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公開学級通信 #4

「気高さ」と・・・

 冬になると教室でよく見かける光景です・・・。6時間目終了のチャイムとともに、掃除用具入れに向かって我先にとダッシュする人たちの姿です。「そんなに掃除が好きなのか?」というのは見当違いで、実際のところは、「雑巾をしたくないから、箒を確保する」というのが正解です。つまり班の中で、雑巾と箒に分かれて掃除を行う班で起こる現象なのです。
 
 こんな光景を見るたびに、自分自身の学級経営の拙さを感じます。4月から再三掃除の大切さを話し、学級通心にも書いてきたにも関わらず、ちゃんと伝わっていなかったということですから。合言葉のように「掃除には人間性が表れる」と言っていますが、まさしく箒を確保に走る姿に、その人の生き様が表れています。
 
 冬場は水も冷たく、誰もが雑巾を濡らして掃除なんてしたくないはずです。絞っているときは冷たいし、拭いているときだって冷たいのです。自分がそんな想いをしているときに、手を水で濡らすことなく箒をしている人を見れば、誰だって恨めしく思うものだとも思います。でも、私は同じ状況に置かれたときに決して箒を確保しに走るような生き方はしたくありません。だってそれは、自分がしたくないこと、しんどいことを人に押し付けても平気な顔をしている人間ってことですから。少なくとも私はそんな人と一緒に仕事をしたいとは思いませんし、そんな人と仲良くできるとも思いません。
 
 そして、そんな人に限って勝ち誇った顔をしているものです。しんどいことを人に押し付けることができて、勝ち誇っているのです。なんとも悲しい「勝ち」ではないですか?
 
 先日、道徳の時間に人間の「気高さ」と「醜さ」の話をしました。人にしんどいことを押し付けて、自分は安全圏にいる・・・、これって人間の「醜さ」の最たるものではないですか?しんどいことは誰だってしたくない。人よりも自分がしんどい目に遭っていると、「なんで自分だけ・・・」と思うものです。でも、そんな風に思うだけでなく、黙々しんどいことにも取り組んでいる姿には、人間の「気高さ」を感じませんか?
 
 たかが「掃除」と思う人もいるでしょうが、どうしても毎年冬になるとそんなところに目が行ってしまいます。冬場の掃除をする姿を見ていれば、クラス、そして個人の成長の度合いが分かります。2-1は今年様々な賞状をいただきました。しかし、最近の掃除の様子を見ていると、まだまだクラスとして満足できるレベルに成長できてはいないように思います。何枚の賞状を重ねようが、日々の掃除に真摯に取り組めることには比べられません。私は4月に宣言したように、賞状よりも日々の掃除の取り組みに価値を感じます。昨日の掃除後ほど、後ろの壁に貼ってある賞状が虚しく見えた瞬間はありませんでした。
 
 明後日には2学期末の大掃除があります。数日で何が変わるとも思えませんが、心ある人たちが真摯な取り組みを見せてくれる大掃除であればいいなと思います。とても大掃除が楽しみだとは言えませんが、2-1の踏ん張りどころかなと思います。各自もう少し、考えてみて下さい。

2022年12月20日発行

〇学級通信では「褒めること」、「良い報告」を書くことが多いのですが、時には説諭する内容を載せることもあります。口頭で話をするとどうしても説教臭くなってしまうのですが、こうして文章にすることで幾分冷静に自分の考えを伝えようとすることができるのもメリットです。



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