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気遣い無用:身体の障害なんて、武器だし。

障害者や病気持ちなんてアーティストにとって、なんなら得しかない。むしろ、健常者なんて生まれながらのレッドオーシャンではないか。社会システムに順応し活発に行動し社交性を試されながらも目指せるのは、平均値。可哀想な健常者たち。

とか、こんな書き出しをタブーだと想う人がいたら、その人、危ない。SDGsとは縁もゆかりもない、“アーティスト本位”を晒してみよう。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

季節の変わり目、そろそろ偏頭痛の季節。
“閃輝暗点”という視覚異常が発生して、ド派手なネオンのような煌めきに視野が狭められる。そいつが視界の外に消え去る頃、偏頭痛が始まり、日常がどうでも良くなる。

締め切りだろうとアポイントメントだろうと、もう寝転がって目をつぶるしか逃げ場無し。当然、ぜんぜん眠くない。眠くない中でスマホも使えないとなればもう、“記憶の回廊”で過ごすしかない。

半世紀も生きるとそんな状況にも慣れたもので、この時のためのポストイットやノートが、記憶の中に用意されている。まるで、異常に検索精度の高いクラウドだ。記憶の中には3時間分くらいの仕事用具や課題を常にUpdateしてあるのだが、まぁ2時間ほどで一般生活に放り出される。

不便などなく、作業がはかどるので嫌いじゃない。

夏になると、アトピーの季節。
汗をかくと過敏な皮膚が荒れてくる。だったら、快適な生活環境にいさせてもらおう。アトピー持ちにとっては4つ星のホテルなんて、雑菌の温床。いつも清潔な衣服をまとい、常に、手術室に入れそうな日常はリゾートを凌駕する美しさ。作業環境として、快適でしかない。お取り寄せ料理とポプリを楽しませてもらおう。

無理がたたれば、喘息Week。
ドラマの咳き込む芝居は、ぜんぜんダメ。正しくは、吸った空気を、吐き出せない状態。まぁ苦しいが、10分もすれば慣れる。目の前のキーボードに手を伸ばすのも辛いので、徹底的なスマートホーム化が済んでいる。

「おはよう」「おやすみ」は基本、「編集」「執筆」「ブレスト(ブレインストーミング)」なんて声だけで、照明空調加湿カーテンからモニター音楽ニュースの収集までが完全自動最適化済み。緊急連絡もタクシーを呼ぶのも、声。リモコンなんて、どこに片付けたかも覚えていない。

わたしは幼少期、排気ガスによる公害認定を受けており、医療費も無料だった。身体が弱い、ただそれだけで特権階級並みの生活をさせていただけた結果、こんなに非常識で生意気なアーティストになってしまったわけだ。

集中力の欠如に困ったことはなく、40時間寝なくても24時間トイレに行かなくても休暇がなくても趣味を持たずに14日間缶詰の孤独作業が続いても、まったく不便がない。苦しさに慣れている身体と精神は健常者の限界を、余裕でクリアする。社交辞令もマウンティングにも無縁な毎日はただただ、快適でしかない。

という長い前提から、さて、はじめよう。

『 技術が進化した結果、映画人ピンチ 』

技術が向上すると、業界は衰退すると言われる。

瞬間的なエンターテインメントとしての興業は得られるが、相対的な関心は奪われていくように想う。数字で表すことは困難なので、感覚値でしかないわけだが。“CG”の登場で映画は自由度を増したが、「どうせCGでしょ。」という想いから、“映画マジック”は失われたかに見える。

それでも映画は進化を続け、新たな世界を描き出そうとしている。
もう、映像では驚けない。ならばこそ、ドラマツルギーへの注力が重要度を増しているのだろう。

映像技術が進化した今だからこそ映画人たちは、
答えの無い“本質”を求められている。

『 芸術が進化している 』

“総合芸術”とは、便利な表現だ。現代においては少々、荷に重いが。
ストリーミングの以前、インターネット プラットフォームにすら対応が遅れた映画界ゆえに、気恥ずかしさはある。

コロナ禍が急加速させたものに、“Artブーム”がある。
空前のアート売買が展開しておりその流れは、一般人レベルの投資家にも波及している。それまでのアート市場に収まらず、場外取引の場が増えている。

