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チビも障害者も、デブも女もブスも、蔑まれたままで、しなやかに生きよう!

「どうして、わたしは『ふつう』じゃないんだろう…」

今、日本で、なにか社会に対するモヤッとした気持ちを抱えているひとの多くの起点は、たいてい、「どうして、わたしは『ふつう』じゃないんだろう…」にある。

「どうして、わたしは『ふつう』じゃないんだろう…」の先で、20歳を超えると、「出来るだけカッコ悪くないパッケージで何かを包むこと」だけがうまくなっていく。

そして、「どうして、わたしは『ふつう』じゃないんだろう…」という個人的な気持ちを、多様性社会の実現を!とか、女性の権利拡大を!とか、デブでも恥ずかしくない社会を!ルッキズム批判!とか、とにかくそれっぽいものに包むようになる。

でも、それはいくら正しいとしても、あなたの抱える「どうして、わたしは『ふつう』じゃないんだろう…」とは、程遠い理念だ。

べつにデブもブスも、女も障害者もチビも、そして若者も、ガス室に入れられるわけでも、奴隷にされているわけでも、人頭税の支払いが義務化されているわけではない。(住民をするだけで取られる謎の税は、無数にあるけど・・・。)あまり知られていないことだが、じつは身長170センチ以下の男性にも、人権はある。(すごい!)

この時点で、かなり高度な「多様な人間性が許容されている社会」といえると思うのだが、それでは満足がいかないひとが多い。それは結局「ふつうかどうか」という呪いにかけられているからだ。

日本は一応、先進国ということになっており、高度な経済社会を持っている。そのメインストリームである「ふつうであることを望み、そこに近づいた人たち」が、そうでない人たちよりも、高度な経済社会の旨みを享受できることは当然のことだ。

だって、データが多いし、需要が多いから。普及率の高いスマホを持っている人の方が、なんだかんだ手厚いサポートを受けられるし、スマホケースもオシャレだし、充電器も借りやすいじゃない。

これは、べつに日本の「ふつうが重んじられる社会構造」が問題なんじゃなくて、こうした「ふつうは得をするもの」という普遍的な事実に則って、日本国が設計され、高度な経済成長を獲得してきた、という順序だ。

とはいえデータを見ても、べつに社会の格差は広がっていない。つまり、ふつうの人は、ふつうでない人よりも得をしているかもしれないが、その差は構造上、致命的なものではない、ということだ。

(最近、人気の成田氏のツイートより)


さて、どうでもいい社会の話はここまでにして・・・。

マガジンでは、出来るだけ「わたしたちの話」をしていくことにしている。社会、基本的にどうでもいいので・・・。

デブもブスも、女も障害者も、若者も、『ふつうの人』に蔑まれていて、べつに良くない?なにが都合悪いの?という話をします。

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