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蒲田行進曲 (2007)

※上演ご希望ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。著作権及び上演権はつかこうへい氏に帰属します。


【上演記録】

COLLOLリーディングシリーズ「recall: 1」
vol.2:蒲田行進曲

@門仲天井ホール
2007年6月30日(土)〜7月2日(月)
http://www.COLLOL.jp/recall/


CAST


清水 宏  →→→ 倉岡銀四郎(銀ちゃん)


大倉 マヤ →→→ 小夏


堂下 勝気 →→→ 村岡安次(ヤス)



STAFF

words&direction  田口アヤコ

音響演出     江村桂吾


照明       瀬戸あずさ

舞台監督     吉田慎一(Y's factory)


制作       COLLOL

制作補     守山亜希(tea for two)
日下田岳史 宮田公一 高橋悌

演出協力     角本敦

宣伝美術     鈴木順子



この文章は、
vol.1 ガラスの動物園
vol.2 蒲田行進曲
共通の当日ごあいさつとして書いています。

恋と愛についてかんがえています、
簡単に、手に入れたり、失ったり、してしまう、

奪ったり、我が物としたり、得たり、勝ち取ったり、
契約したり、みつけたり、交換したり、納得させたり、
説得したり、栽培したり、そだてたり、はぐくんだり、

手放したり、売り渡したり、見失ったり、捨てたり、
投げ捨てたり、うそぶいたり、裏切ったり、
隠したり、手から離れたり、溶けたり、
失敗したり、切ったり、ほかのものを選んだり、

リサイクルしたり、


血縁、というのも
いまや切っても切れない仲、ではなくなった時代のようです、が

死ぬまで、わたしたちは、
手に入れたり、失ったり、

よろこんだり、かなしんだり

どうぞごゆっくりおたのしみください

COLLOL
劇作家/演出家/女優 田口アヤコ


*********

登場人物
小夏
銀四郎(銀ちゃん、土方歳三)
村岡安次(通称ヤス)

●第一幕●

(拍子木の音。)

銀四郎(土方歳三): (極小の声量から徐々にボリュームアップ、台本の朗読調)
「坂本龍馬「誰じゃい、そこに隠れとんのは。誰だ、貴様!」
土方歳三「新撰組の……」
坂本龍馬「新撰組はわかってるぜよ。そのくせえ芝居見りゃあな」
土方歳三「土方歳三です」
坂本龍馬「ははん、お前か。お前、評判悪いぜよ。若いモン先に立たして
自分だけ生き残ろうって魂胆だろうがそうはいかんぜよ」
「坂本さん、あなたは、これからの日本にとって必要な人です。
京の一人歩きは危険です。供の一人も連れて歩いたらいかがです」
坂本「フンおい、梅香! チッス教えてやろうか、チッス。チッスはええぜよ。
(梅香 目を閉じる)
クハーッ。クニ出て以来牛や馬の口ばかり相手してたけん、
たまの人間だと勝手が違うて困るぜよ」
「坂本さん、白昼往来であまりムタイな真似を…」
坂本「おはんらにワシが殺せるのか、その度胸があるのか!
三権分立が、デモクラシーが、おはんらの頭でできるのか。
この日本を建て直せるのか!
俺殺したらこの国はひっくり返るぜよ、
日本はエゲレスの属国になるぜよ、
ペッ!
梅香、今度はセックスちゅうのを教えてやるぜよ。
セックスは、また格別ぜよ。」
土方「貴様…許せん!」
土方の手が刀の束にかかる。」

ト書き(小夏): 銀四郎 立ち上がる。

銀四郎(土方歳三): 新撰組の……
土方歳三です。

裏からの声(ヤス): カーット!
おつかれさまでーす!(ヤス出て来る)

ト書き(小夏): スタッフたちが照明やセットのばらしを始める。
梅香役の小夏もヤスも化粧を落とそうと去りかけるが、
土方役の銀四郎は充血した目をギラリと光らせる。

銀四郎: 「梅香……」

ヤス: あれ、まだカメラまわってんですか?

銀四郎: 「惚れたか、あの男に」

小夏: 「……いえ、いつもつきまとわれて」

銀四郎: 「俺は、お前が陽気な男と話しているのを見るのは、好かん」

小夏: 銀ちゃん……。

銀四郎: 「惚れたか、あの男に! 俺は、あの坂本が憎い。
野に遊び夢を語るあの男が憎い! 
この俺から、かけがえのないお前を奪った坂本龍馬が憎い!」
(小夏、銀四郎に思わず抱きつこうとすると、照明がかわり、真昼のように明るくなる)
……台詞の稽古してたんだよ。何のっかってんだよ。そんなに優しい言葉かけてもらいたいのかよ。女がよ!

ヤス: あれで本番やってたんじゃないんですか。

銀四郎: 次のシーンは昼からって言ってたじゃねえか。台詞の稽古してたんだよ。

ヤス: カッコいいなぁ! ド迫力でしたよ。

ト書き(小夏): とまた銀四郎は、充血させた日を小夏にむけ、台詞を言い始める。

銀四郎: 「この俺から、かけがえのないお前を奪った坂本龍馬が憎い!」
どうだ、俺決まってるか? 
                ・
ヤス: もうたまんない、カッコいいんだから。

銀四郎: さっ、メシだメシだ。

ヤス: よ、よ、この日常本番男!

小夏: 銀ちゃん、話あるの。(ヤスに)ごめんね、すぐ終わるからね、
先に行っといてくれない。(ヤス、銀四郎の顔色をうかがいながら、退場)

銀四郎: あんなゴミみてえな男に気安く声かけるんじゃねえよ。

小夏: 今日、帰って来れる?

銀四郎: まだいるのかョ、あのマンションに。

小夏: まだいるのかって、ほかに行くとこないもん。

銀四郎: 管理費とか水道代とか自分で払っとけよ、俺は住んでねえんだから。

小夏: お金なんかないわよ。仕事してないんだから。

銀四郎: どんどん仕事とればいいじゃないの。

小夏: 銀ちゃんでしょ、みんなやめさせたの。
二年も女優やめてて、こんな中途半端な年になって仕事くださいったって
いい役なんてないわよ。
あたしだって、こんな芸者の役がせいいっぱい。

銀四郎: 役をどうこう言える立場じゃないんじゃないのか。
女も三十まで女優やってるとプライドばっかり高くてよ。
ゆかりにでもたのめばいいじゃねえか。

小夏: ゆかりなんか、あたしの下にいたペーペーじゃない。
あんなのに頭下げて役くださいなんて言えないわよ。

銀四郎: この我の強さだったんじゃねえのか、俺たちが別れた理由もよ。

小夏: ……あたし、今度いつまで待てばいいの?

銀四郎: 待つって何をだよ?

小夏: 今度の娘、神戸女学院だって? 朋子の時みたいにお料理教えてあげようか?
またクレープばっかり食べてるんじゃないの? 
ガラス張りの、フルーツパーラーで。ワンパターンなんだから。

銀四郎: つきあってねえよ。

小夏: つきあってるんでしょ。

銀四郎: つきあってねえよ!

小夏: めぐみっていうんだって。

銀四郎: お前が何で名前を知ってんだ。

小夏: みんな知ってるわよ。

銀四郎: またあっちこっちいって、電話かけて聞き出してるんだろ、
今度の銀ちゃんの子、何て名前? どんな子?
三十にもなって恥ずかしくないのか!
まさか、メグ呼び出したんじゃねえだろうな。

小夏: メグって呼んでんの。

銀四郎: これだよ。オレがメグって呼んでるって何で知ってんだよ。
三十女が目尻のしわの分アンテナばっかり張りめぐらしやがってよ。
タチわるいったらありやしねぇ。

小夏: 自分で言ったんじゃない。

銀四郎: 俺が言うか。メグってのは二人きりの時にしか呼んでねえ秘密の呼び名なんだよ。

ト書き(小夏): テニスウエア姿のヤスが入ってくる。

ヤス: 銀ちゃん、めぐちゃんテニスのラケット持って来てますよ。

銀四郎: 待たせとけ。

小夏: あたしどうしたらいいの。

銀四郎: 俺こないだよ、都ホテルの中国物産展行ったぞ。
なにせ一緒に行くとこが物産展だもんな、渋いよ。
このハチミツ無添加なの。これからは自然食にしてね、
いいぞ、人間やっぱ玄米だな。
卵だって、農家の庭でオスがメスを実力で犯した卵じゃないと栄養がないんだって。
ブロイラーなんて人間の食うもんじゃないぞ。どうだ、シブいよ。俺、
少しハゲてきたか。最近ハゲてんだよ、一本一本抜いてな。
メグがよ、銀四郎様ハゲたらいいなって、ポソッと言うんだよ。
なぜなのってオレが聞くと、
ハゲたらほかの女の人にもてなくなるから、メグー人のものになるから、だって、シブイよ。
こんな汚れきった俺が、そんなこと言われていいのか世の中。
俺言ってやったのよ、これからハゲるって! チキショウ俺はハゲルぞ! 
ツルッパゲになってやるんだ。       

小夏: キチガイ!

銀四郎: キチガイでいいの! 恋してる男は。

小夏: ……突然別れるって言われたって、
そりゃ銀ちゃんに女ができるたびにくっついたり別れたりしたわよ。
でも、あたしたち一緒に住みはじめて八年だからね。そうそうマに受けられないんだよね。
あたし、もう年でしょ。

銀四郎: 年だな。

小夏: うん、年でしょ。……だから田舎の方でもなんだかんだうるさいのよ。
で、ママに手紙書いたの。

銀四郎: ほう、たまには親孝行した方がいいぞ。

小夏: 1度会ってくれないかなって。

銀四郎: あれ?

小夏: あした、ママが出てくんのよ。だから食事だけでもしてくんないかなァ。

銀四郎: ムチャクチャ言うなよ!

小夏: 何がムチャよ。
娘が三十にもなってどんな男と付き合ってるのか、結婚してくれるもんなのかどうか。
結婚するんだったら結納とか、日取りとか、やっぱ気にするのが親でしょ。

銀四郎: まさか、俺がプロポーズしたなんて書いたわけじゃないだろうな。

小夏: 書いたわよ、書いたわよ。女の私からプロポーズしてますなんて書けないでしょ。
女にここまで言わせないでよ。

銀四郎: おまえ今どういう時期か知ってるだろうな。

小夏: わかってるわよ。
新撰組初めての主役で、土方の台詞、寝言でだって言ったりしてるんだもん。
がんばって欲しいと思ってるわよ。

銀四郎: そうだよ、今まであの橘にとられてた主役やってんだよ。

小夏: こんな時に、こんな話持ち出すのどうかなと思ったんだけど。
あたし医者に行ったら三ヶ月だって言われたのよ。

銀四郎: いばるな! 三ヶ月くらいで。
オレだって三十過ぎて、ほっときゃ四十になろうって年なんだ。
オレの見せ場の階段落ちはずすって話だってあるんだぞ。階段落ちなかったら橘の方がよっぽどいい役じゃねえか。きのうの記者会見だって呼ばれたの監督と橘だけだよ。
でも、東映の来年のカレンダー俺にしようって話もあるんだよ。映画一筋にやってきたんだぞ、俺は。

小夏: 銀ちゃんには、映画で成功してもらいたいわよ。

銀四郎: 成功するよ。お前、俺をテレビタレントにひきずりおろしたいのかよ。
おめえみてえなズべ公とスキャンダルをおこしてみろ。

小夏: あたしじゃダメだと思ってるわよ。
でも私、こんな体じゃ水戸の実家にも帰れないのよね。

銀四郎: 何で?

小夏: 帰れないでしょ、お腹に赤ちゃんいるんだから。
銀ちゃんがもらってくんなきゃ、ほかに行くとこないのよね。

銀四郎: おまえ、これ以上ムチャクチャ言うと、告訴するぞ。

小夏: お母さんももうそのつもりでいるしね、
銀ちゃんのこと好きだし。こないだ銀ちゃん事故った時、

銀四郎: 事故ったってんじゃねえんだ。事故を起こしたって言うんだよ
はしたない、このズベ公が。
それでよく東映しょって立とうって俺の女房になりたいなんて言えるな。

小夏: お母さん、示談金出してあげたでしょ

銀四郎: 何だ、金のこと言ってるのか

小夏: いや、ママの気持ちもね。
お父さんももう年じゃない。で、どうなのかしら。一緒になっていただけるもんなのかしら。

銀四郎: わかんねぇんだよ、何言ってるのか。もっと大きな声で言ってくれよ。

小夏: もらってください。お願いします。

銀四郎: えっなに? 聞こえねぇんだよ

声(ヤス): 本番、行きまあす。5秒前。

銀四郎: はあい。

声(ヤス): 4秒前!

小夏: すぐ終わるわよ、話!
で、どうなのかしら、もらってもらえるのかしら?

声(ヤス): 3秒前!

銀四郎: 三十女がシワつくってもらって下さいって言ったって、気色悪くてもらえるかよ。

声(ヤス): 2秒前!

小夏: あたしもう身体ボロボロじやない。産みたいのよね、あたし。

(拍子木の音。)

声(ヤス): カーット!

