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半年間の無職・無収入生活を生き延びた理由のすべて。

半年間のビザ問題についに終止符が打たれました。
半年ほど前にこんな記事を書きました。

ワーキングホリデービザが切れた2020年12月上旬。
ニュージーランドはコロナでボーダーを閉じている事もあり、ワーホリビザの期限を過ぎるすべての対象者にSSEビザというものを発行しました。
このSSEビザとは園芸や果樹園でのみ労働が許されるビザです。
サッカーのシーズンも半分以上が残っていたため、とにかく滞在できることに感謝していましたが、仕事が出来ず貯金もえげつないスピードで減っていきました。

そこから12月が終わるころ、チームのマネージャーから「チームからワークビザだせるっぽい」というニュースを聞いたところで、前回の記事は終わっていたと思います。

今回はそれからの話
・なぜ6か月もかかったのか
・どうして6か月も働かずに収入なしで生き延びることが出来たのか

について書いてきます。

ニュージーランドに限らず、ワーキングホリデービザで海外サッカーに挑戦したいと考えている人は、知っておいて損はないと思います。

・なぜ6か月もかかったのか


まず覚えている範囲で2021年の動向を振り返ります。
1月:
「チームから取ろうとしているビザはどうやら9か月間のビザになるみたいだ。」という連絡を受け、2021年シーズンは12月中旬まで続くので、今取ると最後までビザがもたないということになり、3月あたりまで申請は待とう。ということになりました。

2月:待ち。

3月:
「どうやら9か月じゃなくて1年間の滞在許可が得られるっぽい」という連絡を受けました。そこからイミグレーションアドバイザーから自分とチーム、そしてもともと働いていた職場に必要書類を提出するように連絡がありました。

4月:
ワーホリビザの時にバイトしていたカフェに、ジョブオファーをお願いしていたのだが、そこで停滞していました。
理由としては、政府としてはまず自分の国の人たちの雇用を優先して確保したいので、外国人である私たちにジョブオファーを提出することが難しかったからです。
ここで私の中で一つ疑問点が生まれました。
「そもそもジョブオファーがないとそのビザの申請は出来ないのか」
ビザの種類はSpecific Purpose visaという特定のスキルを対象とした、僕の場合スポーツビザのようなものです。チームからビザを取得しようとしているのに、なぜカフェのジョブオファーにてこずるのか。そして前のシーズンが終わった時に、ありがたいことに北島のチームなどからもオファーをもらい、その時に全く同じビザを申請してくれるという話を聞いていたので、ジョブオファーはいらないんじゃないかと思いました。
それをイミグレーションアドバイザーに確認したところ、「滞在に必要な資金を証明できれば、ジョブオファーなしで申請できるし、そっちの方が全然楽だよ」との返答が。
私の日本とニュージーランドの少ない残高を恥ずかしながら見せたところ、「これなら大丈夫」ということになり、ここからジョブオファーなしで申請する事にシフト転換します。

5月:
・健康診断の受診
・無罪犯罪証明のための指紋とり
そして日本の残高証明書を英文で発行できずに手こずります。三井住友に何度も問い合わせをして、ハンコがないと発行出来ないということになり、ニュージーランドに在住している私は発行手段を失います。
イミグレーションアドバイザーから翻訳会社などに翻訳してもらうことを教えてもらい、僕の残高金と名前と口座番号などを翻訳するだけに5,000円ほど払って、英文での残高証明書を確保しました。

そして5月下旬。すべての書類がようやく揃い、ビザの申請が終了しました。申請をした時点で、この時点での取得がビザの期限6月30日を過ぎても申請しているビザが発行されるまで暫定ビザが発行されるので、違法滞在しなくて済むようになりました。
期限が迫ってきてもなかなか進行しないビザ申請のストレスからようやく解放され、一安心といった所でした。

※ちなみに、やっていることは大して多くないのにそれぞれにすごい時間がかかっているのは、連絡しても返事が一週間くらい帰ってこないことなどが、あったからです。すべてはイミグレーションアドバイザーを中心に進行していくので、かなりゆっくり物事が進んでいきます。

6月:
申請してから3週間ほど過ぎ、そろそろ発行されるんじゃないかと待っていた頃、NZ政府からあるアナウンスがされます。「すべてのワーホリビザとSSEビザを持つものに半年間の再延長ビザを発行する」
しかも今回のSSEビザは園芸や果樹園の労働に限らず、どこでも働けるオープンビザに進化した内容になっていたのです。このニュースを見た私は、「このビザがあれば、今申請してるビザ要らなくね?」と思い、イミグレーションアドバイザーに確認を取ります。
今のところ今年いっぱいでニュージーランドを去ることを考えている私にとっては、新しく発行されたSSEビザで十分だしむしろそっちの方が良いということになり、申請していたビザを取り下げます。
しかしここで最後にもうひとつ。対象者には25日までに送られる確認のメールが政府から届かないのです。日本人の感覚でいくと三日前までにはこんな大切な知らせは届きそうですが、いっこうに届きません。待つことついに25日。「もしかして対象外だったんじゃないか」と最悪なケースが頭にちらつくので、イミグレーションアドバイザーに連絡すると、ちょうど私のメールと同じころに政府から正式なメールがイミグレーションアドバイザーのもとに届いたそうです。

