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昭和の小学生、半ドンのお昼ごはん

土曜日の午後、喜びも悲しみもお昼ごはん次第

私が小学生のとき、土曜日は休みではなく4時間目まで授業があった。そんな、昼までの授業や仕事のある日を半ドンと言ったのだが、週休2日制のいま、その言葉はもう絶滅したのだろうか。ところで、半ドンのドンって何だろう?
それはさておき、土曜は給食がなくみんな家に帰ってお昼ご飯を食べた。私は小さな頃から寝起きが悪く、いつまでも布団の中でぐずぐずしているので、いつも朝ごはんを食べずに学校へ行っていた。お昼にはお腹がぺこぺこなのである。
そんな土曜のお昼、家に辿り着くと一目散に食卓へと向かうのだが、そこに焼きめしや焼きそば、インスタントラーメン、卵とじうどんなどがあったときの喜びといったら。その喜びを表すには、筆舌に尽くしがたいというしかない。しかし、反対に筆舌に尽くしがたいガッカリ飯というものもあった。
その、子ども心をボキリと折ったガッカリ飯を発表したい。

夏のガッカリ飯第1位「そうめん」

いや、今でこそ大好きな夏のお昼ごはんだが、小学生の私はテーブルにそうめんを出されると、「ええ〜、いややあ」とテーブルに顔を伏せて呻いたものだ。だって、天ぷらなどという気の利いたものはなく、そこにはそうめんしかないから。
まだ味の侘び寂びのわからないあの頃、今もあまりわかってないが。シンプルなそうめんは、まずくもないが、そんなにおいしいとも思えなかった。
そのうえ、「いっしょにこれも食べ」と母親が冷蔵庫から出してくるのは、決まってきのうの残りもの。お茄子の炊いたんとかきゅうりの塩もみといった、私の大嫌いなものばかりである。嫌いだから食べない、だから残っているのであって、何回出されても絶対いらない。
今は、茄子もきゅうりも好きである。しかし、小学生のとき、私はジャガイモ以外の野菜が全部嫌いだったのだ。「いらん」というと、「昨日も食べへんかったやろ」と怒られる。しかしそうめんの時は、いつも残りものの茄子ときゅうりがセットで出た。なぜ?
空腹を抱え、夏の日差しにジリジリと焼かれながら、小さな足で40分以上歩いて帰った私の心を、そうめんと茄子ときゅうりが、ボキリという音が聞こえるほどに折るのだった。

冬のガッカリ飯第1位「昨夜のおでん」

おでんはお酒に合うので今は大好きだが、白いごはんには合わないので、子どものときはあまり好きではなかった。前夜の晩ごはんに出されたときも、おでんかあとひとガッカリしているのに、翌日の昼にもそれ。
だが、まだ1回目の夜のおでんには、スター選手が入っていた。卵や巾着、名前はわからないがうずらの卵がピンクの練り物に包まれているようなのとか、コロも入っていた。コロというのは、鯨の皮の下の部分でスポンジみたいな感じのものだが、昔はスーパーでも売っていて関西のおでんにはよく入っていたものだ。
が、翌日の残りのおでんには、ちくわとこんにゃくしか入っていない。
空腹に耐え、冷たい北風に吹かれながら帰ってきたというのに、テーブルの上にあるのは、どんよりとくもった出汁にぷかぷかと浮いているちくわ。私の心はボキリと折れる。

救世主は、いつもマルシンハンバーグ

「ええ〜、いややあ!ハムと卵焼いて」と叫ぶ。「そんなんない。あるもん食べ」と言う母に、「ウソや!冷蔵庫に絶対ある。マルシンハンバーグもあった!焼いてー」と執拗に食い下がる。すると、母はしぶしぶ流しの下からフライパンを出すのであった。こうなるのはわかっている。わかっているからこその、マルシンハンバーグの買い置きのはず。なら、最初からマルシンハンバーグを焼いておいてくれればいいのに。なぜ?

しかし、今になればわかる。茹でるだけのソーメン。お鍋を温めるだけの残り物。忙しいお母さんは、それですましたい時もある。というか、お母さんのお昼ごはんは、多分毎日それだったのだ。
という、美談で終わっておこうと思います。



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