銀四郎: おいヤス、カメラはどこでオレのアップを撮ってんだよ。
てめえが写ってどうするんだ。
てめえのツラなんか誰も見たくないんだよ。
監督さん、すいませんね。こいつらがチョロチョロ写りたがるんですよ。
どうします? 撮り直します?
いまの袈裟懸けのシーンだよ。
俺が、ここでパッときたときさ、カメラがズームアップしてきて、
こいつのドタマがふっと上がってきたのよ。
本当だったらさ、俺がここでスパッと斬ったとき、
哀しく人を斬っていく魔性の男を表現したいわけよ。
出てたでしょ、俺の目から魔性。
この魔性がこいつのドタマにぶつかって、行くとこなくなったから、
しょうがないから、こいつの耳ん中に魔性吹き込んでやったんだよ。
ヤス! てめえのツラなんか誰も見たくないんだよ。
てめえは芝居ができるんだから脇で固めてりやいいんだよ。
俺は芝居ができないから真ん中に立ってるんじゃないか。
監督、別に苛めてるわけじゃないんですよ。
集団創造というものを教えてやってるんですよ。

ヤス: ありがとうございます。

銀四郎: ほんとうは仲いいんだよな、俺たち。早稲田の演劇科から、ずっと一緒だもんな。
監督、なんで俺がこいつ最後に斬ってると思います?
できるだけ生かしておいて、
こいつの演技が少しでも監督に認められれば、と思ってるわけですよ。

ヤス: こういう人なんですよ、銀ちゃんは。

銀四郎: 俺たちピックリ息が合うもんな。こいつじゃないとダメなんだよ。
殴るときもこいつだと本気で殴るからね。殺してやろうって気になるんだ。
痛いって言わないんだこいつ。
(殴る)ほら、痛くないんだ、全然痛いって言わないんだもん。
斬るときだってそうよ、他のヤツ斬ると痛そうな顔するじゃない。
オレもつい手を抜いちゃうんだよね。
こいつは違うの、殺してやろうって気になるのね。そういう顔してんだよ、こいつの馬面がよ。
何かあるんだよね、こいつには。こすっからさとかさ、思い出させてくれるんだよ、
見れば見るほど。色々似てんだよ、小学校のときの番長とか、中学の時の風紀委員とか、

ト書き(小夏): 銀四郎、刀でヤスを斬り、そのまま床に叩きつける。

銀四郎: 何に似てるかわかったよ。
お前、中学のときの保健体育先公だよ。俺が宿題忘れたらよ、
「てめえ受験の必須課目の英語や数学だったら忘れねえくせによ」って
ガンガン殴ったやつだよ。
一生忘れねえよ。俺はそういう子じゃなかったんだよ。
むしろ必須課目じゃない保健体育だからこそ、宿題は忘れないっていう
和を大切にする子だったんだよ。あれから人生観変わったんだよ俺。
俺は一生こうやって誤解されて生きてゆくんだって。
おまえ、ひょっとして前世で俺殴らなかったか。
おっと監督よ(帰ろうとする監督を呼び止める)、妙な噂聞いたんだけどよ、
ラストシーンの池田屋の階段落ち、あれ、はずすの?

ヤス: あれ、銀ちゃんの、土方歳三の見せ場ですよ。

銀四郎: 監督よ、あのシーンがなかったら、
健だの文太だのの方がよっぽどいい役じゃねえか。
俺にあいつらの下につけってのか?
俺、舞台出身だぞ、舞台出身の俺がなんで文太の下につかなきゃいけねえんだ。
警察? そりゃ警察はうるさく言うだろうよ、
警察は止めるよ、立場上。それを押してやるのが映画なんじゃないの?
東映は何のためにヤクザ飼ってんのよ。
戦後、東映は新撰組五本撮ってる、
けど、階段落ちはずした監督いないよ。
三十三年の「血風録」で五人、三十八年の始末記で十人死んでるんだけどね、
でもいい映画はみんな死んでるんだよ。
東映京都撮影所じゃあよ、暮れの十二月二十三日の御用納めの日には
スタジオの前に救急車と、パトカー待たせておいて、
ワンカットで階段落ち撮るってのが、しきたりなんだよ。
こんなカドよ、こんなカド、樫の木一寸五分、
スクリーンに見合うように一段一段が高い階段、
そのカドにガンガン頭ぶつけながら落ちてくるんだけどさ、
あがりがまちが一メートル。タタキなんて人が通ったりカメラが通ったりするからコンクリートでガチガチ。
よくて半身不随。
たしかに、こういう役をやりきれる役者が京都にいるかっていうと…

ヤス: 銀ちゃん、俺、やります。

ト書き(小夏): 立ちあがったヤスに、銀四郎が新聞記者のまねをしてインタビューを始める。

銀四郎(新聞記者): 僕もギフンを感じるなあ、
こういう危険なシーンをワンカットで撮るということは、
どうお考えですか。

ヤス: 僕は大部屋ですけどね、映画本来のダイゴ味っていうのは、
こういう危険なシーンをワンカットで撮ることですね。

銀四郎(新聞記者): 監督はあなたを殺そうとしてるんですよ。 

ヤス: 僕は監督を男にするためでしたら……

銀四郎(新聞記者): 男に? シブいね。

ヤス: 死をもいとわない覚悟です。

銀四郎: ボキッボキボキボキ! 
(ヤス、倒れるふり)ヤス、大丈夫か!
監督、聞いたか?
「男にするためには」役者がその時ここまで監督をたててやろうとしてるわけだよ。
監督さん、熱がちがう。シャシンにかける熱がちがう、

ヤス: (銀四郎を押しのけるように)
それよりも監督、ワタクシメが、今度の映画で死んだりなんかすると……

銀四郎: 死んだりなんかすると?

ヤス: お客がドバドバですよ。

銀四郎: ヤス! しかし危険だよ、やっぱよそう。

ヤス: なに言ってるんです、銀ちゃん、
俺が死んだら、「新撰組撮影中大部屋役者一人死亡」新聞の見出しバーンですよ。
お客がドーン! そいでまた新聞の見出しバーン!
「幻の階段落ち、十五年ぶりに再現!」
「倉岡銀四郎、魔性の演技に開眼!」

銀四郎: …

ヤス: (池田屋主人の声音で)
お二階の方々、新撰組の御用見回りでございます。お逃げ下さいませ。
お二階の方々、新撰組の御用見回りでございます。お逃げ下さいませ。

(拍子木の音。)

銀四郎: カーット! 振り向いたか?

ヤス: 振り向いてません!

銀四郎: 振り向いたか?

ヤス: 振り向いてません!

銀四郎: よーし、オーケー!
決まるね。土方が斬って、こう階段の下見てるだろ。
ガタン、ガタン、ガタガタゴキッバキッ!
落とせるかネ、落とせる奴いるかね。
俺か、土方か、倉丘銀四郎か。
これを殺せるヤツがいたら、人間じゃないね、役者だね。
クレーンカメラでガーッと追ってくだろ、樫の木が一寸五分、13段。
あがりがまちが1メートル。
コンクリートのたたきがガチガチだろ。一回しか撮れねえ、
十五年前「新撰組血風録」で階段落ちやったトミヤマさんの話だと
よくてアバラが二、三本肺に突き刺さって半身不随
一回で決めてくれよ、撮り直しったって、お前は半身不随なんだからできやしねえ。
だけど、その日だけ主役だぞ。お前の顔、クレーンカメラでダーッとアップで撮ってやるよ。
遅れて来い、遅れて来い、待たせろ、待たせろ。
チンピラ俳優どもがよ、
東京とかけもちだ、新幹線、最終に間に合わせろったって知ったこっちゃない。
お前の好きな時間にスタートかけろ。
300人のスタッフ、しめて一億二千万円也のスターさんたちがお前の命令でしか動かんぞ。お前、死ぬかもしれないんだから、やりたい放題、言いたい放題だ。
ただ、振り向くな。土方がオーリャッ、こう斬ったところで、お前は死んでるんだからよ。
死人が振り向くわけないもんな。振り向くとボツだ。
何しろ、これは、アップアップの大衆娯楽時代劇だからヨ。
東映京都撮影所じゃあ、暮れの御用納めの日には、
スタジオの前に救急車とパトカー待たせておいて、
ワンカットで階段落ち撮るってのがしきたりになってる。

ヤス: 監督。俺が死ぬのが分ってんだったら、
銀ちゃんに最初から真剣持たせた方が良いんじゃないけ?
その方が安心して撮れるんじゃないけ!?
俺が死んだって、銀ちゃんのためならって命知らずの大部屋がゴロゴロしてるんだからよ。

銀四郎: (ヤスを殴りつけ)ヤス! 監督先生に対して、そういうロのきき方はないナ!

ヤス: は? 銀ちゃん!

銀四郎: あーん!?

ヤス: どうして銀ちゃんは人間に対してそう優しくなれるもんなんですか!

銀四郎: そりゃ大衆とともにあるスターの宿命よ。

ト書き(小夏): スタジオの中は銀四郎とヤスの二人きりになり、寒々としてくる。

銀四郎: とうとう俺は人殺し、か

ヤス: 銀ちゃんは関係ないスよ。
関係ないスよ。俺が遺言書いときますよ。ぬかりはありませんよ。
いいですか、銀ちゃんの初めての主演映画ですよ、俺が階段落ちなくて、誰が落ちるんですか。
あんまりわからないこと言ったら俺怒りますよ。
銀ちゃん、水くさいスよ。
「おいヤス、死ね」「はい、ようがス」
「おいヤス死んでくれ」「はい、ようがすようがすようがす」。
俺、喜んで死ぬでしょう。大部屋の連中だって銀ちゃんのことたてよう、たてようって……

銀四郎: (両手で女を抱くマネ)やってるか、コレ。

ヤス: ………

銀四郎: 毎晩か。

ヤス: ………

銀四郎: どうなんだ、女房。
                       
ヤス: ……女房って……

銀四郎: 女房じゃねえか小夏は。お前、やりづらくねえか、俺、左利きだったからよ。

ヤス: あっ、銀ちゃん、たまには電話してやってくださいよ。小夏、淋しがってますから。

銀四郎: 最近、電話すると切られんだよ。

ヤス: いかんなあ、それは。

銀四郎: テメェがこすっからい目して隣りで見てるからじやねえのか。その目だよ。
そんなうらみがましい目で見たら、小夏だって話もできねえだろうが。
知ってんだろ、俺が時々呼び出してるの。呼び出すったってお茶飲む程度だよ。

ヤス: そりゃないでしょ、銀ちゃんがお茶飲む程度ってことないでしょ。そんな銀ちゃん、嫌いだなあ。

銀四郎: テメェら、式はあげるのか。

ヤス: おふくろたちが楽しみにしてますから。

銀四郎: よくオメェに大安があったなあ。

ヤス: 大安ったって、仏滅と仏滅の間の小大安ですもん。

銀四郎: 新婚旅行は行くのか。

ヤス: はい、一応。

銀四郎: どこだ? 群馬か、埼玉か。まったく大部屋がよ。

ヤス: ハワイってことに。

銀四郎: いいなあ。俺、まだグアムしか行ったことないんだ。グアムはいいぞ。
ハワイかあ……(大きなため息)

ヤス: お袋が金出してくれるもんで。
グアムの方が遠いと思ったんだよな、ハワイの方がせこいって聞いたんだよな。

銀四郎: 二人だけで行くのか。

ヤス: はあ?

銀四郎: …二人だけで行くのかと聞いたんだが、その新婚旅行。

ヤス: あーっ、スケジュール空いてます? 銀ちゃん、行きます? 来月の十七日から。

銀四郎: そりゃあ相談なんじゃないのか。

ヤス: やっぱ空いてたか、マネージャー嘘つきやがったな。
ホラ、銀ちゃん、ハワイ航路のチケット、三枚ちゃんと用意してあるんですよ、
一枚、二枚、三枚!

銀四郎: 一枚折り返してあるじゃねえか!

ヤス: あれーっ、ど、どうしたんだ! まさかこの僕が銀ちゃんの分を買い忘れる訳ないし、
あーっ、俺の分、買い忘れたんだ!

銀四郎: しらじらしいヤローだよ。

ヤス: 行くでしょ、来月の十七日から四日間。

銀四郎: 行かねえよ。

ヤス: 小夏は僕と行くより銀ちゃんと行く方がよっぽど楽しいんですから。行きましょうよ。

銀四郎: 小夏が承知しねえよ。

ヤス: 小夏に四の五の言わせやしませんよ。
あっ、マネージャー、来月の十七日から銀ちゃんのスケジュールあけといて!

銀四郎: 行くぞ、あけとけ! 行くからよ。その間、お前姿消しとけ。

ヤス: ……

銀四郎: どうした礼ぐらい言わんか。

ヤス: ありがとうございます。

銀四郎: 笑え。お前、笑うと可愛いんだから。
そうか、ハワイか、ハワイはいいな。焼くぞ!

