若者、、、知ってこうぜ。地元。
地元のこと。
とりわけ故郷のことを
語りだすと、
普段以上に語り部として、
以上というか、普段使わない方言まで
出てくる。
わたしが育った町
「わたしが育った町」といっても
マインド的な故郷と
住んでいた家がある町と
通っていた学校がある町。
3つある。
故郷については次に話す。
ここでは、
住んでいた家がある町と
中高6年間通っていた町について。
住んでいたまち
住んでいた町は、観光業が盛んだった。
東京からのアクセスも県内では一番だし、
夏になると県外ナンバーが道路を埋める。
そんな町の片隅で
私はいつも寝ていた。
人混みは苦手。
だから観光客が集まるスポットには行かない。
少し外れた
映えはしない、
落ち着くところにいつもいた。
家にいるのも好きだけど、
「ひとり」で
親しい人と離れた時間が好きで、
家にはいつも母がいるし、
どこかへ 気分次第な散歩、
そんな時間が好き。
一番私が実家暮らしで好きだった時間。
それは、公文からの歩いて帰る道。
小学生が通うイメージが強い公文だけど、
ながいこと、それはうんとながいこと通っていた。
実家から徒歩5分。
部活終わりに公文へ行って、暗くなって、
先生は心配して見送ってくれる。
近所の男の子に送らせようかという。
とは言っても、彼は私より4つ下。
「うちが守る側やんそれ」
そう言ってひとりで帰る。
走って帰れば
本当に一瞬
そんな帰路を
時間をかけて、
ゆっくり、
夜の空気に酔いしれながら
帰る時間が好きでした。
6年通った町
中高はとなりの大きな市へ
6年間電車通学で通っていた。
高校生にあがって
はじめて「地域」というものに
興味を持った。
知らないものであふれていることに気が付いた。
まさに無知の知。
知らない路、
知らない店、
知らない文化、
知らない歴史、
知らない人。
いつも
何もないまちだと思っていた。
周りの友達もそう言うし、
みんな東京や大阪に憧れて、
「まじ田舎過ぎてなんもない。おもろいところなさすぎw」
これがうちらの常識。
だから、
観光に携わる人たちの話をたくさん聞いて、
みなさんが口をそろえて
「このまちにしか無いもんがある。魅力であふれてる。」
って
生きた目で言うもんやから、
高校卒業するころには、
「まじでこの辺なんもないよな」
って友達が言おうもんなら
観光大使ばりに
このまちのおもろさを語り始めてた。
山しかない。海しかない。
が、
山もある。海もある。
日本人が
大事にしてきたもんが
みんなここにある。
なんでこの町に
都会の喧騒から離れたい人らが
ワーケーションに来るんか、
移住するんか。
歴史をたどれば、
今までこのまちで
このまちを
自然を守ろうとしてきた人らがおって、
このまちを
愛してきた人らがおって。
なんで、歴史に名を残してきた人らが
このまちを愛したんか。
それには確かな理由がある。
知らんだけや。もったいない。
わたしの故郷
Google Earth でみたら、
山しかない。本当に
山道を車で最寄駅から約50分。
世間一般で言うところの
限界集落。
幼い頃、田植え前に田んぼで泥遊びをした。
今は、米栽培をするだけの人がいなくて田んぼは埋めて畑にした。
よくばあちゃんに付いて行って、近所のじいばあたちに、うちで採れた野菜をおすそ分けしに行った。
たまにお菓子をくれたり、「さつまいも掘ってきぃ」って言ってくれて、
さつもいも掘らせてもろて、いっぱい両手に抱えて持って帰った。
畑の隅で焼き芋もした。
今は、じいばあの人口も減って、うちのばあちゃんも亡くなった。
お盆には、鐘楼さんをたてて、うちにお参りにくる人がようけおった。
お盆は何日にしょうろうさんたてる、何日に松明たきはじめる、お墓参りする、っていう大人のスケジュールがいっぱいあって、忙しそうやった。
