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「伝えるからこそ考えていたことへの気づき」思考と指示と言語と使命感と妥協と成長。

ニュージーランドでサッカーをプレーするのも約1年半。半年で1シーズンが終わるニュージーランドでは3期目に入っていることになる。
ニュージーランドのリーグ構成が変わったこともあり、今はいわゆる地域リーグを戦っている。その後に南島リーグ。そしてそこを勝ち抜けばナショナルリーグを戦うという流れだ。


チームは現在10勝1分け無敗で南島リーグへの参加権を獲得した。あまりこういう言い方は好きではないが正直この地域では敵なしの余裕といったレベルだ。
そんなリーグをプレーしていて最近気づいたことがある。今日はそれについて書く。


「伝えようとするから考えていた」ことへの気づきだ。考えているから伝えていたのではなく、伝えるからこそ考えていたのだ。どちらかと言えばだが。
要は、最近の自分は考える量と質が絶対的に低下している気がするのだ。そんな自分に警笛を鳴らすべく今回は書いていく。
したがって今回の記事は思考と指示と言語。使命感と妥協と、そして成長に関する内容になる。

ボランチというポジション

いきなり余談から入るがボランチというポジションに対する自分の意見を少し書く。正確に言えばボランチではなく、いわゆる№6や№8、10と言われるポジションだ。自分はそのポジションをプレーしている。
このポジションのひとつの特徴はコミュニケーションの取りやすさであると思っている。GKを除くすべてのフィールドプレイヤーの中心に位置し、最も近い距離で全員に指示を送ることができる。その点で指示の送りやすさ、伝わりやすさではセンターバックよりも優位性があると考える。

このことから、僕が試合中に常に考えていることは「どうすればこの相手に勝てるか」基本的にこの一点だ。このために相手の嫌がることや相手の弱点を見極め、そこに対してチームに指示を出し変化を生み出し、ゲームをコントロールすることが好きだ。


次にニュージーランドに来てからのシーズンについて軽く振り返るとする。


とにかく結果を残す事に執着していた1シーズン目。


文字通り、なにも分からない状態からの挑戦だった。チームのレベルもニュージーランドのサッカーのレベルも、自分がいまどんなリーグを戦っているのかも正直分かってなかった。ただ途中で、選ばれた選手は選抜チームのような形で次のシーズンはナショナルリーグ、つまりニュージーランドのトップリーグでプレー出来ることが分かった。だから、そのリーグでプレーしたかった僕はとにかく結果を残す事に執着していた。チームのことなんて考えていなかった。

目の前の試合に勝つことに必死だった2シーズン目。


結果として1シーズン目には、そのリーグでプレイヤーオブザイヤーを受賞し、ナショナルリーグのチームに選ばれた。しかしナショナルリーグはやはり甘くなかった。チームはいきなり三連敗でリーグをスタートし、ナショナルリーグの厳しさを痛感していた。個のレベルを比較しても自分のチームは劣っていた。ただ、それでもチームとしてなら勝てるのがサッカーの面白さだ。チームは徐々に巻き返し首位のオークランドシティに勝つなどの結果も残した。この頃考えていたのは、どうすれば格上の目の前のチームに勝てるかだ。
ビエルサを愛する監督だったこともあり、僕は初めて今でいうところのプレーモデルというモノの上でサッカーをプレーした。正直すごい楽しかった。戦術的にチームで統率され、局所では考える手間を省き、判断を簡単にしてくれる。プレースピード(特に判断)が早くなるのを実感していたし、変なところで考える必要がなくなったことで、考えるべきところをより高い水準に置くことが出来ていた。
シーズンを戦って行く中で、自分の戦術理解度はチームの中でも高いところにいることを気付き始めた。ただ、英語力がないから上手く伝わらない。でも、よりチームを良くして目の前の相手に勝つためには伝えなくてはならなかった。そんな葛藤と闘いながらも、伝える努力を続けた。勝つための思考を続けていた。