ヤス: 小夏のこと、よろしくお願いします。

ト書き(小夏): 銀四郎 退場。

ヤス: あの、銀ちゃんの喜ぶ顔っていいでしょう、好きなんだ俺……。
大部屋も長いことやってると、大部屋根性ってのが身について。
でも、俺も一度だけ主役やったことあるんだよね。
「あたり屋」って映画だった。
丁度お盆の大作がコケて、つなぎに一本小さいやつ作らなくちゃいけなくなってさ。
同志社の学生さんが書いた、シナリオコンクールで一等になったやつ。
下積みの長い監督さんと一緒にやって来て、
いきなり主役やって下さいって言うんだよね。俺、嬉しかったよね。
これではい上がれると思った。
このアルコールとニコチンだらけの大部屋から抜け出せると思った。
その学生さん、俺の映画全部見てんだよね。
あん時はこう殴られたとかこの映画の時はこう斬られたとか、
俺の知らねえやつまで覚えてんの。
話はさ、車に当たるフリをして示談金をせしめて
逃げた女房をさがして全国を回る親子の話だった。
俺、嬉しくてね、夢にまで見た主役だもの。ガンバンなきゃガンバンなきゃって思ったよね。
台本なんかボロボロになるまで読んでさ。
でも、駄目なんだよね。チョイ役ばかり演ってると。
撮影の初日、カメラがパーッときて、ライトがピカッと光って、マイクが目の前に来て、
メイクさんが向こうから駆けて来てパタパタって顔直してくれるんだよね。
目の前でカチンコが、ヨーイ、スタート!……出ないんだよね、台詞が。
忘れるわけないんだよね。きのう徹夜で何十回も練習した台詞なのに、でも出ないんだよね。
体なんか動かなくてNG五回出してたし、スタッフの声が聞こえるんだよね。
「また十万とんだよ。あんたが台詞言ってくんないとさ」「大部屋は所詮大部屋だよ」
監督が「これが最後ね。予算オーバーしちゃってしょうがないんだから。
ヨーイ、スタート!」出ないんだよね。さっきまで台本読んで、
イ・タ・イ・イ・タ・イっていう三つだけの台詞なのに、出ないんだよね。
「今日止め! 撮影中止! このバカのおかげでよ」
結局初日はワンカットも撮れずで、それからも何をやったのか、どんなことを言ったのか、
よく覚えてなくて。
釜ヶ崎のロケで、
これがうまくいかないと封切りに間に合うかどうかっていうところまで来ていて、
太陽がカンカン照りつけてアスファルトなんか焼けつくようで、
一膳飯屋やホルモン焼屋のアンちゃんたちがみんな見に来ていて、ごったがえしていてね、
そこで車を止めて撮影なんだよね。
子供が泣くんだよ。俺だけになつかない子でね。ワンワン泣くんだよ。
俺、生まれて子供になつかれたことないんだ。いるか、そんな人間。
相手役の女優が軽蔑したような目つきで俺のこと見るんだ。そりゃそうだよ、
今まで殴られたり斬られたりしてたのがいきなり相手役だなんてね。
打ち合わせでもなんでも、助監を通して来るんだよ。
「アタシもうイヤ! この大部屋さんと演るのイヤ!」
監督が「ヤスさん、これ最後ね、これ演ってくれたら、また大部屋戻してやるから、
一生大部屋で飼い殺しにしてやるから、これ最後ね。ヨーイ、スタート!」出ないんだよ。
「ここ十二時半までしか警察の許可出てないんだから、あと三十分であげないと
封切りに間に合わなくなっちゃうんだから」。もう気が狂いそうでね。
子供が泣くんだよ。たまらなくってね。
遠くの方で「ヨーイ、スタート!」っていうカチンコの音が聞こえた。
ふっと見ると路地から車が来てさ、
ワイパー越しのフロントガラスに相手役の女優の顔が見えた。
俺、その時、この車に本当にあたって足でも折って、撮影中止になったら、
俺、こんなつらい思いしなくて済むんじゃないかと思った。
そう思ったら、急に気持ちが楽になってね。おかしな話だよね。
ヨーシ、やってやろう。俺、決心した。俺いつもより車に向かって身体を深く切り込んだ。
グシャッていう音がして俺の身体、ボンネットに高くはね上げられて、
フロントガラスにぶちあたってアスファルトに叩きつけられた。
その時、フロントガラスの破片がその女優の顔につきささっていくのが見えた。
撮影中止になって、俺、当時で三千万て金東映って会社に損かけたわけだから、
耳そがれたって足もがれたって文句言えないんだよね。一生大部屋でやってかなくちゃね。
まあ、ホサれたよね。そんな時、銀ちゃんが俺のこと使ってくれたんだよね。銀ちゃんさあ、
「女優の整形代? 払うな払うな、関係ない関係ない。俺なんかよ、
このまえ相手役の女優、シャベルでぶっ叩いちゃってよ、鼻なんかもげちゃってよ。
それでも『関係ない関係ない』、って言ってたら、本当に関係なくなっちゃったもんな。
関係ない、関係ない。俺なんか二千万三千万パーパーよ、
このまえ、ピアジェって二百万の時計買ってよ、見せたいもんだから立回りの時、
ヨッヨッヨッアップだもんだからよ、大写しになっちゃって四千万の映画パァよ。
それでも俺は、『関係ない、関係ない、ヨッヨッヨッ』、これで済ましちゃうもんね。
そしたら会社の奴らだって、『銀ちゃん、困りますよ、ちゃんとやってくれなきゃ』、
これで済んじゃうもんね。関係ない関係ない。俺なんか二億三億パーパーよ」
うらやましかったよね。でも、俺銀ちゃんの為だったらどんな事でもしようって思ったよ。
そんな銀ちゃんが俺のアパートヘ
「二十四の瞳」で好きだった小夏さんを連れてやって来たのは、八月のある午後だった。
小豆島の岬の坂道を自転車に乗りながら黄色い水玉模様のワンピースをなびかせていた、
そのままの小夏さんだったよね。

ト書き(小夏): ヤスのアパート。
真夏のうだるような日、銀四郎と小夏が訪ねて来る。

銀四郎: いるか! 売れてないの。いいんだよなこいつら売れてなくて。
俺みたいに売れるとつらいぞ。

ヤス: あ、銀ちゃん。

銀四郎: 何笑ってんだよ。俺の顔見たら喜んでやがる。うれしいのか、俺と会うと。
俺、好きか? オッ、窓しめろ! 危なくってしようがないよ。
                  
ヤス: えっ?

銀四郎: 週刊誌に狙われてるんだよ。
(窓の外を見て)ヤス、あのバカでかい犬、なんだ。

ヤス: 犬です。

銀四郎: 変装してんだよ、ルポライターが。カーテン閉めろ。何だこりゃ?

ヤス: 水道です。

銀四郎: おっ、水がでるな、ホレ!(とヤスにかける)

ヤス: ちべたい。

銀四郎: (カべのポスターを見て)何だ、このあんちゃん。

ヤス: アメリカの俳優です。

銀四郎: いいなあ、メリケンはよ、こんなあんちゃんでも俳優になれんだから。
こんなの、ハチマキでもして道頓堀でタコ焼きでも売ってりや似合いそうなあんちゃんだよ。
何て言うんだ、こいつ。

ヤス: ジェームス・ディーン。

銀四郎: 似てんなおまえに。

ヤス: ハッ……

銀四郎: 赤くなってやんの、似てやしないよ。

ヤス: ハッハ。

銀四郎: しかしいいなあ、俺なんか下積みが長くってよ。その割りに報われねえんだ。
おいヤス、女連れてきてやったぞ。おい、入れ。

ト書き(小夏): 小夏が入って来る。

ヤス: あ、女だ……

銀四郎: 座らしてやらんか、座らして。

ヤス: (座布団を出し)あ、これ敷いてください。

銀四郎: 俺のはどうしたんだ、俺のは。プ。(屁をこく)

ヤス: くちゃー。

銀四郎: 人の屁を嗅いで喜んでやがる。革新的な性格だよ。美濃部好きだもんな、
こいつ選挙行くの好きなのよ。

ヤス: 生きがいなんです。

銀四郎: (小夏に)好かれるんだよ、こういう大部屋の野郎から。
(ヤスに)おい、これどうだ。

ヤス: あ、銀ちゃん、センスやりましたね。

銀四郎: なんたってセンスだよ。王将のところに蛇がトグロ巻いてるだろ。
おまえこういうの好きだろ。
何かセンスがセンスすぎて、他のセンスと釣り合わねえんじゃないかと思うんだけどよ。
欲しいか? やれねえんだよ、これは、宝もんだからよ。あ、グリーンのセーターどうした?

ヤス: ありますよ。

銀四郎: 着んか。

ヤス: 夏だから。

銀四郎: 気持ちだよ気持ち。俺が訪ねてきて、おまえが着てると、俺うれしいだろ。
和だよ、和。(小夏に)よくやるんだよ。こいつらにやったら……
(ヤスの姿をしげしげと眺め)似合うんだよ、俺より。
おまえ、赤いワニ皮の靴やったじゃないか。

ヤス: ありますよ。

銀四郎: はかんか、何もったいぶってんだ。あんなの上履きだよ。似合わねぇな、
おまえにものやっても宝の持ちぐされなんだよ。
あっ、紫のベッチンのパンタロンやっただろ。はかんか、お揃いなんだよ。

ヤス: この三点が?

銀四郎: 高島屋のショーウインドウでマネキンが着てたのを、そのまま買ってきたんだよ。
パンツを見せんか、パンツを。いいだろう、キンタマんところ、竜が玉を食わえてるのな。
これキンタマ竜っていって、縁起もんなんだよ。
ホラ、ヤス、小夏に肉の話をしてやらんか。
こいつら四十男を五人ぐらい肉食わせに連れて行くんだよ。

小夏: 何度も聞いたよ。

銀四郎: もう食う食う、

小夏: 豚みたい!

銀四郎: 豚みてえに食うからよ、

小夏: 牛一頭!

銀四郎: 牛一頭食いやがったよ。あっ、何度か話したっけ。
まっ、いい話は何度聞いてもいいからな。
(本棚に目をやり)……エイゼンシュティン……説明してみろ、簡単に三行ぐらいで。

ヤス: ……映像のリアリズムにおける、その……でも銀ちゃん、超えてるから。

銀四郎: 超えてんだよ。俺なんかマンガしか読まないもの。
おまえこういうのばっかり読んでるから、うまくならねえんだよ。
オイ、みんな俺のこと何て言ってる?

ヤス: もう、竹を割ったような性格だって。

銀四郎: スパッとしてんのな。
(小夏に)でも、うそ。こいつらほんとは「餅をついたような性格」っていってんだよ。
(小夏、思わず笑う)おっ、笑ったな。ヤス。

ヤス: はい。

銀四郎: 今日は折り入って頼みがあるんだけどよ、おまえ、先ねえだろ。
この先、いい役とか、そういうアテ、ねえだろ。(ヤスを殴る)返事が遅い。
俺、今売り出し中だからよ。オッ、来年のミュージカル「スカーレット」決まったぞ。

ヤス: 主役!

銀四郎: レット・バトラー!

ヤス: 銀ちゃん、踊れるの?

銀四郎: 踊れない! ハハハ……いいの、俺は顔で踊るからそれで。
でな、会社が身の回り整理しろって、うるせえんだよ。

ヤス: そりゃそうですよ、銀ちゃん。

銀四郎: それからレコードも出すしよ、ベクターから。
これが(小夏を指し)三か月なんだよ。年だろ、もう。
産みてえ産みてえってよ、ガキャあ。悪いな、俺よ、困ってるんだ。
お前と一緒になってくれると都合がいいわけだよ…
(ヤスを殴る)明るさが足りない、ハハハ。

ヤス: ハハハ。

銀四郎: オイ、ハンコ貸せ、ハンコ。(婚姻届けをとり出す)
照れてやがんの。はい、スッポン!(とハンコを押そうとするが、ヤスが止める)
何してんだよ。

ヤス: 小夏さんの気持ちも……

銀四郎: 女に気持ちがあるか。

ト書き(小夏): ヤスがテープレコーダーを出す。

銀四郎: ほら録らんか。気持ちを聞きたくなるような女は、いねえんだよ。
録ったか?

ヤス: 録りました。『スター倉岡銀四郎、回想録』より。

銀四郎: おい、お前の気持ちを聞いてるぞ。

小夏: どうせ、あたしの気持ちも何もないじゃない。

銀四郎: 何を言い出すんだ、ある日突然。

小夏: いやよ、あたし、あんなボケーッとした顔。

銀四郎: 顔のことを言うな!

小夏: 他に誰かいなかったの。

銀四郎: こいつなら安心できるんだよ。

小夏: いやよ、あたし。

銀四郎: おまえ、わがままだぞ、少し。何のためにゆうべ話し合ったんだよ。

小夏: 銀ちゃんのやり方、見えすいてるのよ。

銀四郎: キミ、もう少し大人になりたまえ。
愛というものをもう少し大人の目で見て、別れを楽しみたまえ。別れもまた楽しだよ。

小夏: 何が別れよ、女が出来ただけじゃない。

銀四郎: バカおまえ、俺が女にもてるわけないじゃないか。
こんな女の扱い方一つ知らねえダサい俺がよ。

小夏: また、鏡みてる。ねえ、どうしてもあたしたちだめなの?

銀四郎: バカヤロー、ベタベタするんじゃねえ。俺のダンディズムが許さねえんだよ。
農繁期のマイトガイに惚れるんじゃねえ。こちとら刈り入れで忙しいんでえ!

小夏: あたしのこと、愛してないの?

銀四郎: 愛してる、愛してる、ラブミーテンダーよ。

小夏: ほんと、私たち別れるの?

