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ルッキズムと心身二元論のあぶないカンケイ

ルッキズム(Lookism)と心身二元論(Mind-body dualism)は相性が良いのではないか、と思い、ChatGPT師匠に訊いてみた。すると、"lookism can be seen as a result of a belief in mind-body dualism"(ルッキズムは心身二元論から生まれたものと見ることができる)というパンチ力のある回答が返ってきた。以下がそのやりとり。

たご
Explain the relationship of lookism and mind-body dualism in simple terms
ルッキズムと心身二元論の関係を簡単に説明してください。

GPT師匠
Lookism is the discrimination against someone based on their physical appearance, and mind-body dualism is the belief that our mind and body are two separate things that interact with each other.
訳)ルッキズムとは人を外見で差別することです。心身二元論は、心と身体は別々のもので、お互いに作用し合っているという考えのことです。

When it comes to lookism, people might discriminate against someone based on their physical appearance and judge them as less valuable or worthy because of it. This type of discrimination is often rooted in the belief that one's physical appearance is a reflection of their character or worth as a person.
訳)ルッキズムでは、人々は他人を外見で判断し、人の価値を低く判断することがあります。このような差別は、「外見はその人の性格や人間的な価値を反映している」という信条に基づくことが多いです。

In this way, lookism can be related to the mind-body dualism belief, in the sense that some people may believe that someone's physical appearance is a reflection of the state of their mind or soul. This thinking reinforces the belief that a person's worth as a human being is based on their physical appearance, rather than on their inner qualities or abilities.
訳)このような捉え方では、ルッキズムは心身二元論と関係があります。つまり、外見はその人の心や魂の状態を反映している、と考える人がいるかもしれないのです。この考え方は、「人間の価値は内面の資質や能力よりも肉体的な容姿に基づいている」という信条を強化します。

So, in simple terms, lookism can be seen as a result of a belief in mind-body dualism, where people discriminate others based on their physical appearance and judge them based on this belief that the physical appearance reflects the inner qualities of a person.
訳)つまり、簡単に説明すると、心身二元論は「外見にはその人の内面的な資質が反映される」という信条に基づいて他人を判断し、身体的な容姿で他人を差別するという点で、ルッキズムは心身二元論から生まれたものだと見ることができます。

思っていたことが言語化されたような感覚があって、感心した。

ちょっと補足

少し補足すると、心身二元論というのは「心と身体は別々のものだよね」という考え方だと思うけど、ここでのポイントは、ChatGPT師匠が「別々のものであるけれど、相互に影響を与え合っている」という前提で考えていることかもしれない。たしかに、心身二元論でも「心と身体が完全に別々のものであって、相互に影響を与えることはない(?)」とするのは無理がある気がするし、一般的にも人々は心と身体が影響を与え合っていると考えがちなので、ChatGPT師匠の前提は説得力がある感じもする。

もし「心と身体は完全に別々のものであって、相互に影響を与えることはない」と考えてみると、、、そんな議論はあんまり聞いたことがないかもしれない。むしろ、心の存在は宙に浮いてしまって、簡単に吹き消されてしまいそうだ。行き着く先は物理主義だろうか。物理主義に行くと、それはそれで内面的な資質なんてものは否定されて、ルッキズムに近づく、かもしれない。

なんだか抽象的になりすぎてきたけれど、いちおう、Explain the relationship of lookism and physicalism in simple terms(ルッキズムと物理主義の関係を簡単に説明してください)とお願いしてみたところ、今度はこんな返答が返ってきた。最後のまとめ部分だけ抜粋。

In simple terms, Lookism is the discrimination based on physical appearance, and physicalism is the belief that everything can be explained by physical properties. Lookism can be related to physicalism in the sense that some people may believe that a person's worth is based solely on their physical properties and appearance.
訳)簡単に言うと、容姿で差別するのがルッキズムで、すべては物理的性質で説明できると考えるのが物理主義です。人の価値をその人の身体的性質や外見だけであると考える人がいるという意味で、ルッキズムと物理主義は関連することがあります。

ううむ、まあ、そんな返答になるか。

ルッキズム撲滅の難しさ

考えてみれば当たり前だけど、ルッキズムはただ「容姿が悪いのが嫌」なのではない。ルッキズムの主張に妙な説得力があるのは、「容姿や外見の悪さは内面を反映している」という考え方が根強いからである。つまり、容姿(身体)と内面(心)は相互に作用していて、心の状態は身体の状態に影響を与える、逆も然り、という考え方だ。心身二元論の王道的な主張、ともいえる。

この考え方は、日常生活のいたるところに浸透している。だって、サウナに入ると心が整う。少なくとも心が整うような気がする。「ような気がする」時点で、心にいい影響が出ちゃっている感がある。

ぼくたちは心や魂でサウナに入るわけではなく、肉体的にどかどかとサウナに入るのだけれど、サウナから出るとなんだか心や魂が整ったような気がする変な生き物である。逆もそうで、夜な夜な瞑想をすると首・肩・腰の調子が良くなるような気がする。したことないけど、たぶん。

テレビに連続殺人犯の容疑者が映ると、やっぱりなんだか悪そうな顔だなあ、と思ったりする。悪いことばっかりしてると外見に出てきちゃうんだなあ、とか。悪いことばっかりしている人間であることを他人にアラートするために、その人の最後の良心が顔面を捻じ曲げ始めて・・・なんて深読みすることもある。つくづく、人間は難しくて面白い生き物である。

ルッキズムについてはこんな記事も書いたよ。


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