だから、うちの面倒は兄やいとこが見てくれた。
お盆は生きものの殺生があかんから、川釣りにもいけんし、虫取りもできんし、あんまり川にも入ったらあかんって言われるから、
みんなで探検しにいって、気に入った石なり、葉っぱなり、枝なりを持ち帰ってた。
夏の恒例は、BBQと花火。一番楽しかった。七輪で川で釣った魚焼いたこともある。
今は、うちも兄もいとこたちも、
大人になって忙しくなって、
お盆に集まることも少なくなって、
しょうろうさんも立てんようになった。
簡素になるお盆。
こうやって文化が消えていくんやろうな。
人と一緒になくなっていく。
地域も文化も。
ここに住むじいばあは支えあって生きている。
力強いエネルギーと知恵を持っている。
近くに大型の病院もないから、
ちょっと調子悪くなっても、このまちに居続けるのは、
「もしも」があっても助からないこのまちにいるのは、
このまちで死ぬ覚悟ができているから。
そういう話を聞いた時、
この故郷を守りたい
そう思いました。
きっと私が過ごした故郷での経験は
同年代では珍しい経験で、
となりのトトロの映画を観たことがある人は、
まさにあんな感じ。
近所のじいばあも
うちのじいばあ。
うちが帰りたいと思う町、
思う集落はここしかない。
今は大好きだった姿とは
随分変わってしまったけど、
消滅させてはならんと
強く思っている。
うちが死ぬのは故郷が良い。
本気でそう思う。
わたしが今住んでいる町
進学とともに実家を離れて、一人暮らしを始めた。
進学するには、一人暮らしするしかなかった。
せっかく家をでるんやから、
知らん世界を知りたい。
親戚がいないところがいい。
友達はみんな大阪や京都、東京。
うちはどこに行こうか。
大都会は性に合わん。
北海道か沖縄に住みたいなあ。
あ、でも沖縄は台風いつも直撃してるし嫌やな。。
北海道って大学どこあるんやろ。
北大か。
賢い。。。しかも札幌ってめっちゃ都会やん?
え、どうしよ。
四国とか良いかも。いやでも、やっぱ間をとって長野とか?
山いっぱいあるし、水綺麗そうやし。
海はないけど、海より山派やしな。
母が
「大学受験ではじめて行ったときに『あ、私ここに住むわ』って思ったら、やっぱり合格した」
と言っていた。
そんなんある?とか思ってたけど、
やはり私も母の子で、
受験前にぶらぶらしていて、
都会すぎず、田舎過ぎないこの町で
「春からここに住む」
そう感じた。
親戚中に
心配された一人暮らし。
家事は致命的にできないし、「頑張って自炊しなね」と言われ、
「汚部屋の住人になる」とも宣言された。
(まあ、実質現実になったよね…)
このまちに来てよかった。
そう思う迄にさほど時間はかからなかった。
水に恵まれ、文化芸術が身近に感じられるまち。
なんといっても暮らしやすい。
この町に来て半年、私の中では観光客と同じくらいの
「いいとこ」しか知らなかった。
町の人たちと知り合っていくうちに、
芋づる式にまちの面白さに気づいた。
私もこの町の住人の一人として暮らしたい。
この感情が観光客気分から積極的にまちを知ろうとする第一歩になった。
「よそもん」という感覚がこのまちでは地元に比べるとすくない。
その理由は、きっと今この町でおもろいことをやっている人の半分くらいがよそもんだから。
ある意味ダイバーシティなまち。
無知の知というものは大切だと心底思う。
特に地元のことは知っているものだと思いがち。
私は、今まで住んできたどの町にも誇りをもっているし、もっと知りたいと思っている。
同世代にもっと言いたい。知ろう。地域って面白いで。
「自分の住んでいるまちを語ってみて。」
って言われたら、目を輝かせてマシンガントークできる、
そんな若者が多く集まったら
おもろそうやな。
そんなことを常々思っている。