エコと安心のはざまで
2020年代もすでに3年。
それは当時「新しい日常」と叫ばれた生活様式に入って、3年が経ったことを意味する。
春夏秋冬問わずマスクをしている姿は、もう見慣れた光景になってきた。
雨が降っていようと電車は一定間隔で窓を開けており、トンネルの中や地下鉄だとその轟音が凄まじい。
おかげで、イヤフォンにはノイズキャンセリングが必須になってきた(個人的には)。
僕は仕事柄リモートワークができず、日々取引先に出向き、そしてクライアントやクライアントの抱えるお客様とリアルに対峙している。
3年も経つといろんな「揺り戻し」はあって、年末年始の商戦は過去2年と比べて集客は高まっていた。
みんな、どこかで発散の機会は必要で、買い物はそれを刹那的に叶えてくれる。
かくいう僕自身、お正月期間中のお休みの日にちゃっかり初売りで安くなったダウンジャケットを買っているから、人のことはとやかくいえない。
新しい日常になり、二つ大きく変わったことがある。
ひとつは、紙の使用頻度について。
もうひとつは、掃除洗濯の頻度について。
紙の使用頻度は、間違いなく高まった。
マスクやティッシュは容赦なく使うし、テーブルを拭くのも繰り返し使える台拭きではなく、使い捨てのアルコールシートだ。
食器洗剤のコマーシャルで、スポンジには雑菌が蔓延っているというイメージ動画はよくみるけれど、思えばこれは台拭きもきっと同じだ。
この生活になるまでは、使い古したバスタオルを裁ち鋏で切って、それをダスターがわりにしていた。
それ自体は変わっていないけれど、衛生面で気になるところでこのリサイクルダスターを使うことが極端に減ってきた。
製紙会社やドラッグストアの売上に、僕は及ばずながら日々貢献している。
そして、部屋を掃除したり洗濯機をかける頻度も上がった。
これは結婚を前に同棲を始めたことも影響しているけど、気持ちよく生活するためには着るものも、住む場所も、きれいにしておきたい。
思ったほど水光熱費が上がらなかったのは意外だったけれど、洗剤の利用頻度はあがった。やはり、スーパーやドラッグストアの売上に僕は貢献している。
こうしてみると、
紙:食事関連
掃除洗濯:住居、衣類関連
と、見事に衣食住が揃っている。
以前だったら「もったいない」だとか、「まとめて片付けよう」としていたところを、こまめに行うようになった。
ということは、捨てる紙ごみが増え、掃除機やクイックルワイパーで取り込む埃やゴミが増え、そして洗濯機から出す排水が増え、何よりそれらのいくつかを使うために電気を使うためエネルギー消費が増えている。
エコだ、チームマイナス6%だとか言っていた頃は今や昔。
人間は勝手なものだ。
僕は、一度刷り込んだ/刷り込まれた価値観をなかなか捨てることができない人間だ。
物心ついた時に映画館でかかっていたドラえもんの映画は「雲の王国」。
先見の明のかたまりである藤子・F・不二雄先生が、おそらくは地球温暖化問題を下地に造った映画で、さらにはドラえもんによる特攻まで描かれる、よく見てみるとかなりの意欲作であり、見方によっては問題作になる作品。
僕はこの映画が当時から好きで、そのせいか
地球温暖化問題をはじめとする環境問題は良くない→環境問題を助長する行為は良くない→日常生活の中でエコロジーにできるところをしっかり努めよう
と考えていた。
それが、自分の生命を担保にされた時にあっさりと覆り、今こうして紙ごみを毎日大量に出し、水も電気も容赦なく使っている。
ふと、自分が何をやっているんだろうと思う時がある。
ネット上には探すまでもなく陰謀論はあり、この世界中での大騒ぎはどこかの業界を持ち直させたり、あるいは利益供与を目論んだ茶番劇だといった意見は、2020年初頭からあったし、この一連に疲れてきたこの頃は特に増えているように思う。
日本は特に、何を持ってこの騒乱に「終わり」をつけるかが見えていないだけに、叫びもきっと日に日に増している。
僕自身は特段陰謀論を掲げるつもりはないけれど、それでもふと気持ちが立ち止まる時、それまで確かに自分のスタンダードにあった「エコ」という考え方と、今自分のスタンダードにある「安心」という考え方のはざまに立っている感覚を、確かに感じている。
とはいえ、当分はいまスタンダードになったこの生活スタイルが、きっと続いていくんだろう。
アルコールシートとボックスティッシュの備蓄がなくなりそうなので、今日あたりまた買いに行ってくる。
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