本当はあけましておめでとうございますという元気な投稿をしようと思ってました。しかし、初めてこのような大地震を受けて被災者となった自分が少しまとめてみたいと思います。


令和6年能登半島地震について

今回の大きな地震について説明をすると今回の地震の震源地は石川県の先端の珠洲市付近が震源。地震の規模はM7.6の非常に大きな地震でした。この地震で石川県の志賀町で震度7を観測しました。自分の住んでいる中能登町は震度6弱でした。この記事を書いている1/12の時点で200人以上の人が亡くなっています。
また、輪島市の朝市通りでは大規模な火災が発生しました。

地震が発生した時の状況(1日目)

地震発生時、自分は石川県中能登町にあるアルプラザ鹿島にいました。1度目の緊急地震速報の時は少し揺れた程度(震度3)でした。その時の映像です。


この後は家に帰ろうとしてました。すると2回目の緊急地震速報がなり「またか…」と思っていた矢先に体感した事無い揺れが襲ってきました。震度6弱という揺れは実は生まれて2ヶ月後の2007年3月の能登半島地震でも経験していましたが当たり前ですが記憶にはありません。ほんとに立っていられない揺れで車も激しく揺れて凄く恐怖でした。その時の映像です。

これはやばい…と思い、家に電話したものの繋がらなかったので近くにある道の駅に移動しました。(避難所と分かっていたため)その際、怖がっている方がいたので「大丈夫ですよ」などと声をかけて向かいました。その判断は正しかったのかは分かりませんが…。

その後、親と連絡がつき、家は倒壊していないという事で家に向かいました。家に向かう道もヒビだらけで橋も隆起していました…。この際に石川県能登地方沿岸には大津波警報が発令され…もう何が何だか分からなかったです。

自転車に乗って帰ってる最中にもスマホからの緊急地震速報が鳴り止まずその度に自転車から降りて身構えるの繰り返しでした。
家に帰ると絶望的な光景でした。扉は外れ、食器も沢山割れ、収納も倒れ…訳分からない状態でした。

ほんとにかちゃかちゃでした…。

この日は人生初の車中泊をしました。家からある程度の食料を確保して近所の広場へ。まぁ…寝れる訳もなく…。ほぼ寝ずに1晩を過ごしました。

被害の全貌が明らかになる2日目

明るくなって家を見てみると亀裂だらけでした…。よく家は揺れに持ちこたえたものです…。

自分の部屋にも大きな亀裂が入っていました

この日はお正月で帰省していた輪島市の親戚とダメ元で輪島に向かってみる事にしました。結果から言うと行けたのは門前まででした。道が道じゃありませんでした…。

崖は崩れ…
意味のわからないほど隆起した道
協力しないと進めない…
更には崖に落ちている車まで…。

いつもは1時間〜2時間の間で行ける所を3時間…?ほどかけて行きました。被害の状況を目の当たりにして言葉が出なくなりました…。帰り道にゲンキーというドラッグストアによってまとめて買い出しをしてきました。店の中はカチャカチャな状態でしたが営業してくれていただけ感謝です。この時点で中能登町は水道だけが止まっていました。ここまでの断水も人生初。かな〜り不便でした。この日も車中泊をしました。気がついたのはシートヒーターが有能でした。シートヒーターを付けて体の上から毛布をすると凄く体が温まりました。

支援が本格化してきた3日目

この日は朝から雨が降っていました。そして多くの友達とも連絡がつき、生存確認をする事ができてすごく安心しました。この日もまだ物資が届かない状態でした。車中泊で減ったガソリンを入れにいつも使ってるガソスタへ行ってみると長蛇の列…。びっくりしましたね…。また初めて給水所に行ってきました。この日の夜には大雨が降ってきて不安な夜を過ごしました。

このこの日は自衛隊の車をよく見かけました

少しだけ状況が落ち着いてきた5日目

※4日目は個人的に行動をあまりしなかったので省略します

5日目は天気は腫れていて風は少し強めで、この風がすごく心地良かったです。5日目になると給水所も空いており、結構並んだ3日目よりもかなりスムーズに給水する事が出来ました。そしてコンビニも空いていたので少しずつだが物資が届き始めている様子でした。また余震が少し落ち着いてきたのでこの日から車中泊を終え、自宅で睡眠をとりました。

かなり落ち着いてきた6日目

この日は地震に起こされました…。中能登町は震度4でした。朝ご飯を食べた後くらいにプロパンガスが届いたので一安心。また地震後初めてお風呂に入りました。めっっっちゃスッキリしました…。この日は買い出しついでに隣市の七尾市へ行ってきました。七尾市のどんたくは大きな被害を受けていました…。

