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「正解」と、呪われし社会の子。
親から強く呪われることを『親ガチャに外れた』なんて言うお話しもあるけれど、そういう意味で言うならば、『社会を親とする子』にとって、つまり『社会の子』にとっても、「親から強く呪われること」が問題になるケースもかなり多くあるように思う。社会に、呪われる子たちだ。
これは4000人に奢られて思うことなんだけど、子は『親の教育』よりも、『親の呪い』を引き継ぐんだよな。親が教育に呪われてたら、子は何らかの形で教育の呪いを引き継ぐし、それ以外にも、お金に、人間関係に、世間に、空気に、とにかく「親が何に呪われているか」というのが、子に最も影響を与える。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) November 20, 2021
そして、「社会の子」が親から引き継いだ呪いというのが、つまり「正解、不正解」という呪いなんだと思う。この社会には、成人する直前まで「正解、不正解」という軸だけを見つめて、ジャングルを生き抜け!と言わんばかりの構造がある。テスト・ジャングルである。
4000人に奢られた上での偏見だけど、「コミュ障」を自称する人のほとんどは「コミュニケーションには正解がある!」と信じて止まない。彼らは「正解がある!」と信じていて、間違うことを過剰に恐れており、異常に「会話の空白」を恐れて、そこに余計なこと記述して自爆する。現代教育のトラウマかな?
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) November 25, 2021
そうした「社会の子」の間で蔓延するのが「コミュ障」と呼ばれる属性だけれど、これがあまりに一般的になり過ぎているところをみると、これは「障害」というよりも、もはや国民性というか、「次男、甘えん坊がち」みたいなお話になってくるんじゃないか、とまで思わせる。
「社会の子あるある」とでも言おうか。俺は長男だからイケたけど、次男だったらコミュ障だった!
さて、というわけで、もう少し今回はこの「コミュニケーションにまで及ぶ、社会の呪い」について考えてみることにしたい。すべては偏見に過ぎないし、なんの裏付けも存在しないから、あまり発言が一人歩きしないように、すごく偏見じみた偏見はマガジンにだけ書いていきたいお気持ちだ。
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