チームを成長させないといけない3シーズン目。


チームは1シーズン目に戻り、リーグも地域リーグに戻った。個人としては11試合で9得点を決め、25試合で10得点に終わった1シーズン目を早くも超えようとする結果を残せている。チームとしても1引き分け全勝と順風満帆にシーズンを送っているように見える。しかし、僕の心の中は穏やかではない。その理由は、このままではナショナルリーグでは勝てないことを理解しているからだ。1シーズン目の自分と違うことはナショナルリーグを経験したこと。ろくな戦術もなしに、個のレベルだけで勝ててしまうこのリーグに満足できる訳がないのだ。
チームの監督は2シーズン目とは違い戦術的なことはあまり言わない。だからチームのプレーを比較的自由になりがちだし、積みあがっている感覚も少ない。そしてなにより僕は気付いた。「今の自分は妥協していることに」
先に述べたように今のチームは地域リーグでは他チームより圧倒的に優れているので、特に戦術的にいじらなくても勝ててしまう。そのことから僕も「伝えなくていいや」という考えが自分の中に浸透していった。その結果なにが起こったかというと、頭が疲労しなくなったのだ。これは個人的にかなりやばいことだと思っている。

なぜ頭が疲れていないのか


この答えは単純で考えずにことが足りてしまっているからだ。もう少し掘り下げると、サッカーにおいて、2-1などの勝利を5-0など完璧なものにすることよりも、勝ち負けに対する熱量の方が圧倒的に多いということだ。つまり、特に考えずに勝ててしまう中で、思考を高い水準に維持し続けることは難しいとになる。しかしそれではまずいのだ。
プレイヤーとしてほんとうに目に見える特徴のない自分にとって、戦術理解度とゲームコントロールはひとつの武器であると控えめながら自負している。そんな自分が個の武器を失ってしまったら、なんの魅力もないフィジカルとこの技術のみでサッカーを闘わなくてはならなくなる。そんなんで高みにいけるわけがない。

考え続けるためには

今考えていることは「どうすれば高い質の思考力を維持できるかだ」
そしてその答えが「伝えること」にあると思う。なんの変哲もないことを言っているが、当たり前に伝える事が出来ていた日本では気付けなかったことなのだ。日本では周りのチームと比較して圧倒的に弱いチームでプレーしていたし、それでもチームを勝たせたかったから必死に考え、伝え続けてきた。ある種、そこに使命感を感じていたのだ。その結果、考える質という面ではかなり早い成長が得られていたと思う。
ニュージーランドにきて1年半。英語をなめている全日本人に伝えたいが、たかが1年でみんなが想像しているようなペラペラ状態には辿り着けない。少なくとも僕はまだまだペラペラではない。だから伝えるということにかなり労力を使うのだ。それは思考の疲労とも身体的な疲労とも少し違う。シャイな自分にとってはある種ストレスに近いものなのだ。自分の成長の為にも、考え→伝える。その伝えるためにも英語という言語をもっと勉強しなくてはならない。このサイクルを回し続けなくてはサッカー選手として生きのこることは出来ない。


今の自分は妥協している。そこに気付くことは出来た。この妥協を変えるものはなんなのか。使命感ではないかと思う。チームを勝たせることに執着し、伝える事に使命感を感じていた経験から、僕にとって使命感が考えることを維持し続けるのかもしれない。ただ今の状況でチームを勝たせることに使命感を感じることは至難の業だ。大事なことはそのベクトルを変えることだ。チームを成長させることに。そこに対して使命感を課すことが出来れば、自分はもっと成長できる。きっとそうに違いない。

もうこの気づきはいらない。

今のところこの先もいろんな国でサッカーを続けていくつもりだ。その国々のカルチャーに興味があるし、いろんなサッカーを知りたいからプレーしてこの身で体感していきたいと考えている。ということは、この問題はこの先の自分にまた起こりうるということだ。英語圏でないどこか違う国でサッカーをした時に同じ妥協が起きかねない。こんな経験はもう自分には必要ない。そんな戒めを込めてここに記しておく。


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