銀四郎: 別れんだよ! (ヤスの視線に気がつく)何だよ、何見てんだよ。
てめえなんか、ペッタペタハンコ押して、幸せになりゃあいいんだよ。
オラ、おめっとさん! (婿姻届にハンコを押す)
……雨だよ。やらずの雨かい。どうして掩って、こう格好いいんだろうね。
何か、俺の気持ちが雨降らしちゃうって感じだもんね。
ヤス、女との別れにゃこういう雨が欲しかったんだよ。
どうしてオレ、こう決まるんだろうね。
俺がこの窓をサッと開けるだろ、もう一人の俺がいるぜ。
この雨ん中、俺が腹にマイト巻いて、メット被って、石炭トロッコダーッと押して、
ボタ山ん中に突っ込むんだよ。「鉱夫なめたらいかんばい!」決まるんだよ。
何やっても決まっちゃうもん。
時代劇でヅラつけるだろ、ホラ、佐渡の金山の牢名主って感じでピッタシ決まっちゃうだろう。
皮ジャン着たら皮ジャン着たで、弁当箱持ってリヤカー引いて、段ボール集めてたら
決まっちゃうって感じでしょ。どうしてこう格好いいんだろうね。

小夏: 銀ちゃん……

銀四郎: 牛乳を飲め! とにかくまっ白い牛乳だ!
食うもん食って、着るもん着て、立派な赤ん坊を産むんだぞ。
結納だとか、仲人だとかちゃんとしてよ、
人間の道を踏みはずさないようにして幸せになっていけ。
おまえたちの関係は獣だ! 夫婦、不思議な縁で結ばれし男と女。
騙しあい、化かしあい、そして許しあうキツネとタヌキ。
この長き旅の道連れに幸せあれ!
ヤス、こんな四畳半やめて、風呂つきのアパートを借りんか。
でかい腹かかえて銭湯なんか行けねえだろうが。ヤス、おまえマル優って知ってるか。

ヤス: 知りません。

銀四郎: おまえたち貧乏人がマル優を知らなくてどうするんだ。
銀行へ行って、低額貯蓄非課税申し込み書っていうのをもらってハンコをペタッと押すとな、
三百万円までは利息に税金がかからない、ありがたーい制度があるんだよ。
そういうことを、キチッキチッとしないとな、
源泉分離税とか、総合課税とか、利息の35%も税金を取られちゃうんだ。
おまえみたいな最低労働者は、財形貯蓄っていうのもあるから、窓口でな、
マル財くださいって言うとな、五百万円まで税金がかからないんだよ。
どちらかお得な方を選んで幸せになっていけ!

ヤス: 銀ちゃんくわしいですね。

銀四郎: 俺よ、全部知ってて、金なんかザクザクあるのによ、
俺のダンディズムがマル優を拒否しちゃうのよ。そんな自分が可愛くってな。

ヤス: 銀ちゃん、本気ですか、本気にしていいんですか。

銀四郎: 本気だよ。何だ、その目は。

ヤス: 僕、マル優やります。マル財も。お金ためて、仕事いっぱい取って。

銀四郎: てめえがいままで自分で仕事取ったことがあるのか。
一人で仕事取ってきたことがあるのか。
俺が頭下げて、いつも仕事もらってきてやってるんじゃねえか。
てめえらが俺のことをよ、チャラチャラしてるとか、台本も読めねえとか、
何言ってるか知らねえけど、
俺が頭を下げて仕事をもらってきてやってるんじゃねえか。
そりゃあ台詞もねえ役だよ! すまないと思ってるよ!
おまえ才能あるのか。役者としての才能が、おまえにあるのか!

ヤス: ありません。

銀四郎: このタカリが、あちこちその辺の小汚ねえ酒場飲み歩いてよ、
映画に出てます映画に出てますって言いふらしてるだろ。
てめえが映画で一言でもまともに喋ったことがあるのか! あるのか!

ヤス: ありません。

銀四郎: 覚えてろ、金輪際てめえにゃ仕事やらねえからな。
自分で仕事取っても、俺が引きずり降ろしてやる。

ヤス: 銀ちゃん、あの。

銀四郎: 何だ、金か、金が欲しいのか。

ヤス: そうじゃなくて……

銀四郎: (ポケットから札束をつかみ出し、ぶちまける)金だよほら、金だよ。
金が欲しいんだろ、ほらやるよ! くわえろ、くわえろ!ワンワン言ってみろ、ワンワン!
いつもやってんだよ。大部屋のやつらがよ、俺が金を撒くと、ワンワン言って拾うんだよ。
ほら、ワンワン言え、ワンワン!

ヤス: ワンワン……

銀四郎: 覚えてろ貴様!

ト書き(小夏): 銀四郎、去る。

ヤス: ワンワン……オレ、スピッツ、キャンキャン……

銀四郎: 小夏、小夏!(外からの悲痛な叫び声)

ヤス: (窓の外に向かって)銀ちゃん、俺、小夏さん幸せにしますから!
(小夏に)俺、銀ちゃんのおかげでここまで来れたんです。

小夏: ここまでって、どこまで来れたの?
あんた、ただの大部屋なんでしょ? 殴られたり蹴られたりしてるだけなんでしょ?

ヤス: でも俺、ただの大部屋と違うんです。俺が殴られると、パーッと哀愁が出るんです。
火だるまになってゴロゴロころがっても、パーッと哀愁が出るんです。

小夏: 哀愁ったって、あんたは写んないじゃない。

ヤス: 俺は写んなくていいんです。
俺がガソリンかぶって火だるまになって哀愁がパーッと出ると、
それを見ている銀ちゃんとこへカメラがダーッと行くんです。
銀ちゃんがキマればいいんです。俺が写る写らないは関係ないんです。

小夏: その婚姻届け、破いちゃっていいからね。
そんなもん突然持って来られたって困るでしょ。

ヤス: 銀ちゃんにしかられますから。

小夏: 女押しつけられて、しかられますからとか、あんた男としてのプライドないの?

ヤス: ………

小夏: やめてよ、そういう殊勝な真似は。底が割れてんのよ。
嫌いなのよ、あんたみたいなタイプは。

ヤス: がんばりましょうよ。

小夏: あんた、頭おかしいんじゃないの。

ヤス: 努力しましょうよ。三日いてください、情も移ります、味も出ます。

小夏: あんた、お腹の子の父親になってくれんの? 
あたしありがたいのよ。死のうと思ってたんだから。
お願いします。一緒になってください。プロポーズしてよ。してよ。

ヤス: ……一緒になってください。

小夏: お受けしました。田舎に電話してよ。
じつは好きな女がいます。もう一緒に住んでました。今度結婚するんです。
もう子供が三か月なんですって言ってよ。電話してよ。

ヤス: でも、俺んち田舎だから。それに俺、長男だし……

小夏: 聞こえないわよ。あたしお受けしたんだから。

ヤス: ずっと子供ん時から苦労ばっかりかけてきたし、親父も去年死んだし。

小夏: 聞こえないわよ。あたしOKしたんだから。

ヤス: おいおい、双方の親はおいおいひき合わせるということで、
今は二人の気持ちの地固めを……

小夏: 関係ないわよ。死のうと思ってたんだから、あたし。できないんでしょ。
逃げるのよね、あんたみたいな男は。さっ、行かなきゃ。
(と立ちあがろうとするが、目まいでくずれ落ちる)

ヤス: 本当に俺、大丈夫ですから。全然大丈夫ですから。
それに外は暑いし、三か月のその体で外へ出たら大変ですから。
あ、台所、夜寝る時俺、台所の柱に足しばって寝ます。
安心ですから。お願いですから、ここに居てください。
トルコ毎日行きます。まったくなくしてきますから。日に日に干からびてゆくことでしょう。
それと俺、女の人ダメなんです。どっちかというと男の方が。
あたしホマ? ホメ……あっ、ホモなんです。
ずっと女きょうだいの中で育ったせいか、女のイヤらしい部分が……

小夏: なに、壁の裸のピンナップ。

ヤス: あ、いかん。あ、男……

小夏: あんた何て名前?

ヤス: 村岡安次。三十二歳。水がめ座です。

小夏: ホモなの?

ヤス: ホモって? あっそうなんです。あたし高校時代忌わしい思い出があるんです。
ラグビー部の部室にムリやり連れ込まれて、毛むくじゃらの人に……、
キャプテンが……、アア……

小夏: もういいわよ。悪い人でもなさそうだし。

ヤス: むしろいい人の部類なんです。僕の人となりが一番顕著な形で表現できる例は法隆寺……
僕、法隆寺の修学旅行で初めて外人見たんです。あ、あれが噂の外人だ、あれが噂の外人だ。
これで僕の無実が証明されたと思うんですけど。
それと、エンタシス! 中が広がっている柱ですね。あれをエンタシスエンタシスって。
これで、僕の無実も決定的になったと思います。しかし、長所だけ言うのも卑怯ですね。
あとで何だかんだ、こういう短所もあったのか、なんだこんな欠陥もあるじゃないか、
ここにも弱点があったのか、なんて言われると僕も不本意だし。
短所といえば……昔チャンバラしてて、板付の飛行場から米軍のジェット機が飛んで来て、
そのジェット機落ちろ! つて槍でつついたら落ちたんです、
まあさいわいパイロットはパラシュートで助かりましたけど。
ま、僕のせいじゃないと思うんですけど半年うなされました。それが、短所といえば短所かな。

小夏: …………

ヤス: 暑いですね。あの、何だったらそこにハエタタキがありますから、
僕の背中ピッチャンピッチャン叩いて下さい。涼しくなると思います。
……お互い、まあこれですっかり打ちとけてしまったわけですが、
俺、女の人と話をしたの初めてなんです。二人きりになるの生まれて初めてなんです。
ムロン、ですから、あなたはゆくゆくは、僕にとって初めての女性となるわけです。
うまくリードしてくださいね、僕なんにも知りませんから。
よかった、三十二まできれいな体でいて。あっ、音楽かなんかあるといいんですけどね、
「ハーレムノクターン」あたりがあると、もっとなごむんですけど、レコードがないもんで。
では、「世界残酷物語」より「モア」を熱唱させていただきます。More than the greatest……

小夏: 暑いわね。脱いでいい?

ヤス: もうやりますか?

小夏: ジェームス・ディーン好きなの?

ヤス: 他人とは思えなくて。

小夏: 本がいっぱいあるのね。あれ、絶版になった「映画評論」じゃない?

ヤス: 一冊も欠けてないんです。

小夏: えーどうしてここにあるの?

ヤス: 京都大学の学生さんから譲ってもらったんです。
命から二番目に大事なものなんです。十五万なんです。
しかし、短時間でこれほどまでに打ちとけるなんて気味が悪いですね。
生活必需品揃えてきます。あ、表札買ってきます。村岡……小さな夏、ですよね。
俺、あんたの映画みんな観てるんです。食堂でよく会ったんです。
撮影所なんかでも、いいなァって思ってたんです。好きだったんです。
じゃ買いに行ってきます。(出ていくがすぐに戻る)おい、ただ今。
あ、居るかと思って。いや、こんなに早く帰って来れるわけないですよね。
今出たばっかりですもんね。待っててくれる人がいるってのはいいもんですね。行ってきます。絶対待っててくださいね。俺、シアワセにします。俺押しつけられたわけじゃないんです。
俺たち、好きで一緒になるんですからね。

ト書き(小夏): ヤス退場。

小夏: 京都左京区の東にそびえる如意が岳に
うら盆会の送り火として、大文字のかがり火がたかれ、
京都の夏が終わりを告げても激しいつわりはおさまらなかった。
尿のタンパクがプラスになり過ぎていて、お医者さんから妊娠中寿症の疑いがあるので、
御主人と折入ってお話ししたいことがあると、ヤスさんが呼び出され、病院に出かけて行った。
きっと若い時のしたい放題がたたって、
このまま衰弱して、お腹の赤ン坊と一緒に死んでしまうんじゃないかと、
寝ていても夢にうなされる毎日だった。
ヤスさんは、一晩中つききりで布団をかけ直してくれたり、背中をさすってくれたり、
寝ずの看病をしてくれていた。
頬がゲッソリとこけ、目はおちくぼみ、ただ私の体だけを心配してくれていたよね。
九月に入り修学旅行のシーズンになったのか、
学生服姿のにぎやかな声が響き、街が若やいでくると、
やっと私の血圧も正常になってつわりも軽くなり、定期検診の日、
お医者さんから「もう大丈夫ですよ」と言われて、赤ン坊の心音を聞かされたヤスさんは、
涙ポロポロ流しながら先生や看護婦さんたちの手を握りしめて
「ありがとうございました。ありがとうございました」とペコペコ頭を下げてまわっていた。
「どうしても産むというのなら、赤ン坊の命も奥さんの命も保障できませんよ」
と言われていたのだから、きっとホッとしたんだろうね。
ヤスさんが病院中に響き渡るような声でおいおい泣き出した時には、
私も胸が熱くなる思いだった。
幸せだった。銀ちゃんといた時には決して味わうことのなかった穏やかなやさしさだった。
でも、つわりが治まると現金なもので、無性に銀ちゃんに会いたくなった。
寝ても覚めても銀ちゃんのことばかり考えていた。
思い切って銀ちゃんの白川のマンションの前まで行って
向かいの駐車場の陰から五階の銀ちゃんの部屋を見上げたりしていた。
でも、そんな日はさすがにヤスさんに対して後めたくて、
かいがいしく掃除したり料理なんか作ってやったりしたよ。
ヤスさんは、本当に嬉しそうで残らず平らげてくれるんだけど、
次の日にはしっかり新しいフライパンやナべなんかを買いこんできて、
これで頑張って下さいと私の気を重くする。
ヤスさんみたいな男は、銀ちゃんみたいに甘い言葉でささやかない分だけひとつひとつ
冷蔵庫やオーブンなどの生活で押してくるんだ。
ある日、どうにもたまらず、返しそびれていた鍵を使って銀ちゃんの部屋に入った。
ベッドにもぐり込むと、シーツに残った銀ちゃんの匂いがして、
その銀ちゃんの匂いにくるまってまるで少女のように泣きじゃくった。
ひとしきり泣くと、ベッドの横のサイドテーブルの上にそっと鍵を置いて部屋を出た。
もう二度と銀ちゃんには会わないと決心しながら。
ヤスさんの田舎の人吉に行ったのは、鞍馬の火祭りが終わった秋の初めだった。
帰りの車中で「これでお腹の子がヤスに似てアホ面してなきゃいいがなあ」
「小夏さん、別れないで下さいね。
私ら、あんたみたいな嫁さんが来てもうけもんだと思うとるけん」
「丈夫な子を産んで下さいね。産まれたら第一番目に赤ちゃん連れて又人吉に来て下さいね。
私たちにも抱かせて下さいね」「お姉ちゃん、このお腹の中に赤ちゃんがいるの?」と、
駅まで見送りに来てくれたお母さんやおじさんやお兄さんの子供の五郎や敏夫の顔が浮かんだ。
私は、一生懸命ヤスさんを大切にしなきゃいけないなと考えていた。
暖かな秋が続き、なかなか寒くならなかった京都も十二月の声を聞くととたん、
底冷えのする毎日が続いた。あたしの赤ン坊は八か月になって、
赤ン坊がボンポンお腹を蹴りつけてくるようになった。
私は、ヤスさんとの生活に慣れていたはずなのに、お腹の中からようしゃなく蹴りつけてくる
小さな命は、銀ちゃんが「俺はここにいるぞ」と主張しているようで、
私は小さな銀ちゃんをお腹の中で育んでいるような気がしていたよね。

ト書き(小夏): 場面は東映京都撮影所。
来週に結婚式を控えた妊娠八か月の小夏が最後のシーンの撮影に来ている。
ヤスがのっそり現われる。
小夏はイラついている。

ヤス: 冷えるぞ、お腹。もう八か月だからな。
(小夏のお腹に手をあてるとメモ帳をとりだし書きこみ始める)えー八か月と十二日。
ややかた太り。手足スラリとして髪の毛はコゲ茶色。

小夏: さわっただけでそこまでわかるの?

