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AI歴25年の僕から見た、「VUCA時代の教育」に対する一つの解釈

大学で講義をしている一人の教員として、AIが「教育」に与える影響をガッツリと考えてみた」という記事を書いてからだいぶ経ってしまいました。

その間、東京学芸大学と生成AIを活用し、教員による生徒の記述問題評価を支援するシステムを構築・検証する文科省の事業をしたり、また別の文科省の生成AI事業を東京学芸大学と実証したりと、現場でのAI活用に関する実証を色々と進めていきました。

そんな中、「生成AIを教育のどこに活用していくか」を考えていく上で、改めて、「これからの教育」に関してどのような議論が行われているのかをまとめてみたくなりました。

AIはすごいスピートで進化し、それにより、世の中はますます先が読めなくなってきています。そんなよくわからない時代にこれから突入していく中で、本当に、教育にとってAIが力を発揮するのはどこなのだろう。

「これからの教育」に関しては、AI時代を生きるうえで自分が伸ばしたいと思う力を探究する中で、その歴史も含めて色々と追いかけていました。OECD(経済協力開発機構)等を中心に世界では実に多くの議論がなされており、色々と変わってきていることもあります。

私はそれらのスペシャリストというわけではなく、あくまで専門はAIです。よって正確な記述というよりは、私なりの解釈として、AIの進化によってますます拍車のかかる不確実性の中での「教育が今後どうなっていくのだろうか?」をまとめてみようと思います。

VUCAが大前提

まず、これからの教育を考えていく上での大前提が、VUCA(Volatility​​、Uncertainty​​、Complexity​​、Ambiguity​​)の世界観です。VUCAというのは、急速に変わる世の中の特徴を表す言葉で、「予測が難しく、不確実で、複雑で、あいまいな」状況を指しています。

20世紀の終わり頃から、世の中の変化のスピードが大幅に向上し、先の予測がつかない世の中になるだろうと言われてきていました。教育もそれに対応すべく、VUCAな環境下においてどういう力を身に着けたらよいかの議論が交わされてきたというわけです。

例えば、1997年から2003年までOECDが推進したDeSeCo(Definition and Selection of Competencies: Theoretical and Conceptual Foundations)というプロジェクトでは、VUCAの時代に合わせたこれからの学習観が模索されました。

そこでは「変化・複雑・相互依存の時代に、幸せに生きるために、先例のない複雑な問題に対処する力を身に着ける」といったコンセプトが掲げられています。

この「変化・複雑・相互依存の時代に」というのがまさにVUCAの世界を指していますし、「幸せに生きるために」というのも、これからの教育のゴールを指し示していたと思います。「先例のない複雑な問題に対処する力を身に着ける」という部分も、21世紀型の教育を端的に表していると思います。

学習指導要領も、このVUCAの時代が前提に置かれています。

例えば、2017、18、19年改訂の学習指導要領は、CCR(the Center for Curriculum Redesign)が示した「21世紀の学習者」というコンセプトを参考にしていますが、この「21世紀の学習者」は、VUCAの時代に向けて考えられたものだったりします。

また、次の学習指導要領はOECDの「Education 2030」プロジェクトと密接に関わっています。これは上述のDeSeCoを、時代の変化に適した形で見直そうと始まったプロジェクトで、日本も初期から積極的に関わっていました。例に漏れず、この「Education2030」は、「2030年はよりVUCAになる」という未来学者の予測のもと、どのような力(コンピテンシー)を身に着けるか議論されました。

画像:OECD「The OECD Learning Compass 2030

いくつか例を挙げてきましたが、改めて、これからの教育を考える上では、「VUCA」というのが大前提になっています。これからどんどん「予測が難しく、不確実で、複雑で、あいまいな」状況になっていくなかで、「どんな力を身に着けるのか」というのが未来の教育コンセプトとして話し合われています。

教育のゴールが変わった

今より更に「予測が難しく、不確実で、複雑で、あいまいな」状況になるとして、そういう時代を生きるには、一体どんな力を身につけているとよいのでしょうか。ここでは上述の「Education 2030」をもとに、大枠をみていきたいと思います。ここでの議論が、今後の日本の教育に取り入れられていく可能性が高いためです。

