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【支援する側に立つ】苦境のアーティストは他者支援で逆転できる

支援されたいアーティストばかりで、誰もが苦境にある。ならば、“支援する側”に立つことだ。あなたは瞬間、“求められる者”になる。このトピックでは、「アーティストが必要とされる方法」を、知ることができる。求めるばかりで枯渇しているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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『 プレイヤーとゲーマー 』

どちらにもプロがおり、それぞれが価値である。だが絶対数は異なり明らかに、勝率は異なる。作品を生み出している表現者のアーティストたちはプレイヤーとして、世相に新たな解釈を提起してきた。

しかし、プラットフォームの進化により人類総クリエイターと化した現代においてはその多くが、承認欲求の奴隷となり、誰かの評価を求める“ゲーマー”側に立ち位置を変えている。当然、多くの表現は誰にも届かないままアップデートに埋もれ、努力の成果は虚無に飲まれる。

一方で、立ち位置を変えたことでゲームチェンジに成功しているアーティストたちも存在する。求め続けたプロから、「与えるプロ」に転身した人々だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:振付師のJaQuel KnightとLogitechが、ダンスの著作権保護を支援

ビヨンセやメーガン シー スタリオンの象徴的なダンスを手がけた振付師のJaQuel Knightは、Logitech社と提携して、ビルボード ミュージック アワードでの振付師であるFullout Cortland、Syncopated Ladiesの振付師であるChloe Arnoldなど10人のBIPOCクリエイターが作成したバイラルダンスの著作権確保を支援した。

Logitech社とJaQuel Knight Foundationが主催する夕食会でこのニュースに驚かされたダンサーたちは、自分たちのダンスの予備的なラバノーテーション(ダンスの楽譜)も贈られた。ダンサーが米国著作権局に申請する際に一緒に提出しなければならないラバノーテーションは作成に手間がかかり、そこから政府機関が申請書を審査するまでに、さらに6〜8週間かかる可能性があるためだ。

ダンスに著作権を付与することは、ダンサーを保護し、自分のダンスを確実に収益化できるようにすることを目的としている。特に、大企業やその他の商業プレーヤーがクリエイターのオリジナルダンスを利用したいと考えている場合だ。「問題になるのは、あなたのダンスで何百万ドルものお金を稼ごうとする人たちが現れたときです」

このパートナーシップの一環としてLogitech社は「短編映画」にも出資。この映画では、クリエイターたちが自分の作品の著作権を求めている様子が記録されている。「私たちは、クリエイターが自らのストーリーを共有できるようにするために存在しています。これはダンスの映画ではなく、変化、正義、そしてクリエイターの権利のための戦いを描いた映画です」と述べている。 - JULY 29, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

“ダンスに著作権を”のアクションにテック企業が後援。ダンサーが“自分の作品”に著作権を求めていく過程をテーマとした「短編映画」出資製作した、という記事。

小さなアクションアながらLogitech社が「収益性を求めない企業協賛」という“最先端の価値”を獲得している事実は注目に値する。

“著作権”をとりまく主張は、ありとあらゆる創作の現場、業界の各部各国が数十年にわたり繰り広げてきているテーマであり、特筆すべきものではない。ダンサーのヘアスタイル、メイクアップ、コスチュームからイベントデザインなどなどにも一切、著作権は認められていないのだから。

自身が製作者となり、著作権者になってしまえばいいだけのことだ。

『 “立ち位置を変える”ただそれだけなのに 』

求め続けたプロから「与えるプロ」に転身した人々は、転職したのではない。自らの活動はそのままに、新たに“同業を支援”する活動を増やした格好だ。その多くは自身こそが困窮しており、切実に支援を欲した結果、行動した者たちだ。

支援してくれる相手を探し、更に求め続ける日々に、求めていた以上のものを手に入れたわけだ。彼らはお金やチャンス、社会的な立場を手に入れた。それを「力」と言う。求め、走り続けた人々は“力”を得るわけだ。彼らは日々、大勢の応援と感謝に包まれて生きる。

同志の支援活動を続けるこの“力を持つ者”はその頃当然、自身のアーティスト活動に困窮することなど、無い。満たされており更に、当時からは想像もつかない大きなネットワークの中で、飛躍のタイミングを選べるまでに成長している。

求める側から、「与える側」に立ち位置を変えただけだ。今日、今この瞬間から直ぐ、誰にでもできる。あなたは、「求められるアーティスト」になる。

『 同志を支援するのは、苦しくない。 』

自分が欲しいものを、同僚に提供できるだろうか。これはなかなかに重い哲学であり、難易度の高い課題だ。いよいよの瞬間、手は止まる。その“逡巡”は見抜かれて、協力者たちが去り、同僚からの信頼は失せ、また孤立無援な自分に戻ってしまう。

あらかじめ、決めておくことだ。「同志を先に、挙げる。」と。
苦境からの“脱獄”をイメージするといい、越えられない高い“塀”を。方法を知っている貴方は誰かを押し上げて、塀の上に挙げてやればいい。“手を引いてもらう”ことで、自身も苦境からの脱出が可能なのだ。

「損」などない。安心していい貴方は脱獄後、一同にとっての恩人なのだから。支援されたまま手を引いてくれない者のことは、忘れればいい。その人物はどうせ独りでは生きられない。やがて戻ってくる。もう一度、支援すればいい。叱る必要なんてない、非がある相手は他者よりも強い協力者となる。

支援、応援するということには、得しかない。

『 編集後記:』

“遅れる時計”になりたくない。
事故は起こしても、誰からも喜ばれることがないためだ。どうせならわたしは、“時間が進む狂い方”をしたい。未来を生きて、現在を牽引し続けたい。そうは想わないのか、我が編集機の中の“マザーボード”よ。

Windowsの“時計”が遅れるのだ。どう調整しても、遅れが出る。マシン上のあらゆる時刻に、誤差が発生している。大事態だ。

調べてみれば、マザーボードにはめ込まれている“電池”が弱っているようだ。ボタン電池だ。「電池!? この電脳時代に“電池問題”ですか!」マシンの分解、ケーブルの再接続、状況の最適化、その膨大な作業は“電池交換”の為だけに。アーティストの日常とは、なんと小さなものに支配されていることか。嗚呼。

正確に過ぎる日々にも不明確な芸術を生き、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記