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メディアのポッドキャストに将来性を感じるワケ

私は今後5年くらいは、メディアの音声コンテンツに将来性を感じています。

以前にも朝日新聞ポッドキャストの意義についての記事を書きましたが、それから7か月がたち、いよいよコンテンツが充実してきました。

新聞やNHKなどの「トラディショナルなメディア」では、記者は会社に入ると同時に地方に赴任し、そこで警察を担当して「事件」を取材します。誰にも助けを求められなかった孤立死や、望まない妊娠による殺人、寒さを凌ぐための万引きなど、社会で起きている最も目を当てたくない現実を目の当たりにし、社会の理想と現実の間で記者としての訓練を積みます。なぜこんなことが起きるのか、防ぐことはできなかったのかと、自問を続けながら記事を書くことでしょう。NHKの最近の記事もそうした社会の現実に光を当てています。

それでも、文字やテレビだけじゃ表せないのもあります。なぜこの記者はこの問題を取材したんだろうとか、事件の深い事実の部分はどのようになっていたのだろうかとかは、なかなか伝わりません。私はそれを表現できるのが音声コンテンツじゃないかと思います。

なぜか、「取材者の息づかい」がわかるからです。

最近公開されたこちらの作品。義父からの性暴力によって妊娠・出産してしまった乳児を何度も手にかけた話です。なぜ、この記者が取材しようと思ったのか、何がどうなっていたのか、言葉にするのをはばかられるような話を、言葉をひとつひとつ選びながら、解説しています。

この作品を聞いていて、1番感じるのはなにか。それは「間」です。「間」がこの事件の深刻さと残酷さ、不条理さを物語っているのです。

私はこの作品を1.5倍速で再生しましたが、それでもこの「間」がわかりました。これは「間」が、事実の一部をなしているんだと思います。決して社会のなかの美しいとは言えない部分を目の当たりにし、性暴力というなかなか大手を振って語れない話を、取材者が丁寧に説明することによって、、女性に起きた悲運や苦悩、そして義父への怒りや不条理が語られていると感じました。

モデレーターの神田さんの合いの手相づちが多い(これは良し悪しあると思いますが)ので、聞いているとラジオのトークのようですが、話し手が現場を知ってる「取材者」であることによってただのラジオトークには終わらない、社会問題の機微がわかる作品だと思いました。

取材手法も明かす

朝日新聞のコンテンツでは、これまであまりメディアからは発信されてこなかった取材手法や取材のきっかけも明かしています。

例えばこちらの作品は、全国の知事などが使っている「センチュリー」がどれだけの予算で購入され、どのくらい使われているかを全国的に調べた調査報道です。

実は、この発端となった記者は、神戸新聞に抜かれていたのです(!?)いわゆる「抜かれ」です。それでも、抜かれたところからどこまで挽回できるかも取材者の実力ですが、この記者は見事に逆転しました(と思います)。

義父による性暴力の作品も、きっかけは他紙でその事件を目にしてから、取材を始めたと言っています。そして、刑務所にいる取材相手にあてて手紙を書いたという取材手法まで明かしています。

こうした取材手法を明かす方法は、信頼を失いつつあるメディアが信頼を取り戻すための試行錯誤としてトレンド化しています。

トランプ政権が誕生したあとのニューヨーク・タイムズの100日間を追ったこちらのドキュメンタリーも、宛てだけ筆が鋭いニューヨーク・タイムズの記者でも悩みを抱えながら報道している姿がわかりました。

また、こうした流れにのって、NHKもnoteで取材の過程を少しずつ明らかにするとしています。

日本のメディアの間では、1分でも1秒でも早く他社に先駆けてニュースを出すことがよしとされているようですが、そうしたニュースは数時間のうちにコモディティ化します。そのコモディティ化したニュースのなかから、どれだけ価値のあるニュースを創造できるかが今のメディアに求められていることだと感じます。


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