ヤス: 男が母子手帳持ってるの、ちょっと恥ずかしいな。
さっき食堂で親バカ、なんて言われちゃって。
俺、右目一・二左目一・〇、ちょっと乱視が入っているけどな、注意してな。

小夏: 何なの。

ヤス: 夫婦だからさ、お互いの肉体の秘密をよく知っとかないとな。
俺、盲腸まだやってないから気をつけてな。

小夏: いま痛いの? 盲腸が。病院行けばいいじゃない。

ヤス: いや、夫婦だから気を付け合おうと思ってな。

小夏: 夫婦って面倒ね。

ヤス: 引出物、伊勢海老にするか、カエル海老にするか。

小夏: 今朝聞いたわよ。

ヤス: 伊勢海老は四千円。カエル海老は……

小夏: 二千円なんでしょ。カエル海老を一匹にするか、伊勢海老を半分にするか、
どっちにしようかってお兄さんに電話したら、やっぱり地元の客の顔をたてて
カエル海老ってことになったんでしょ。
ほんといるの、カエル海老ってのが? どんな海老なの?

ヤス: 二人の海老じゃない。

小夏: きのうはきのうで赤飯にゴマかけるか、かけないかって、

ヤス: あ、赤飯のこと忘れてた。

小夏: 聞いたわよ。あたし、そんなの今まで気がつかずに食べてたわよ。
だから関西からこっちとこっちで風習が違うんだから全部まかせるって!

ヤス: あっ、折り詰めのことな、三段でいいか。

小夏: 小っちゃな、ジミなのでいいじゃない。

ヤス: 田舎じゃ三段ぐらいセコい方だよ。これに紅白のモチがドーンだろ。
にわとりがつがいでコケコッコー!

小夏: 生きてんの!

ヤス: 土鍋セットがドーン! スプーンセットがドーン! 
カルチェのライターがビカー! 図書券がドーン! タオルケットがバサー!
最後にペルシャじゅうたんが持ってけー!

小夏: お客が持って帰れるの!

ヤス: 持ってけってんだよ。持ってけるもんだったらよ。わずかな祝儀でよ。
あ、俺んとこ四百人ぐらいな。

小夏: そんなに知り合いいるの?

ヤス: 親戚だけだよ。あとは新幹線組な。だから東映会館じゃ無理だからな、
国際ホテルでウヒャー! よ。

小夏: いいじゃない俳優会館で質素で地味にすれば。

ヤス: まかせといてよ。花嫁さんは可愛ぶってりやいいんだからよ。
あとは、おまえの水戸と俺の人吉、計三回やんなきゃいけないんだから。

小夏: あれ着なきゃだめ〜 ウェディングドレス。いかにも女優ですっていう。

ヤス: いいじゃない、女優なんだから。それと仲人、木村さんだからちょっとセコいけどな。
本当だったら専務とか播磨屋の大将にやってもらうんだけどな。

小夏: 播磨屋の大将なんてあんた知らないじゃない。

ヤス: だっておまえ知ってんだろ。

小夏: 七年前にすれちがう役やっただけよ。覚えてっこないじゃない。

ヤス: 知ってる知ってるって。それと中村先生に祝辞頼めないかな。

小夏: 頼めるわけないじゃない。

ヤス: あ、それと市川先生。祝電打ってもらいたいんだけど。

小夏: 無理に決まってるじゃない。

ヤス: おまえ、俺とほんとに結婚するの?

小夏: するわよ。

ヤス: ……じゃあおまえんとこ、どのくらい来る? 三百ぐらいか?

小夏: 大学んときの友だちが二人…

ヤス: えっ!

(拍子木の音。)

ト書き(小夏): 銀四郎 登場。

銀四郎: おはようおはようおはようさん!

ヤス: (ギクリとして)銀ちゃん、階段落ち、新治にやらせるって本当ですか。

銀四郎: ヤス。お前あと一週間で結婚式だろ。子供も産まれる、
お前に万が一のことがあったら、小夏がどうなるの。

ヤス: 銀ちゃん、

銀四郎: 次のシーンの前に、メシ、食ってこいよ

ヤス: はい…(退場)

銀四郎: シアワセそうじゃねえか。

小夏: わかんない。

銀四郎: わかんないのが幸せなんだよ。俺といてわかんないことはなにもなかったろ。

小夏: 今日、撮影終わったらどうすんの。

銀四郎: 街によ、愛を探しに。

小夏: 私も連れてってもらおうかな。買い物もしたいし。
久しぶりに銀ちゃんの派手な車にも乗りたいし。

銀四郎: 黒のセドリックに代えたよ。

小夏: 黒のセドリックゥー! オジン……

銀四郎: バカ、男が33にもなってチャラチャラした車に乗ってられるかよ。
おまえの方からよ、銀ちゃんもう年なんだから、ステイタス必要なんだから
落ち着いた黒のセドリックにでもしたらってよ、言ってくれるべきなんだよ。
それをよ、おまえが先頭に立って、真っ赤なネオンつけましょうとか、

小夏: めぐみとうまくいってないんだって?

銀四郎: ああ。

小夏: だから言ったじゃない。

銀四郎: 何おまえが言ってくれたよ。足ひっばってるだけじゃねえか。

小夏: 足なんかひっぱってないじゃない。

銀四郎: あいつはハタチの神戸女学院の小娘じゃねえか。
おめえがいろいろと教えてくれなくてどうするんだ。
銀ちゃんは、翔んでるように見えてもじつは古風な性格なんだ、とかさ。

小夏: ムチャクチャ言わないでよ。

銀四郎: 何がムチャなんだよ。お前以上に俺のこと知ってる人間いるか? いるか?

小夏: いない。

銀四郎: いないんだよ。ホントおまえ薄情だぞ。俺が他の女に心を移したってハシカみてえなもんだよ。
三か月以上もったことあるか! あるか! 何が来週結婚式だ。そんなのブチこわしてやるよ。

小夏: あたしだってもう三十よ。

銀四郎: 年がなんだ!
俺はね児童劇団「こまどり」で『白雪姫』を演った時に、
俺が王子様で、「ひまわり」から客演したおまえが白雪姫だったことしか覚えてにゃあの!
神宮外苑で再会した時、落葉の中を巻きスカートをはいて、
銀ちゃーんって走って来たあの姿しかにゃあの!
ポチャポチャっとしててよ。色白でよ。俺好きなんだよ。
あ、お前お乳さわらしてんじゃねえだろうな。お乳さわらせるな!
寝る前、足グルグル巻いてよ、
これは水戸の風習だって夜中じゅう部屋ん中ピョンピョン飛び回ってろ!
寝るな! ケッ!
おまえなんか惚れさせるの簡単なんだよ。ホレホレ! ホラ俺の流し目にひっかかってよ、
おまえを惚れさせるのなんか簡単だよ。

小夏: じゃあそうしてよ。

銀四郎: きょうびは、理性の男をやってんだよ。三十年間出さなかった理性の男をよ!

小夏: 洗濯はどうしてんの?

銀四郎: そういうことを言うな!
俺が一人で洗濯してるってほっとけるおまえかよ。
井戸水くみあげて、手がかじかんじゃって、赤ぎれで……、コインランドリー行って……。
あああんまり悲惨で言えない……

小夏: 食べるもんは?

銀四郎: 聞くなって! 俺が牛井ばっかり食ってるって聞いたらおまえ泣くから。
ほらもう泣いてんだから。

小夏: 大丈夫なの?

銀四郎: 近寄るな、お前俺に惚れるから。

小夏: 少しやせたんじゃない?

銀四郎: 失恋した男が痩せられず、太る年になったっていったら、おまえ泣くだろうが

小夏: 正月のカレンダー橘に替わったんだって。

銀四郎: まあな、でもこの「新撰組」だけはキチッとあげりゃ、情況も変わってくると思うんだ。
絶対、負けねえぞ。それとよ、俺結婚式行くぞ。

小夏: だって、スケジュールいっぱいだったんじゃないの。

銀四郎: 俺が結婚式仕切らないでどうするんだ。仕切りの銀ちゃんよ。
おまえ、こないだ謙二郎の結婚式出たんだよ。
披霹宴、親戚中集まって胴上げだ胴上げだって大騒ぎよ。
で、謙二郎のバカがよ、体軽いの自慢しようと思ってスプリンクラーにつかまって、
ひっこ抜いちゃったんだよ。披露宴会場水びたしよ。
機転のきく俺がいたからよかったよ。火つけてやって、
花嫁も燃えております。花婿も燃えておりますって、そのまま新幹線送りこんでやったよ。

小夏: 銀ちゃんらしい。

銀四郎: 俺がいたから丸くおさまったんじゃねえか。
おい並べ。おまえがウェディングドレスだろ。

小夏: あたしのマタニティと銀ちゃんのスニーカーで? 過去が過去ってかんじ。

銀四郎: なんのために花嫁が白いドレス着ると思ってんだ。過去をまっ白にするためだよ。
で、男の子と女の子の双子がおまえのウェディングドレスの裾を持つんだよ。

小夏: 可愛い! 用意しといてくれたの?
そういう銀ちゃん好き。

銀四郎: 惚れるなって俺に。それから、おまえが持つ花はナーンでしょう。

小夏: バラのブーケ!

銀四郎: この野郎がいろいろ調べてんじゃねえかよ
結婚大百科とか、今週の「女性セブン」とか読んでんじゃねえか。
よくあるんだ、とじこみフロクでよ。
式までの十日間。九日前にどこそこにあいさつに行きましょう。
赤い字で花嫁の必要なもの。青い字で花婿の必要なもの。
真ん中の黄色いラインが両方に必要なもの。

小夏: よく知ってるね、銀ちゃん。

銀四郎: (まっ赤になって)おまえらのために勉強してんだよ。
でよ、教会の扉開けてよ、一台のピンスポットがスーッとおめえに当たるんだ。
で、大きなパイプオルガンがチャンチャチャチャーン、
おまえが真っ赤なバージンロードをしずしず歩くわけだ。
そうすると聖歌隊のきれいなコーラスが聞こえてくる。
神父が祭壇の前に立ってる。汝、この者を将来の伴侶として……花婿がいない!
そこでだ、上高田小学校の鼓笛隊だ。ドルルルル…ジャジャジャンジャン……
花婿ほどこだ! 花婿はどこだ! 会場中をおまえが捜し回る。
そうすると、一台のスポットが花婿を照らし出す! そこにいるのが!…
…俺だよ。ガッハッハッハ!

小夏: ガッハッハッハ!

銀四郎: 正真正銘の俺だよ。

小夏: ……だといいね。ずっとそう思ってたからね。
何度も夢みたからね。そのつもりでいたもんね。ずっと。
一緒に住み始めた二十二の時から8年間。いつそうしてくれんのかナァって。
でも、あたし来週は、ヤスさんのお嫁さんになってゆく人だもんね。

銀四郎: 神父が、では指輪の交換をして下さいとくる。
ほれ、3.5カラット。1200万だよ。(小夏に指輪をはめる)ピッタシ。
やっぱおまえ、9号だったか。

小夏: 何、これ。

銀四郎: 指輪。ふつうはめてやらねえか。新郎が新婦に。

小夏: あんまり女いたぶると承知しないわよ。何よコレ。何の真似よ。

銀四郎: 必要なんだよ、俺にはおまえが。愛してんだよ。小夏。一緒にならねえか。
必要なんだよ、おまえが、小夏。

小夏: 銀ちゃん、

銀四郎: 動転してんだろ。
突然色男からプロポーズされて、気が動転してんだろ。
俺とおまえは離れられないんだよ。生まれたときから、神様が決めてんの。
一生離れられないの。
今日は土曜日だから、区役所は十二時まで。
今十一時三十分。
新治が時速80キロですっ飛ばしてギリギリ間に合う時間だよ。
ハンコ押しゃこっちのもんだよ。さ行こ! 新治、エンジンかけとけ。区役所行くぞ区役所。
酒井、先に行って用紙用意しとけ! 石丸、みんなに知らせろ。
銀ちゃん、今日小夏と一緒になるってよ。

小夏: ヤダヤダヤダ…

銀四郎: おまえ、俺のこときらいなのか。

小夏: 好きだよ。

銀四郎: 好きだろ、ホラ、結婚、結婚、結婚

小夏: ヤダヤダヤダ…

銀四郎: おまえ、俺のこと愛してないのか

小夏: 愛してるよ。

銀四郎: 愛してるだろ。さっ行こ。

小夏: うん、行こう。(といったん動きかけるが)
だめ、だめ、銀ちゃん、あたし、

銀四郎: 欲しいものは、俺は絶対手に入れるんだよ。

ト書き(ヤス): 二人抱き合う。
もみあううちに、なつかしのプロレスごっこ(らしい)。
小夏の手をリストロック、
小夏、それを返し、ヘッドロックからヤシの実割り、得意のローリングソバット、
銀四郎も負けずに延髄切り、
小夏の手をロープに振り、
返ってくるところをインデアンデスロックでフィニッシュ。

銀四郎: 俺たちは、もういい年なんだからよ。
プロレスごっこして遊ぶような年じゃねえんだ。
これからは、俺の嫁さんになるんだからよ、キチッキチッとしてくれよ。
四季折々の生活とかさ、衣替えとか春の味覚とか、秋のつけものとか、
そういう女らしいこと考えてくれよ。

小夏: ねえねえ、ジャーマンスープレックスホールドやって。

銀四郎:  花嫁がなにがジャーマンスープレックスだ。こうなりや催眠術かけるぞ、
オーラオラ、エロイムエッサイム!