大きなひび割れがありました
多くの所がダンボールで応急処置されてました

また七尾市内から田鶴浜町へ行く道も結構酷かったです…。

途中、地震の影響で動けなくなった電車が止まっていました

また、帰りにいつも撮影している能登二宮駅に行ってきました。駅舎は被害が見られないもののホームは大きな被害が…。歩いても外側に傾いている事が分かりました。

近くの道の橋も亀裂が…
ホーム上にも大きな亀裂…
明らかに歪んでいる線路
全体的に外側に傾いている事が分かる
展示品にも被害が…

余談ですがこの日M4.4の比較的小さめの地震で最大震度6弱を観測する地震がありました。

まとめ

こんな感じで地震発生から1週間を軽くまとめて見ました…。かなり読みにくい文書となってるのはごめんなさい。この文章を書いているのは1月17日なので地震から2週間以上が経過した事になります。やはり地震による被害はとてつもなく大きいです。自分の住んでいる中能登町は震度6弱を観測しましたがまだマシな地域です。七尾市以北は未だに断水が続いて復旧の目処が立ってない状況で、JR七尾線・のと鉄道も全線復旧の目処は立ってなく、鉄道ファンの1人としてすごく悲しいです…。1日でも早く普通の日常に戻りたいです。

地震を受けて皆さんに伝えたい事

軽く箇条書きでまとめます。

・自宅にある大きな家具は固定をする
これはほんとに重要です。実際に自分の家でも背の高い収納が倒れたりテレビが倒れました。なので地震対策は必ずしましょう。タンス等はつっかえ棒を付ける。テレビも耐震ジェルやベルトなどで固定するなどできる限り固定してください。そうするだけで家の中の被害は減らせ、片付けが楽になります。

こうなったので買い換えるしかありません

・飲水と食べ物はある程度備蓄しておく
これは…ほんとにしておいて欲しいです。
じゃあどれだけすればいいの?と聞かれそうですが気持ち多めの方が良いと思います。自分も専門家じゃないので何にも言えないですがひとつ言えるのが少ないよりかは全然いいです。水と非常食、出来ればインスタント系の食べ物は気持ち多めに備蓄しておきましょう。詳しい事はインターネットで調べると出てくると思います。

・非常時の電気の確保をどうするか考えておく
例えばの話まぁ持ってない人は今の時代少ないかもしれませんがモバイルバッテリーは大きめの物を買っておきましょう。これは出来ればでいいんですけどポーダブル電源は持っておくと最強だと思います。まぁ自分は持ってないんですけど…。(理由は後で)今回の地震では停電にはならなかったのが不幸中の幸いでしたがもし停電になってたと考えると…怖いです。しかし自分の場合は親の車がハイブリッド車で車でコンセントも使えUSB端子も搭載されていたのでそこまで不安では無かったです。なので僕の場合はモバイルバッテリーだけ準備しててポーダブル電源などは準備してませんでした。一つだけ公開したのはシガーソケットで使えるカーチャージャーを買っておけば…と後悔し数日前購入しました。

・避難場所を確認しておく
個人的にこれは1番意識していて助かりました。避難場所に関しては頭の中に入れてたのでゲームセンターに1人でいた自分は地震後、すぐに近くの避難場所(道の駅)に移動する事が出来ました。また沿岸部にお住まいの人は津波の避難場所は必ず覚えておきましょう。

・車中泊について
車中泊は一般の方は滅多にする事が無いと思いますがひとつだけ。車の中はかなり冷えます。そこで今回実際に4泊してみた自分で気づいた事としてシートヒーターが有能です。シートヒーターをつけて上から毛布を被ると結構暖かかったです。自分は高校生で若いのでまだ耐えれたんですけど年配の方などは車中泊という行為自体あまりオススメできませんがもしもの時はする事になるのでエコノミークラス症候群など注意して過ごすようにしてください。
ちなみに自分は親と2人で車中泊し、暖房をたまに付けるたり、定期的に体を動かすなどしっかりと対策をする事が出来ました。

まぁ…今伝えることとしてはこんな感じです。自分の地域は北部と比べると小さいので出来ることはしていきたいと思います。しかし精神的ダメージは大きいですね。自分も今はまだ精神的には万全では無いような気がします。
文章もかなり読みにくいかもしれません。これからも被災地の情報はX(旧Twitter)に投稿してたまにはnoteにまとめていきたいと思います。もう今の時間は…1:14…深夜ですね…。体休めたいと思います。

ここまで読んでくれてありがとうございました。


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