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手放すということは、こんなにもラクなのか。
日々働きながら、家事もして、育児もする。
これまでのフルタイムの仕事をやめ、フリーランスになった。
時間はあるようでなく、毎日は、けっこうあっという間に過ぎ去っていく。
凸凹気質のある娘は、学校に行ったり行かなかったり。その悩みはかなり深くなる時もあるし、一筋縄ではいかないことも多い。
この4月からは中学校への進学も控えている。
飲食店を営むオットは家事には協力的だし、店も忙しく、それなりに軌道に乗っている。去年までは、私も時々店を手伝うくらいだったのだが、今年に入って関わりが増えている。そうすると、「店のここをもっと改善すればいいのに」と思うことが増えてきている。
昨年10月からは、実家の父を呼び寄せて同居を開始した。
長女である自分から声をかけて同居を始めたし、父は温厚で、家族との仲も悪くなく、80歳とはいえ本人も至って元気。介護の必要性はまだないので、ありがたい限りなのだが。
でも、時々「なんで、私ばかりがみんなのためにいろいろやって、こんなに大変なんだ!?」と思うことがあった。
娘の学校の送迎で、毎日80キロ近くを運転。帰宅しても父の用事に付き合ってアッシー。オットから「忙しい」と言われれば、店の手伝い。その合間に自分の仕事。最後にやっつけの家事…。自分の時間は…ない。
大変な理由が、先月参加した「働く女性セミナー」で判明した。
「母親である自分が言わなきゃ、娘は学校に行かない。娘の教育は、私が考えてあげなきゃいけない」
「車のある自分が、移動手段のない父に付き合ってあげなきゃいけない。娘である私が、父の話し相手になってあげなきゃいけない」
「日々の仕事で手一杯の夫に代わり、私がいろいろ経営改善のアイディアを出さなきゃいけない」などなどなど。
すべて勝手に、「自分がやらなきゃ」と思い込んでいたのだ。
誰にも、「やれ」とも「やるべき」とも言われてないのに・・・
勝手に自分で自分を追い込んでいた。
スケジュールは「やるべき」ことから埋めるので、「やりたい」ことをやる時間はなかったのだ。
そのセミナーで気づいた私は、「手放すこと」を決めた。
よくよく考えたら「やるべき」ことなんてなかったし、何より「手放す」と決めてからの、自分の心の解放感たるや!!!
自分にとって大切な「なにもしない日」も、数か月先まで、スケジュール帳に書き入れた。
さっそく娘には、「明日から、朝起きれなくて学校に行かないなら、それでもいい。もちろん、行ってもいい。
もう中学生になるんだし、どちらがいいのか、自分で考えて。自分で決めたことなら、それを尊重するよ」と穏やかに伝えた。
翌日からは、朝の戦争が消えた。
睡眠障害のある娘にとって目覚ましは無意味だし、普通に数回起こしたくらいではまったく起きない。
何度も何度も何度も、娘に「うっるさい」とキレられながらも起こし、なんとか学校に行かせていたのだが、朝からぐったり疲れるそのやり取りを静かにやめた。
なんてラクなんだ!
娘は、その後、ある時は数回、静かに声を掛けただけで起きてくるし、ある時はやっぱり起きれなくて学校を休んでいる。
でも、学校を休んでしまった時の彼女はちゃんと内省している。自分で決めた「行かない」という結果だからこそ、私が何も言わなくとも(いや、言わないからこそ)、自分の出した結果がよかったのか?と、彼女なりに考えているようだ。
そう。私が「いうべき」「やるべき」ではなかった。
私がおせっかいにかかわるのではなく、彼女が自ら考え、気づくことのほうが大切だった。(もっと小さいなら話は別だけど)
というわけで、私は今いろいろなことから解放され、心からラクになった。
ぜひ多くの人に「それって、本当に自分がやるべきことですか?」
「勝手に、そう思い込んで、自分を追い込んでませんか?」と伝えたい。
手放すと、ほんとラクです。
しかも、だいたい、その方がうまくいきます!
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