小夏: グーー……ムニャムニャ……(ねむる)

銀四郎: (独りごと)こんなにすぐ催眠術かかる女っているか? 金太郎飴みたいな女だよ。
しかし、ほんとにこいつと一緒になるの? いつもそうだよ、
あっちこっち手ェ出して結局カスつかむんだよ。
ホント、くやしいよ。
新治! メグ、本当に言ってたのか。
銀ちゃんって軽い話ほ楽しいけど、真剣な話になると笑っちゃうって。
マコト! 
ルミ子は、銀ちゃんとは結婚を前提としての交際は考えられないなんてホントに言ったのかよ。
前提なんて漢字あいつ知ってるか。
とにかくよ、この女見てくれよ。このオデコだろ。ソリ入れてんだよ。
この鼻だろ、うなぎでも入りそうな鼻だよ。鼻毛ぐらい抜けよ、タバコの吸いすぎなんだよ、バカ!
尻はでけえしよ。この目尻のシワどうにかならんのか!
バカ、おまえなんか大嫌いだ。
(しみじみと)シワったってオレのためにできたようなもんだからね。
オレのために、バー勤めしてくれたこともあったっけ。
まぁな横顔は、けっこう可愛いんだよね。胴の割に手足も細いし。
こいつパーだしよ、俺もパーだろ、常人にはうかがい知れない会話ができるんだよ。
18の時、神宮外苑で再会した時、
外苑の落葉の中を巻きスカートひるがえしてショルダーバッグ下げて
銀ちゃーんって走ってきてくれたもんな。子供みたいなおかっぱ頭だったな。
そういえば、こいつ何か買って欲しいとか言ってたな。ダイヤは買ってやったし、
ミンクのコートは……
やべ、こいつじゃなかったっけ。

小夏: ……ビーズ。

銀四郎: ビーズのハンドバッグか。そんな安物いつでも買ってやるよ。
そうだ、こいつ何も欲しいって言わなかったんだ。
なんか腹たってきたなぁ、俺一体なにしてたんだろ。買ってやるか。
どこか行きたいとも言ってたな。連れて行かなかったっけ、北海道。あ、北海道はマリ子だ。
沖縄へ連れていったはずだけど、あれはゆみ子か。
あれ、考えてみればオレ、こいつどこにも連れてかなかったのか。
チクショウ、どうなってんだ俺は。

小夏: ……び、び。

銀四郎: びわ湖か? よしびわ湖連れてくか。
新治、おまえ、びわ湖行きの切符二枚買っとけ。
バカ、グリーン車だよ、グリーン車借り切れ。
それからよ、車にありったけのカンカラつけてよ、
真っ赤なネオンつけとけ! 区役所ぶっこむからよ!
新治、エンジン全開にしとけ! さっ行こ。

小夏: ……

銀四郎: 起きてたのか。

小夏: 銀ちゃんの催眠術なんて効かないよ。

銀四郎: 待たせたナ。オレ今、猛烈に怒ってるからな。不条理に、猛烈に怒ってるからな。
今俺にちょっとでも逆らったらどこのどいつだろうがたたっ殺すからな。
これから毎日買物で毎日旅行だ! シアワセに、してやるからよ。
行くぞ。

ト書き(ヤス): 小夏、指輪を抜き取る。

小夏: シアワセになるからね、あたし。

銀四郎: 新治! 100キロ出せ!
今、11時44分。この太秦の撮影所から時速100キロですっとばして、
右京の区役所まで14分。
椎子の交差点でひっかかって25秒。清滝の電停前の交差点でひっかかって25秒。
俺とおまえが花いっぱいの区役所に着くのは11時59分20秒。
手に手を取ってシアワセいっぱいの顔をして123段の階段を3階まで
婿姻届けの窓口まで駆け上って残りはあと15秒。
小夏、時間がないんだ。愛があっても時間がないんだ、
12時過ぎたら俺たちパーだぜ。来週になったら俺たちパーだぜ。
あと五秒! 新治、150キロ出せ! 赤だ青だと言ってるヒマねえ!!

小夏: ヤスさんの田舎じゃみんな、こんなあたしでも、いい嫁じゃいい嫁じゃって言ってくれるのよ。

銀四郎: あと4秒! 愛してるんだよ! 俺のセイコースポーツマチックは非情だぜ。

小夏: こんなあたしでも、もうけもんじゃって言ってくれるのよ。

銀四郎: あと3秒! 俺にはおまえが必要なんだよ! 
もえるぜオイラ。しょんべんもらしそうだぜ。

小夏: ヤスさんが幸せにするって言ってくれてるのよ。信じられるのよあたし、その言葉。

銀四郎: あと2秒! ようし、正体を見せてやる。俺はスーパーマンだ!!
どうだ、これでオレが真剣だってことがわかったか。
おまえが俺と一緒になってくれなきゃ、俺はクリプトンに帰るぞ。地球を見捨てるぞ。
もしおまえの愛するこの地球に危険が来ても、俺は救いに釆ないぞ。
もし地球が滅びるとしたら、おまえのせいだぞ。さあ、イエスと言え!
あと1秒! さっ、小夏! 俺はクリプトンに帰るぞ!
ゼロ!

小夏: 銀ちゃん!

銀四郎:  タイムオーバー! もうダメ。はいお疲れさん!(拍手)
バンザーイ! バンザーイ! 村岡小夏さんおシアワセに!
皆様方、今宵この良き日に、大安吉日のこのめでたき日に
若い二人、明るい未来に向かって旅立とうとしております。
まだまだ何もわからない若い二人であります。
皆様方の暖かいまなざし、御助力御指導があって初めて
これからの人生を、実り豊かなものにできるのでございます。
どうか皆様方、心からの祝福と声援を大きな相手をもってこの二人に送ってあげてください。
私、健闘むなしくここに一敗地にまみれました。
でも、涙をふいているあなた、そして、ハンカチを握りしめているあなた、
今あなたの見たのは、決して一人の男が傷つき倒れていった姿ではありません。
新たなる夢と希望に満ちた青春の出発なのです。青春の予感なのです。
この孤独にふるえる肩は、哀愁に満ちた背中は、
力強い更なる飛躍への予感に打ちふるえているのです。
地球のみなさん、さようなら、もう二度と地球に来ることはないでしょう。
私は志なかばに倒れ、M85星雲惑星クリプトンに帰ってゆくのです。
おかあさま、いま私は帰ります。おとうさま、私はあなたのもとへ帰ってゆきます。
この悲劇の男を語りついでくれたまえ、小夏くん。
かつて愛した一人の男がいたと、その男はほほえみを持って、ふるさとに帰って行ったと。


●第二幕●

ト書き(小夏):
第二幕。ぶじ結婚式を終え、新婚旅行も終えた小夏の腹は、八か月のおわりごろ。
ヤスの同僚のトメさんが子供を連れてヤスと小夏のアパートに遊びに来ている。
ヤスが帰ってくる。
子供はヤスの顔見て怯え、逃げまどう。

ヤス: トメさん、うちに遊びに来るなよ。子供の相手させると疲れるんだから。
もし流産でもしたら、俺、銀ちゃんにどんなこと言われるか。
トメさんも銀ちゃんから何だかんだ仕事もらってるんだろ。
トメさん、最近銀ちゃんから仕事来ないんだよ。
そりゃ、俺は今、若旦那のひきで仕事もらってるよ。
でも、俺は銀ちゃんの仕事やりたいんだから。
俺、銀ちゃんのために、樫の木一寸五分の一段五十センチの階段をダンダンダンて落ちて死ぬんだから。
馬鹿な話でさ、自分の種でもないのに俺がヤバイ仕事しなくちゃなんないんだから。

小夏: トメさんに、いいパートがあるって聞いたもんだから……

ヤス: もう生活費なくなったの。

小夏: いや、そういうわけじゃなくて、ゆくゆくのこと考えたら……

ヤス: 俺、一昨日はガンリンかぶったし、
昨日なんか大川に十時間つかって凍え死にそうになったし。
俺、銀ちゃんみたいに稼げないけどサ、大部屋だから。
でも、そこそこの生活は支えてるって思ってるわけ。
命から二番目に大事な「映画評論」も売っちゃったしな。

小夏: 二言目には命から二番目に大事な「映画評論」売ったって言うけど、
あたしお金出すから買い戻してよ。たまんないわ、もう。

ヤス: 買い戻すとかそういうことじやないんだよ。
そこまでしてる俺の気持ちをわかってくれってことだよ。おまえがかくれて……

小夏: あたしがかくれて何したっていうの。

ヤス: だからさ、俺今日も馬から落とされてビッコひきひきよ。これで四千円なんだけどよ。
ま、徐々に暮らしのレベル上げていこうと思ってんだよ。
一足跳びに銀ちゃんのレベルまでは無理だ。
言われたとおり、風呂つきの部屋にかわったし、いい風呂だろ、精いっばいの風呂だよ。

小夏: 今日もまた生命保険の人来たけど。

ヤス: あ、来た? 六条さん。

小夏: 六条さんていうの?

ヤス: 六条さんていうの。生命保険の人にだって名前ぐらいあるんだよ。
あんたたちスターさんばっかりじゃないんだ、名前があんのは。

小夏: また保険に入ったの?

ヤス: 愛するキミのためだよ。

小夏: 愛の証しとは思えないんだよね。月九万の生活費のうち七万保険料払ってんだもん。
今度のは毎日二百円ずつ取りに来るんだって。

ヤス: いい保険なんだよ。毎日二百円払って、俺が死ねば毎週一方円ずつ入ってくんだよな。

小夏: 受取り人が、ナナちゃんて人なんだって?
また私がニューフェース時代の後輩かなんか見つけて来たの?

ヤス: 生命保険のおばさんが、俺のこと接待してくれて飲み屋に連れてってくれるじゃない。
俺ももてたいもんだから、ナナちゃんを受取人にしちゃった。
でもナナちゃん、昔、おまえから随分いじめられたみたいだね。
おまえが若いころやったアクタレの尻ぬぐいだよ。

小夏: 先月も先々月も、私がニューフェース時代の同期の子とか後輩とか、
私を嫌ってる女探しちゃ、受取人にして、嫌味としか思えないんだよね。
これで本当にあんたが階段落ちで死んだら私どうなんの? 
私の立場どうなんの?

ヤス: いいんじゃない、お互い立場なんてないんだから。

小夏: 結婚式の夜だって、銀ちゃんアパートに来たでしょ。
銀ちゃん来るとあんた出てっちゃうじゃない。あたしと二人っきりにするじゃない。
そういうの、やめてほしいなって思ったわけ。

ヤス: 結婚式の時だよ。ウェディングケーキを切ろうとした時だよ。
小夏! 小夏! 銀ちゃん、教会のドア、パーンと蹴破って、
どっから持って来たのか分かんない十字架で窓をパーンとやって、
小夏ぅー! おまえのこと抱え上げて、
「この女はボクちゃんのものだ! この女はボクちゃんのものだ!
ほかの男なんかに渡さない!」
……俺さ、「卒業」っていう映画観た時、あの残された花婿可哀そうだなって思ったけど、
まさか現実に俺がその立場に追い込まれるとは思わなかったよ。
うちのお袋までが、何勘違いしたのか「小夏ちゃーん、シアワセになってネーッ!」
って叫んでるんだ。なんのために、六十年も田舎でおふくろやってたんだ。
俺、ホントに一人ぼっちだったよ。涙出てきたよ、美しい二人の愛にサ。
もう二人にはなにがなんでもシアワセに、なってもらおうと思ったよね。
だったら結婚式の夜、銀ちゃん遊びに来たらオレ席はずすでしょ。
そしたら、新婚旅行だって俺先に帰るだろ。

小夏: 新婚旅行よ。あたしだけ旅行先に置いてあんた一人で帰っちゃうじゃない。
あたし一人で残ってどうすればいいわけ? 
あんた、どうしてああいうことするわけ?