こうして半年間のビザとの戦いに終止符が打たれました。
無事にSSEビザを延長され、半年間の滞在許可をもらい、これからは働いてお金を稼ぐこともできます。
自腹で払った健康診断や、英文の翻訳書も結局すべて必要ありませんでしたが、それを含めても今はハッピーです。

・どうして6か月も働かずに収入なしで生き延びることが出来たのか

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まず最初にこれだけは言わせてください
「収入のない生活は精神的不安がかなりでかい」
意外と日本にいた時とかも、働きたいときにアルバイトとかできていたし、大学を卒業して就職した人たちも「収入ゼロで生活」を経験したことがない人は多いんじゃないかと思います。かなり焦るというか、考えざるを得ないいい経験だったと思います。
さて本題に移りますが、私が半年間生き延びられたのには2つのポイントがあります。
1,給料を得ることは出来ないということ
2,ニュージーランドはプロサッカーではないということ

まず一つ目。
要はお金を稼ぐことは許さないけど、お金をこの国に落としていくことはありというのがこのSSEビザです。自国の人たちの雇用を守りたいが、この国にお金を使ってくれる分には構わないから滞在していいよということです。
どのように私は生き抜いたかというと、生活費をチームから支払ってもらっていました。正直これがかなりでかいです。
毎週約12,000円の家賃を払っていたのですが、ここの部分の出費がなくなるだけで、かなり貯金が減るペースは落とすことが出来ました。それにプラスして、前に所属していたチームでは食費も払ってくれていたので、実質お金を使うことなく生活出来ていたのです。
収入を得ることが出来ない私に代わって、チームが出費を負担してくれていた事で、法を犯すことなく生活をすることが出来ました。ただ、チームがサポートしてくれたのも収入がなくなってから二か月近くたったころだったので、この時点でかなりの貯金を失っていました。

そして二つ目。
ニュージーランドはプロサッカーでないことから給料ではなく、活動費として選手にお金を払うことが出来ます。これは週に250NZドル(約17,500円)までと金額が決まっていますが、この制度がSSEビザの盲点を突くことが出来ました。イミグレーションアドバイザーによると、活動費は給料ではないから、SSEビザでも受け取ることができるとのことでした。
これによってCanterbury Unitedでプレーしてた3月までの間は、チームからお金をもらうことが出来、最初の二ヶ月で失った貯金を少しずつ取り戻していきました。

とはいえ、3月からプレーしている今のチームは、もともとボランティアが主体のチームなので今はお金をもらってプレーしていません。4,5,6月はまた収入を得る手段を失い、出費こそ食費のみで多くはないですが貯金を切り崩す生活をしていました。ワーホリビザが失効し働けなくなった2020年12月上旬と比較すると、半分近くは貯金が減りました。
こうして今日6月27日までなんとか生き抜き、7月からはまたお金を稼ぐことができるようになります。

以上がこの半年間のビザとの戦いのすべてです。

最初にも言いましたが収入がまったくないという状況はかなり精神的不安が大きいです。でも、このことから私はたくさんの事を学んだと思います。
当たり前のように無駄遣いをすることはなくなりましたし、食費もかなり気にするようになり主婦並みに節約にこだわっていたと思います。しかしそれでも抑えることが出来ない購買欲が自分にはあった事にも気づくことが出来ました。
チームメイトや友達から飲みに行こうと誘われても、普通に断れるメンタルも身についたし、酒なんてほとんど飲まなくなってコンディションも良し。
改めて会社の仕組みや給料というものについて考えるきっかけになったし、自分の無力さも嫌というほど痛感しました。正直、ここには書けないような経験もたくさんしました。
でも、なにより、多くの人に本当に助けられ、支えてもらって生き延びたことで、人の温かさをたくさん感じることが出来たのが一番いい経験だったかと思います。
チームのマネージャーと練習後にこっそり買い物に連れていってもらったこと。
その時にマネージャーが話してくれた話。
多くのチームメイトが「困っている事があったらなんでも言えよ」といってくれたこと。
今でも鮮明に覚えているし、今後の人生でも忘れたくない温かい経験をたくさんすることが出来ました。

大人になってから初めて「まったく働かない生活」を半年間経験したことは、自分にとってすごく貴重なことだったと今は思います。と、同時に子供の頃思い描いていた”大人”にはまったくなれていないことも痛感しました。今回のビザのように、自分にはどうする事も出来ない問題に直面した時に、いかに自分と向き合うことが出来るか。逃げずに自分と向き合い続けることが出来れば、少しは立派な大人に成長できるんじゃないかと、考えています。
とにかく、私はこの経験を活かして、これからも頑張っていきます。

ワーキングホリデーでの海外サッカーなどを考えている人はもしかしたら似たような経験をするかもしれません。サッカーに限らずビザはやっぱり重要な問題です。なにか参考になることがあれば幸いです。

さいごにお知らせなんですが一か月ほど前から、環境問題系のブログを開設しました。まだ方向性も定まっていないような状態ですが、勉強も兼ねて発信していますのでよかったら、みに来てください。



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