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ひとは、なぜ自殺するのか?自殺する『難しさと、格好良さ』について。

※多分、怒られるので先に言っておきますが、この記事は自殺を教唆、幇助する目的を持っていません。ただ死について個人的な意見を述べているだけです。ご容赦。


先日、『7階から飛び降り自殺を試みたけど、右足の先の方が複雑骨折しただけで生還してしまった』という、ここ数ヶ月充実した暮らしをしている様子の女性に邂逅して、ちょうど自殺について考えていた。

これは偏見なのだけど、飛び降り自殺で選ぶ『階数』に、その人の世界観は色濃く出るな、などと思う。どこがロドスなんですか?え?ここで?ここでどこで飛ぶんですか?マ?

一般的には、『5階以上からまっすぐ飛び降りると即死する』と言われているわけなので、生還した人の話しか聞けない現世の仕様上、どうしても5階以下の階から飛んだ人の話を聞く機会の方が多い

大抵は木々がうまくクッションになったり、上手にまっすぐ足から着地したり、隣の建物にぶつかって落下スピードが落ちたりして、助かるわけだけど、それでも5階以上の飛び降りからの生還は珍しく、幸運か悪運か、そういう星の元に生まれた人間しか到達できない域に達する。

ただ、これは少ない高層階ケースから感じることなのだけど、飛び降りるフロアが高くなればなるだけ、自殺というよりは、むしろ『社会殺』というか、『社会に、周囲に追い込まれたから、仕方なく自殺した』といった雰囲気を感じることが多い。

フロアがあがれば確実に死ねるし、自分は形もアイデンティティも何もかも失い、全てが粉々になり、社会の中で無機物化できる。無機物は怒られないし、忘れてもらえるから、どこか安心する。なかったことになりたい。


逆に、5階以上ではあるものの、10階未満で『まあ、形は残るかな』というくらいのフロアで飛び降りる人からは、社会への名残惜しさを感じる。たとえば、葬式を想起する。

自分が自分として自分のままに死ぬことで、その社会にはどんな波が立つだろうか。愛する人は悲しみ、憎い人はきちんと追い込まれるだろうか。そういった、社会への執着を感じる。

すべての社会が憎いのではなく、自分がうまく生きられない、そんな自分にちょうどよくフィットしない社会が憎いだけなのだ。フィットすれば、社会は落ち着く。できれば、落ち着いていたい。だからこそ、自殺を選択する。

と、自殺の多い季節になり、多くの人が芸能人の死や、知人の知人の死の経験から『ひとは死ぬ、ということを思い出す』ような時期だと思うので、僕なりの悼みも込め、自殺について書いてみようと思う。


つまり↓の続き、的なね。

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