ヤス: 新婚旅行、どうして銀ちゃん来なかったんだ? 
頃合見計らって撮影所行ってみたら、銀ちゃん京都の撮影所の食堂に居るじゃない。
俺立場なかったよ。いい恥かいちゃったよおまえ、銀ちゃんに何嫌われるようなことしたんだ? 
銀ちゃん大切な人なんだから。君は知らないかもしれないけどさ。
知ってる? ウチの郵便貯金から毎月二千五百円ずつ引かれてるでしょ。
あれ、銀ちゃんの高校ん時の育英資金、俺が返してやってんの。

小夏: あたしに礼を言えってわけ?

ヤス: やめなよ、そういう髪型。もっとフサーッとしたのしてサ、
ズボンじゃなくてサ、スカートはいてサ、銀ちゃん小公女みたいなの好きじゃない。
もし、あなたが、僕のこと愛してくれてるんだったら、
一にも二にも銀ちゃん好みの女になることを心がけて欲しいわけ。

小夏: 私は、あんたの女房でしょ。

ヤス: ぺッ!

小夏: 何で私がほかの人の気をひくようなことしなきゃなんないのよ。

ヤス: 何で新婚旅行に来なかったんだろうね。

小夏: 来るわけないでしょ。

ヤス: どうして?

小夏: 常識で、

ヤス: 常識で俺達一緒になれねえんだよ。ぺッ!

小夏: やめてよ、タタミの上にべタベタ唾はくの。

ヤス: ペペペペペ……最近さ、たまに一緒に仕事しても、
銀ちゃんガンガン殴らねえんだよ。ガンガン殴らねえんだよ。手ェ抜くんだよ。
俺達大部屋の役者は、ワンカットが勝負じゃない。そこを手技かれちゃうとさ、
監督がボツにしちゃうんだよ。最近、新治とかマコトばかりだもん。
あれだけ「ヤスヤス」 って言ってくれてた人がよ。全然相手してくれないんだよ。
俺、何だって飲み込んでるじゃない。お腹の子だって、飲み込みのヤスだもん。
何が不服なんだろうね。こんなあたしに何が不服なんだろう。
ね、ちょっと電話して聞いてくんない? ちょくちょく電話してんだろ。

小夏: してないよ。

ヤス: ちょくちょく会ってんだろ?

小夏: 会ってないよ。

ヤス: 冗談やめてよ。

小夏: そこんとこ女はスパーッとしてるから。

ヤス: 俺、階段落ち近づいてるじゃない。

小夏: 死ぬかもしれないんでしょ。もう耳にタコができちゃって。

ヤス: 銀ちゃんに、変に優しい気持ち起こされて目でもそらされて、
呼吸が合わなかったりすると、俺も恐くなって階段の下、
ヒェ! 振り向いちゃうかもしれないよ。
振り向いたら、三千円ポッキリだもんね。
そしたら、お産の費用が出なくなっちゃうんだよね。
ほんとに蹴り殺す気でやってくれないと、しっかり叩っ殺す気でやってくれないと、
俺達おマンマの食い上げなんだよ。

ト書き(小夏): ヤスが立ちあがろうとすると、小夏、反射的におびえる。

ヤス: 飯は?

小夏: ない。

ヤス: いばるなよ。

ト書き(小夏): 小夏、かわいぶってベロリと舌を出す。

ヤス: 可愛かないんだよ、おまえなんか。あるじゃないかよ。

小夏: 失敗しちゃったのよ。

ヤス: エビ?

小夏: ザリガニ。あたしが料理するとエビもザリガニみたいになっちゃう。
子供に手がかからなくなったら、料理学校に通おうと思ってんだ

ヤス: 動くなよ。腹がでかいんだから。狭っ苦しい所でさ。

小夏: 片付けようと思って。

ヤス: 片付ける、ヘェー……、人間変わるもんだね。

小夏: ホラ、あたしも心入れ替えて、ちょっとやってみようかと思って。
最近小ぎれいになったでしょ、部屋なんか。

ヤス: 気色悪いんだよね、花なんか飾られたりすると。

小夏: 明るくやらない? ね、明るさが一番。

ヤス: もし、君に捨てられる時が来たらさ、
これだけは言っておこうと思ってることがひとつあるわけ。

小夏: (腕時計を見て)今日の落ち込み開始は八時二十分か。

ヤス: 君さ、ウチの田舎来た時、便所に隠れて煙草すってたでしょ。
みんな知ってたんだよ。いいんだよ、すってくれても。俺の前だったら。
おまえがさ、臨月だからって煙草やめられるようなタマじゃねえもんな。
いいんだよ、俺の前だったら何やってくれても。
裸になって町中走り回ってくれ。坊主頭になってくれ。いいんだよ、俺の前だったら。
たださ、田舎だから、
女が煙草すうなんて思ってもみないワケよ。
俺もさ、小さい時から親不孝ばっかりして来たから、せめて嫁ぐらいな、
中の下ぐらいを連れて行かないとな、普通のウチだからな、
それにお袋、去年親父が死んで、めっきり老け込んじゃったからさ、
親父が生きてりゃまだしもよかったんだけど、死んじゃったからさ。
そういうところでは、お得意の猫、かぶってて欲しいわけ。

小夏: あたしも普段しなれないことして緊張してたから。
あんたじゃない、煙草すすめたのは、

ヤス: それと君さ。別れる時が来たら……

小夏: 別れるわけ? 私たち。

ヤス: 別れないよ。

小夏: じゃそういうこと言うのやめてよ。

ヤス: 別れないけどサ。

小夏: ドキドキしちゃうんだから。

ヤス: 別れないよ、別れないけどさ、
もし捨てられる時が来たらこれだけは言おうと思ったことがあるんだよね。

小夏: 毎晩これですヮ。
あしたの朝、あたし荷物まとめて出てくから
その時、いつもみたいに行かないでくれって止めないでね。

ヤス: 君ンチさ、こういう料理の味付けとかダシの取り方とか、盛り付け方とか
教えてくれなかったわけ?
君ンチのお母さん。あの、初めて俺に会った時俺のことを
「あ、こ、この手の男? 小夏っちゃん、あんた男の趣味変わったのねー」
って言ってたお母さん、教えてくれなかったわけ?

小夏: お母さんあたしに輸を掛けて明るいから、教えてくれなかったわけ。

ヤス: あ、食べてたわけ、君ンチのお父さん、初めて会った時、俺が下手に出てりゃあ、
「おい、アンちゃん、こっち来な!」俺が行こうとしたら、
いきなり俺の頭酒びしゃくでカンカン殴ってき、
俺のことカンカン殴りながら「貴様ンチ、何やってるんだ!」
そりや聞かれて答えられるようなこと何もしてないけど、俺ンチ、百姓だから。

小夏: ……あたし一人娘じゃない。

ヤス: ふつう、ぶつか? 初めて会った男をさ、土下座してるのに。

小夏: だから、あんたをぶつことで、一人娘を嫁にやる男親の哀しみをこめてたわけよ。
あんたがヘェヘェってぶたれててくれたからあたし、ありがたいナって思ってたの。
だから知ってる? お父さん、今なんかあんたのこと好きだって、
こないだ丹前送ってきたでしょ。あれ、お父さんとお揃いのなんだって。
そんな粋なことできる人じゃないのよ。
シベリアに二十年間抑留されてて憲兵やってたガチガチの硬い人なんだから、
そんな粋なことする人じゃない……

ヤス: 知ってたんだ。

小夏: 許嫁者! あたし許婚者いたじゃない。
だから田舎でお父さん大変だったのよ。
すいません、すいませんて許婚者の家の前で土下座してあやまって、
雨の日なんかでザーザふってて俺ンチに泥塗ったなんて言われても、
あんたのこと好きだから全部かぶっちゃって、
知ってる? うちの酒「水戸誉」、二十パーセント売り上げ落ちちゃったんだって。

ヤス: 知ってたんだ。

小夏: ねっ、あたしの話聞いて、今だから言っちゃうけど、
あんたのこと初めて好きになったの、あんたがうちに来た時なの。
ああ、女はこういう男と一緒にならにゃいかんなあ。この人とならやってけるな。
あ、この人と赤ちゃん育てようって決心したんだ。

ヤス: 知ってたんだ。

小夏: あんたが、このラインくずさずにいたじゃない。
うちの親父、「てめえ、人ンチの娘はらませといてから下さいってどういうことだ」、
ピッシャンピッシャンなぐってたじゃない。それなのにあんた、
ハイハイハイってぶたれててくれたじゃない。知ってた? 
あたし、あんたの傍ににじり寄ってたの。

ヤス: 知ってたんだ、お腹の子が……

小夏: ちょっと親父言い過ぎダナって思ったからね、切り札出してやろうかと思ったの。
親父の女、あたし知ってんの。お母さん知らないの。
お父さん、いいかげんにしなさいよ!
「ひさご」のおかみさんと温泉行ったでしょ! 言っちゃうわよ、言っちゃうわよ! 
言うまい、言うまい。あんた黙ってぶたれててくれるから、あたしも黙ってすわってよう。
あの時の、青々と刈り上げたあんたの髪が、まぶしくてね。

ヤス: 知ってたんだ。

小夏: 今でも、あんたが電話もせずに帰って来ない時なんか悔やしくって、
まんじりともしないで座ってて、「なめくさって、ヤスのヤロウ……」と思ったりすると、
ふっと浮かんで来るんだよね。あの時の、あんたの背中が。

ヤス: 知ってたんだ。

小夏: 何を?

ヤス: そのお腹の子が俺の子じゃないって。

小夏: ヤスさん、あたしもう臨月でしょ。
カルシウム子供に取られちゃうんだろうね。最近歯が浮いちゃってさ、足もむくんで痛いし。
この時期過ぎたら謝るところは謝るから、デスマッチは勘弁して。

ヤス: 知ってたんだ。そのお腹の子が俺の子じゃないってこと知っててお父さん、
酒びしゃくでピッチャンピッチャンたたいてたんだ。知っててお母さん、
ハンカチ目にあてて、うちの娘がフビンで、うちの娘がフビンでって
近所中言いふらしてたんだ。
知ってたんだ、そのお腹の子が俺の子じゃないってこと。

小夏: 知らないよ。

ヤス: フーン、変わってんね。

小夏: 可哀そうで言えないよ、そんなこと。

ヤス: だったら、どの面下げてうちのお袋はお腹のガキを抱けばいいんだろうね。

小夏: お父さん、シベリアに二十年近く抑留されてて……

ヤス: シベリア、知らない。シベリアのことなんか知らないよ。
俺が知ってるのは、結婚式の時のことだけ。
結婚式の時、こっちからこっちだぁれも居なかったことだけ。
どうしておまえンとこ来なかったんだ?

小夏: だから、うちのお酒「水戸誉」が……

ヤス: 知らない知らない、「水戸誉」なんか知らない。
俺が知ってるのは、結婚式の時のことだけ。
結婚式の時、こっちからこっち誰も居なかったことだけ。
どうしておまえんとこ来なかったんだ? 
こっからこっちワンサカワンサカしてたよ。
そりやそうだよな、熊本の人吉のド田舎からよ、ドン百姓どもがよ、
結婚式だ結婚式だワッショイワッショイ! 
バスを連らねてやって来たんだもんな。真っ黒いチンチクリン共がよ、
チンケなネクタイしてよ、結婚式だ結婚式だワッショイワッショイ! 
面白かったろ、百姓。笑ったろ。笑ったろ。

小夏: 笑わないよ。あたしたちのために来てくれたんだもん。

ヤス: とにかく親父の言うことがすごいよ。「おまえ、いくら稼ぐんだ」「九万」
俺も見栄はって税込みで言ったんだ。
「えー! 九万! それじゃあダメだ。
うちの娘、青学でキャンパスガールやってた時、
月の小使い三十万使ってたんだ、三十万!」
おまえ、今どうしてんだ。

小夏: 今使えないもん。

ヤス: じゃあ出てけよ。

小夏: イヤ!

ヤス: 季節になると俺ンチ、人吉のみかんとか送るんだって!
俺、よせよせって言うのによ。
そうするとおまえん家送り返してくるんだってな。

小夏: 弟がそうしてんの。弟が変にムキになってるところあるから。

ヤス: うちは善意で、親戚だと思うから送ってんだよな。
何で送り返してくんの?

小夏: ほら、小さい時から勉強部屋、弟と一緒だったのね。
あたしがミス水戸になった時も弟が一番喜んだし。

ヤス: その銀ちゃん好きの弟、何てったっけ?
京都に来た時、俺が小遣いやったら
「あんたにもらう義理はない」って突っ返して来た弟。何つったっけ。
その弟だっておまえンチだろうが。
わざわざ航空料金使って航空便で送り返してくるんだってな。
いやだったらドブにでも何でも捨てりゃいいじゃねえか。何で送り返してくんの?
何で? 何で? 俺ん家がどんな気持ちになるか考えたことないの?
分からん。とにかく、ここん家のやることは分からないんだよね。
俺ん家、調べたんですって。調べますか?
そりゃあありますよ、どこの家でも一つや二つは。でも調べますか?
調べて欲しいのはこいつだよ。こいつのお腹ん中だよ。
興信所使って調べたんですって。調べますか?
恥はあるでしょうが、人間として。
俺ん家一体何があるんだよ! 何があるってんだよ!
もう喋るだけ喋らせといて帰りしなになってあのクソ親父、
「あんた、人吉といえば八つ墓村のある近くなんですってね。
いや、聞かん聞かん言い訳は聞かん。
お互い大人なんだから話合いましょう。
八つ墓村と姉妹都市宣言をしたんでしょ!」

小夏: 八つ墓村なんて、そんなの小説の中だけよ!

ヤス: 「あんたの一族も黒い秘密があるんですってね」

小夏: 言わないで!

