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三重津海軍所跡と佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館@佐賀県佐賀市(2021年10月)

2021年10月某日、前々から訪れたかった世界文化遺産の構成資産である「三重津海軍所跡」と歴史館を訪問しました。

「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」という長い名前です。

歴史館は3階建てで、1階は三重津海軍所跡展示室、2階は佐野常民展示室、3階は展望室で、三重津海軍所跡を一望できます。また、海軍所跡地へは2階から通路を伝って降りることができます。

歴史館のリーフレット

<三重津海軍所跡について>
1808年のフェートン号事件や、1840年のアヘン戦争において清国が敗れたことで一気に高まった西洋列強の脅威から、長崎警備の重要性を感じた鍋島直正公が、藩船を管理していた場所(三重津)に「御船手稽古所」を設置。後に、長崎海軍伝習所にて海軍技術を学んだ藩士による海軍教育や、洋式船の建造、修理などを行う"洋式海軍の拠点"を創りあげました。
日本初の実用蒸気船「凌風丸」もこの三重津海軍所で造られています。

2015年には、幕末の海軍の様子や日本の伝統技術と西洋技術の融合、自然環境を巧みに使った洋式船の運用方法が具体的にわかる貴重な遺跡として、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。

三重津海軍所跡

三重津海軍所跡にある日本初のドライドックは、現在は保存のため埋め戻されており、歴史館で復元模型を観ることができます。

リーフレットから一部紹介。

館のHPに三重津海軍所跡のフリー画像がありましたので、一部紹介のため貼らせていただきます。

ドライドック木組遺構1(佐賀市 提供)
ドライドック木組遺構2(佐賀市 提供)
ドライドックの発掘調査風景(佐賀市 提供)
三重津海軍所跡全景(真上から)(佐賀市 提供)

形は西洋の技術を取り入れながら、日本古来の土と木で出来ており、その技術力とスケールの大きさ、幕末の佐賀藩の叡智にただただ感動しました。

<佐野常民について>

歴史館の前にある佐野常民の胸像。

1823年、佐賀早津江村生まれ。佐賀藩医、佐野常徴の養子となり、大坂の緒方洪庵の適塾や江戸の伊東玄朴の塾で学ぶ。帰藩後、藩精煉方のリーダーとして活躍し、長崎海軍伝習所にて海軍技術を学ぶ。三重津海軍所の発展にも尽力し、我が国初の実用蒸気船「凌風丸」の建造にも関わりました。
後に日本赤十字社の前身である「博愛社」を創設。佐賀七賢人の1人です。

館の2階では佐野常民についてじっくりと学べます。緒方洪庵先生の門下生にして、後に長崎海軍伝習所にも派遣されています。大変な秀才だったのでしょう。


1855年から4年間、長崎奉行所西役所に開設されたという長崎海軍伝習所は現在は跡形も残っていませんが、その成果の1つがこの三重津の海軍所であり、伝習生の佐野常民だったと思うと感慨深いものがありました。

幕末や海軍好きな方は是非一度行かれてみて下さい。
一見の価値のある史跡だと思います。


館のHPはこちら。HPも素晴らしいです。


明治日本の産業革命遺産の公式HPはこちら。


*この記事は2021年12月18日のFacebookへの投稿を加筆・修正したものです

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