そんな中、Clubhouseさながらに爆発的な瞬発力で急発展しているのが、「NFT」。ブロックチェーン技術に担保されるデジタル資産としての芸術だ。詳しいことが判らなくても、大丈夫。実に簡単だ。

『 NFT、知っとけ 』

「NFT」(Non-Fungible Token:非代替性トークン)とだけ、記憶しておけば大丈夫。映画人やクリエイターである限りこれから夏までの間に、飽きるほど耳目にすることとなる。

話題になったのは、“Twitterの初ツイート”というデータが、3億円で売れたこと。アバターの家が5000万円そしてついに、オークション大手のクリスティーズが、画像を合成して作ったコラージュ作品を6930万ドル(約75億円)で売却した。ただの“画像”が、だ。NIKEの最新“デジタル”スニーカーも、NFT化された芸術作品として、即完売した。

『 映画は、本質を失う 』

デジタルとアナログの境界が消滅して久しいが、ここにきて、デジタルの中の解像度が格段に上がり、“デジタル資産”という「仮想のなかの現実」が、日常を飲み込もうとしているわけだ。

映画をダウンロード購入して喜んでいた時代は遠くやがては、1万人限定NFT型超大作映画、なんてものも、必ず出てくる。映画を視聴する対価は果てしなくゼロ円に近づきつつ、1億円以上にもなる、ということだ。

われわれ映画人がこの波を感じるのは、まだ3年以上先かもしれないしかしその時にはもう、映画は総合芸術ではなく、“商品”になっている。映画人や芸術家のライバルは人工知能などではなく、「人間の所有欲と投資」だ。

企画開発者、製作者、制作者、コンテンツホルダーたちは芸術家と手を組み、物語にも作品にも商品にも垣根のない、準備を進めなければならない。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:ニュース:パラマウントは、障害のある俳優のオーディションを約束、起用推進へ

パラマウント ピクチャーズのCEOが声明を発表。「障害者を受け入れることは、我々の映画業界と地域社会における多様性への真摯な取り組みの核となるものです。私たちは、世界中の観客と共有する映画で、多様性と包括性を優先して促進する。その継続的な取り組みの重要な一歩として、このガイドラインを採用することを誇りに思います」
ルーダン ファミリー財団の会長は言う。「多様性を受け入れる。これは、文化を確固たるものにするための重要な一歩。大切なマイルストーンです」パラマウントは、障害のある俳優をオーディションすることを正式に約束し、事業部を越えて障害のある俳優と協力し、注目を集める役柄にも反映させるキャスティング決定を行う、とした。ハリウッドでは多様性が叫ばれているが、一方で、障害者の存在は無視されている。映画の中では健常者の俳優が障害者の役を演じ続け、障害者たちは挫折を余儀なくされている。 
- MAY 03, 2021 VARIETY -

『 編集後記:』

まぁ、ぜんぜん低レベルな綺麗ゴトだが、無いよりは良い。

スピーチ原稿は脚本家ではなく、障害者の監修を得た方がよかった。
少なくとも、貴方たち幹部が気付いていないだけで映画界のアーティストたちの多くは、精神的な障害者だ。もう少し頑張れ、パラマウントCEOのジム ジャノプロス 。

わたしには、言う資格がある。
同業者諸君、健常者にはできない表現があること、気づき始めただろうか。

映画における障害の問題点は、雇用ばかりではない。
“障害を描くことはタブー”という風潮自体が、最大の障壁だ。障害者を描くとなれば、特殊な物語。日常描写からは徹底排除され、これ見よがしな“気遣い”場面がバリアフリーを正当化している。

街には平然と、障害者がいる。
それが日常なのだから、一般的な映画の中にも出てきて良い。身体的な障害、精神的な障害、それもまた日常だ。障害者の映画界進出が進めばやがて、“障害者を描くこと”が自然になるのかもしれない。

そうなれば、気味の悪い忖度やおぞましい綺麗ゴトだけで、漂白された社会を描かずに済む。健常者たちの気持ちも、判らなくはない。美しく、順調で、不便のない日常を描いて欲しいわけだ。せっかくの映画なのだから、と。

それ、架空のファンタジー。
もしかしたら、危険なプロパガンダ映画かもしれないから気をつけて。

常識的な社会のルールから逸脱した、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記