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親ガチャは『言い訳』だよ【無料】

『親ガチャ』という言葉が流行っている。

これは「親の経済力や、教育方針、あるいは出生地によって、子供の将来は大きく左右される」という、別に今はじまったことではない客観的事実の一つを憂う、一種の風習だ。

わかりやすく言い換えるなら、「東京で生まれて、金持ちで、優しいお母さんお父さんに恵まれたやつ、だいたい人生ヌルゲーじゃん、ずるい」の令和語。それが今は「親ガチャ、当たりハズレ」と表現される、というだけの話だ。


そして、この『親ガチャ』という発想は、ふしぎなことに、常に『同学年』を意識している。そう、おおよそ『受験』、そして『就活』とリンクしているのだ。

そうでない場合は、『親ガチャ』というより、むしろ『世代ガチャ』なので、この論調の中ではあまり扱われていないように思う。世代間対立、という印象は全く受けない。もちろん、「毒親」に対する憎悪感情みたいなものはあるんだろうけど。


ぼくは4000人に奢られてきたのだが、その中で「大学受験」「就活」がキーワードになるような苦悩とも、たびたび対峙してきた。

彼らの多くは、学生を終えてもなお「偏差値」という概念に呪われている。

そして、「偏差値」に飢えて、やっと「偏差値」を手にした学生は、それを失いたくないあまり、就活では「偏差値がないと入らない、権威のある場所や、すごい年収のところに就職しなくてはならない」という「偏差値の呪い アローラのすがた」に遭遇することになる。

こうして、「自分の現在の偏差値」に至るまでの過程に、それがもたらす結果に、納得がいくような理由づけをし続けている。つまり、『言い訳』をするのだ。

それは別に「偏差値が低いのは親ガチャのせい」といった論調だけではない。むしろ、多いのは「私の偏差値が高いのは、努力のおかげだ」といったものになる

むしろ、自らを蔑んでいるような人ほど「自己責任論」が精神の深くを犯していて、「私がダメなのは、私が努力できなくて、私がダメな人間だから」というふうに『言い訳』する。

すべては私のせいで、だから、私は助かってはいけないし、誰かに助けを求めてもいけない。ただ、この「自己責任の苦しみ」を持ったまま生きていくか、あるいは・・・

こういう状態にある人は、あまりにも多い。

『親ガチャ』というワードは、むしろ、こうした『脱・自己責任論』のために育ってきた、多くのひとを救い出す『言い訳』なのではないだろうか。

あなたの力のほとんどは『運の賜物』であり、それは『すげー弱い人』も『すげー強い人』も、同じなのである。

言い訳とは、納得できる事情説明だ。
なにも悪いことはない。

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『親ガチャ』も言い訳だし、『努力』も言い訳。


『親ガチャ』に囚われ過ぎてもしょうがないが、『自己責任』に囚われ過ぎると死ぬんだから、まあ、てきどに言い訳しながらバランス取って、ニュルッと生きていけたらそれでいいでしょ。というのが、ぼくの見解です。

自己責任だから・・・と思い悩む必要はないけれど、だからといって、『自分以外の何者かのせい』にしたら、代わりに痛みを負ってくれるわけでも、あなたの苦しい人生を新品にして返してくれるわけでもないからね・・・。バランスが大事よ。うん。

ちなみに、『自己責任』というワードを流行らせた張本人「最年少・イラクの人質マン」にも奢られたことがあるんだけれど・・・。ここからはマガジンに書こうと思う。

つづき↓

よければ、文章を読むのが好きな人は、ぼくのマガジンで一緒に遊ぼう。


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