ヤス: ワー!
あ、又御飯に水がかかってる。

小夏: ヤベ……

ヤス: 君ンとこの茨城の水戸じゃあ、電気釜から素手でご飯よそって、
水をかけて食うのが風習なわけ?

小夏: 横着しちゃって……

ヤス: 風習か、風習でないのか、ハッキリしてもらいたい。
君がもし、こんな水かけご飯食べて、栄養失調になって、流産でもしたらさ、銀ちゃん……

小夏: どうしてまたそこで銀ちゃんが出てくるわけ?

ヤス: 銀ちゃんでしょ。

小夏: 銀ちゃんは関係ないでしょう。

ヤス: 銀ちゃんじゃない。

小夏: この際だからハッキリ言うけどさ、
何でいちいち私の別れた男の話をあんたが持ち出すの。
私たち、きれいに別れたの。美しい別れだったの。
私は美しい思い出としてしまっておこうと思ってるのに、
あんたがヌーッて顔出すから思い出がムサくなっちゃうんじゃない。

ト書き(銀四郎): ヤス、小夏のお腹を蹴る。

小夏: お腹蹴るのやめてよ。
あんたにも銀ちゃんにも関係ないんだから。あたしの子なんだから。

ヤス: 銀ちゃんは、泣くよ。流産したら悲しむよ。首つるかもしれないよ。
それぐらい情の細かい人だよ。普通だったら、撮影所で赤ちゃんのガラガラ振って、
みんな集めて名前考えるんで大はしゃぎしてる人だよ。
その人がだよ、俺とすれ違ったら目そらすんだよ。逃げ出すんだよ。
こんな俺にオドオドして口きけないんだよ。こんな虫ケラの俺に遠慮してんだよ。
たまに組んだって、ガンガンこないんだよ。
そんなんじゃいい写真なんか撮れっこないんだよ。
俺、何のためにおまえとくっつけられたんだ。
えっ、何のためにくっつけられたんだ! 
何のために銀ちゃんに殴られてたんだよ!
何のためにあのヤローに十年間殴られてたんだ! 蹴られてたんだ! 
虫ケラみたいによ!

小夏: あんた、銀ちゃん好きね。

ヤス: 好きよ。銀ちゃんのことダーイ好きだもんね。俺、銀ちゃん大好きだもん。
一日会わなかったら淋しくって気が狂っちゃうかもしれないもん。

小夏: あんたはどうなのよ。

ヤス: 俺?……何かあるか? 何かあるか、俺。

小夏: だから、あんたが、あたしのことどう思ってるのか知りたいのよ。

ヤス: ぶっ叩かれて六百円。すっ飛ばされて八百円。何かあるか、俺に。

小夏: これからのあたしたちの生活を、
あなたがどういう風に考えているのか教えて欲しいの。

ヤス: 一体俺は何なんだ、どんな人間なんだ。

小夏: そんなふうにね、臨月の今になってそういうこと言うのなら、
私が初めにこの部屋に来た時に、三か月か四か月とかに言ってくれれば、
あたしだって処理できたのに、
それをあんたが「子供好きです」とか、「俺の子として育てていいか」とか言うからさ。
私だって腰すえて真剣に考えよう、そう思っちゃったんじゃない。
好きなのよ。あんたのこと好きになっちゃったのよ。どうしたらいいの、教えてよ。
うちの母のこと謝ります。すいませんでした。うちの父も御無礼しました、勘弁してください。
人吉のお母さんに親孝行します。
私、どうすればいいわけ? どうしたらあんたの気に済むわけ? 
こっち向いてよ。聞いてよ。
お義母さんに「いい嫁じゃもうけもんだ」って言われちゃったのよ。
どうすればいいの、あたし。どうすれば、あんたの気に済むわけ? 
はじめてなのよ、そんなこと言われたの。うれしかったのよ、ちゃんとやろうと思ったのよ。
教えてよ。言うとおりするよ。

ヤス: ……俺、長男だもんな、シャキっとしなくっちゃな。
田舎のおじさんやお袋、子供が産まれるの楽しみにしてんだよな。
弟もお袋もおじさんも、親戚中おまえのこと大好きでなあ。
ヤッちゃん、よくやった! ああいい嫁だ、可愛い嫁だ。
弟の嫁さん、慣れない山の暮らしで苦労したんだけど、
「ヤッちゃん、よくやった。ああいい嫁だ。
あたしは、小夏さんとならうまくやってける。
小夏さんにまであたしが味わったような苦労は絶対味わわせない。
小夏さんに用事のある人は、あたしを通して言ってもらう」、
宣言したんだって、親父の法事の時に。
おじさん、田舎のガチガチのガンコ者のおじさん、
「ヤス、女優なんか嫁にすんの絶対駄目だ」って言ってたおじさん。
今、おまえのこと大好きなんだよな。「ヤス、小夏さんは違う、あの人は違う」、
おじさん、おまえを見て認識を新たにしたんだって。
新たにするようなことなにもないんだ、田舎は。
弟の子供三人居てな、おまえのこと大好きでな。俺に聞くんだ。
「ねえヤスおじちゃん、小夏お姉ちゃん今度いつ来るの?」
「ねえ、ヤスおじちゃん、小夏お姉ちゃん赤ちゃん連れていつ来るの?」
「ほら、赤ちゃんだよ、赤ちゃんだよ!」
五郎なんか、去年日本脳炎になって口きけないんだけど聞くんだよね。
「小夏お姉ちゃんいつ来るの? 赤ちゃんいつ来るの?」聞くんだ五郎は。
「ねえヤスおじちゃん、小夏お姉ちゃん赤ちゃん連れて来たら、
赤ちゃん僕のこといじめないカナ。僕、こんな体だから、赤ちゃん僕のこと嫌わないかナ。
嫌わないよね、小夏お姉ちゃん今度来たら、海見たことないから
小夏お姉ちやんに海連れてってもらうんだ。海行って小夏お姉ちゃんと一緒に泳ぐんだ。
ポチャーン! ポチャポチャ!」

小夏: ヤスさん、

ヤス: 産んでもらうぞ、丈夫な子をな。どこへ出しても恥ずかしくない子をな。
そのガキは、俺の子なんだからな。

小夏: 大丈夫だよ、しっかり産むよ、丈夫な子を。
やっぱり産みたいじゃない。
オギャーオギャーオギャー! ホラ、女だから。
あんたには悪いけど、やっぱり産みたいじゃない。
オギャーオギャーオギャー! 女だから。
あ、言い忘れたけど、このあいだ病院行ってきたら、どうやら女の子らしいんだって。
女の子なら、あんたにも銀ちゃんにも似やしないよ。大丈夫だよ。
あたしに似た子が産まれるよ。少々のことじゃびくつきゃしないよ。タフに育つよ。

ト書き(銀四郎): ヤスふらりと出かけようとする。

小夏: ……今夜、帰って来てくれる? 帰って来てくれないかなあ。
一緒に居て欲しいんだなあ。あたし、いつ陣痛が始まるかわからないし、
一人で居るの、こわいんだなあ。居てくんないかなあ、そばに。
こんなこと言ったら笑われるかも知れないけど、あたし今の生活気に入ってるの。
あんたに殴られても何されても大事にしてみたいの。失いたくないの。

ト書き(銀四郎): ヤス、銀ちゃんへの電話のダイヤルを回す。

小夏: 何してんの! やめてよ! ねえやめてよヤダ!ヤダ!ヤダ!

ト書き(銀四郎): ヤス、小夏をつき放す。

ヤス: 銀ちゃん、ヤスです! ちょっと話しましょうよ。
銀ちゃん最近どうしたんですか。冷たいじゃないですか。
僕、銀ちゃんに冷たくされるとどうしていいかわかんないんですよ。
小夏が臨月なんですよ。もうメチャクチャ寂しがってるんです。
銀ちゃん、女心分かってるようで、全然分かってないな。
臨月の女ってのは、とても不安なわけ。そういう時は頼もしい男がそばに居て欲しいわけ。
銀ちゃんと俺、どっちが頼もしいの?
銀ちゃんでしょ、銀ちゃんじゃない。
今日、明日なんです、産まれるのが。俺じゃダメなんです。銀ちゃんじゃなきゃダメなんです。
銀ちゃんと小夏、ほんと仲よしなんだもんね。産院へ行って手握っててやってくださいよ。
手握って、ガンバレガンバレ小夏、ガンバレガンバレ小夏って言ってやってくれません? 
俺じゃダメなんです。銀ちゃんじゃなきゃダメなんです。お願いしますよ。お願いしますよ。
銀ちゃん! 大好きな銀ちゃん! 
どうしてそんなに哀しいの? 銀ちゃん! 
仲よしなんだよね小夏と銀ちゃん。俺なんか入っていけない仲よしなんだよね。
うらやましいなぁ。

小夏: 銀ちゃん……

ヤス: 大好きな銀ちゃん!

小夏: 大好きな銀ちゃん!!

ヤス: どうしてそんなに切ないの? 銀ちゃん!

小夏: どうしてそんなに切ないの!

ヤス: 大好きな銀ちゃん!!

小夏: 大好きな銀ちゃん!!

ヤス: どうしてそんなに哀しいの!!

小夏: どうしてそんなに哀しいの!!

ト書き(銀四郎): ヤスは小夏の長い髪をひっつかむと、床にたたきつけ、激しく小夏の腹を蹴る。
トンカチの音が聞こえ、照明がガシャガシャぶつかりあう響き。人々のざわめき。
サイレンの音がヤスと小夏を包みこむ。

小夏: できあがったらしいね、階段が‥パトカーと救急車が出揃ったようだね。
スタジオの前に香典が山積みにされてるよ。止めないね。止めやしないよ。
振り向いちゃダメだよ。真ン中に立つんだよ。大丈夫だよ。
ぶっ叩かれて六百円、けっ飛ばされて八百円。
そんなはした金じゃ、子供はあたしの腹の中から出て来れないもんね。
あんたが階段落ちをやって、こんなブ厚い札束をロにくわえて帰って来るのを、
あたし病院で待ってるからね。
こんだけ腹の中でいたぶられた赤ちゃんだもん。
誰かが死ぬ覚悟で稼いできた金でなきゃ、親父の名乗り上げてくれなきゃ、
出て来れやしないよ、やりきれなくてネ……あたしは、あんたに押しつけられたんじゃないよ。
あんたに惚れて一緒になったんだよ。

ヤス: あいよ。

●第三幕●

ト書き(銀四郎): 
第三幕
池田屋階段落ちの場。
階段落ちの開始予定時刻はとうに過ぎているが、肝心のヤスの姿はなく、みなイラついている。
しかし誰1人としてそれをロに出すものはない。
今日ばかりは大部屋の連中たちの態度はデカく、スターさんたちにタバコをもらいに行ったり、
若い女優たちの尻を撫でて歩いたりしている。
と、スタジオの扉が開き、勤皇の志士の衣装をつけたヤスが、入ってきて、
山積みになった香典と、白衣の医者や看護婦たちを一瞥する。
あたりは一瞬静まり返る。誰もヤスと目を合わせようとはしない。
早々とスタンバっている銀四郎の顔は青くひきつり、身体は小刻みに震えている。

ヤス: まあ一服させろや。
なんせ、オレは死ぬかもしれないんだからよ。

ト書き(銀四郎): 
そしてヤスはセットの階段下までくると草履を脱ぎ、裸足になる。
袴をつまみ上げ、一段一段板の厚みを確かめるようにピョンピョン跳ねながら上がっていく。
途中、立ち止まると、鋭くとがった階段のへりをひとさし指でいとおしそうにこすり、
意味ありげにニヤリと笑ってみせる。階段を上がりきり踊り場までくると、
煙草をとりだしロにくわえる。

ヤス: だれか火をつけに来んか。

ト書き(銀四郎): 
無言のまま銀四郎が上がってきて火をつける。そして思いっきり、ヤスを殴りつける。
ヤスは殴られるまま蹴られるまま。

ヤス: オイ!磯村!(クレーンカメラに向かい)
たしかおまえに2千300円借りてたな。
ほら、こないだ、オレが金持ってないのわかったとたん、
おまえが割りカンだって言い出したときの。
オレが死んだら、返せねぇからよ。
なんせ死ぬかもしれねぇんだからよ。

ト書き(銀四郎): ヤスの投げつけた札と小銭がヒラヒラと階段の上から舞い落ちる。

ヤス: おい、なんだありゃ!

ト書き(銀四郎): ヤスは三和土のところに何かを見つけると、ダダッと一気に駆け下り、
何やらつまみあげ

ヤス: おい! クギじゃねえか、てめぇら何やってんだ、
俺がこれでケガでもしたらどうするんだ!

ト書き(銀四郎): と、そばにいた助監の一人をつかまえ、
狂ったように殴りつける。
クギなど最初から落ちてはおらず、
ヤスがふところから取り出したものであることは皆わかっているが、
誰も止めようとはしない。

ヤス: まわせや! 死のかい。

監督の声(銀四郎): シーンナンバー41、
池田屋階段落ち、
5秒前、4、3、2、1 アクション!

銀四郎: だあ!!(袈裟懸けに斬る)

ヤス: ウオウ!!(と一気に階段をころげ落ちる)
(ゆっくり立ちあがり)監督! 俺、振り向かなかったでしょ。
ねえ、振り向かなかったでしょ
今の銀ちゃんのアップ撮れました? 
銀ちゃんのアップ、これ、こういうの銀ちゃんカッコいいもんね。
カッコいいな、俺、銀ちゃんダーイ好きだもんね。……オレ生きてます。オレ、生きました。

銀四郎: 当たるでぇ、この映画。


(幕)

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