さて、「どんな力を身につけているとよいか」ですが「よい」って何なんでしょう。何をもって「よい」とするのでしょうか。これは、ある意味教育のゴールともいえるかもしれません。

これまでは、例えば「人生の成功」や「良好に機能する社会」などが「よい」とされてきました。でも「人生の成功」って何なんでしょうね。人生の成功のための教育、というのはなんだか抽象的ですよね。

というわけで、現在は教育のゴールを「ウェルビーイング」にしようという考え方が出てきています。何が成功なのか、どうすればよいかなどが不確実であいまいになってきているので、無理に定義するよりも、いっそ個人のウェルビーイングとする方が自然なのかもしれません。

「Education 2030」ではさらに一歩進み、「個人レベルのウェルビーイング」だけでなく、「社会レベルのウェルビーイング」というのも掲げられています。個人レベルのウェルビーイングが、社会レベルのウェルビーイングに貢献し、それがまた個人レベルのウェルビーイングに貢献する。そんな形で、ウェルビーイングが循環するという考え方です。

一つのゴールを目指す世界から、人の数だけゴールが誕生する世界へ

ここで「個人と社会のウェルビーイング」を教育のゴールにしてみます。

ゴールを置くということは、一般的に、それに対する何かしらの共通認識があるものです。これまでだったら、学問的な成績の向上や知識習得によって、例えば「人生の成功」や「良好に機能する社会」を目指すといった共通認識があったかもしれません。これは、ある意味で外側から成功を定義していたともいえます。

ところが、ウェルビーイングというのは、あくまでも本人の主観がベースにあるものです。仮に目指したい「ウェルビーイングな未来」があったとしても、皆にとっての共通なものというよりかは、それぞれの人に紐づくものだと思います。実現したい未来というのは、一人ひとりが描き、その実現に向けて取り組もう、というのがここでの考え方です。​​

社会としてのウェルビーイングも同様に、何か決まったゴールがあるわけではありません。社会としてのウェルビーイングも私たちで目指していきましょう、という大きな方向性を示すくらいの位置づけと言っていいかなと思っています。

ウェルビーイングを教育のゴールにすることによって、人の数だけゴールが誕生することになりました。

「身に着ける力」に関する考え方の変化

このようなゴールのあり方の変化に伴い、教育によって「身に着ける力」に関する考え方も切り替わったのかもしれません。

これまでは「身に着ける力」を検討する際に、主に「社会で役に立つ力」は何だろうという視点で議論が行われてきました。「社会で役立つだろうから、この部分を教育しよう」という考え方です。

一方、ウェルビーイングを目指すということは、一人ひとりが、それぞれの実現したい未来に向かって進むということでもあります。

これにより「社会で役に立つ力」という考え方から、「それぞれが望ましい未来を実現するために、どのような力を身に着けるか」という風に、考え方が変わったように思えます。

受け身の姿勢から、主体的/自律的な姿勢へ

ここまでをまとめると、こんな話になるかなと思います。

  1. VUCAとよばれる「予測が難しく、不確実で、複雑で、あいまいな」状況にどんどんとなってきている

  2. そんな状況では、何が成功なのか、どうすればよいかなど、不確実であいまいになってきている

  3. 何をもって成功といったことは定義しづらいので、それぞれの幸福であるウェルビーイングを教育のゴールにおくのはどうか

  4. 一人ひとりが、(ウェルビーイングである)望ましい未来を実現していくための力とは何だろう

VUCAの時代は先の予測が難しく、状況も刻一刻と変化します。そんな時代に「これが正解」といった分かりやすい答えは出しにくい(というか出せない)のだと思います。仮に答えを出した(出せた)としても、すぐに状況が変わってしまうでしょう。

ですので、そんな不安定な社会で一時的に役立つ力を身に着ける、というよりも、「自分で決めた望ましい未来を実現していくための力」があるとハッピー(ウェルビーイング)だよね、という考え方なのかなと思います。

ある意味で、社会に合わせるという受け身の姿勢から、主体的/自律的な姿勢へとスイッチが切り替わりつつあるのではないでしょうか。

では、「自分で決めた望ましい未来を実現していく力」とはいったい何なのでしょうか。

長くなったので、続きはまた近日中に書きたいと思います。

※サムネイル画像:Lubos HouskaによるPixabayからの画像を利用

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