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マスクの下のルッキズムーー「1億2千万なんとなく同じ顔」問題

日本でマスクが外せない理由について、海外に住んでいる日本人が書いたものほど、意地の悪い文章はない。特に、ヨーロッパや北米に住んでいる日本人の、「僕たちみたいな進んでいる国ではもうマスクなんて外しましたよ、日本は相変わらず遅れてるアホな国ですね」みたいな発言は、ムカつくだけで説得力がない。

なぜなら、「お前らも日本の日本人と同様、マジョリティーに流されているだけで、つまり日本に来たら外でもマスク着けて歩くだろ」と思われてお終いだからだ。

というわけで、「マスクを外せない日本はアホ」とマウンティングを取るのではなく、日本ではなぜマスクを外す人が少ないのか、真面目に考えてみた。

日本がマスクを外せない(当然の)理由

まず、真っ当そうな理屈を一つ挙げるとすれば、日本では一貫してマスクの着用は国や自治体からの「お願い」であって、マスクを着けていないからといって逮捕されたり、罰金を払ったりする必要はなかった。マスク未着用者への「冷たい目線」のようなものを促して、半ば強制的に99%超のマスク着用率を維持していたはずだ。だからこそ今度はマスクを外すタイミングが難しい。それが一番大きな理由だと思う。

政府が強制力を持った命令を出せる欧米諸国であれば「みんながマスクを外す日」は明確で、「マスク着用義務が撤廃された日」である。そんなはっきりとした切り替えは日本には存在せず、今も昔もなんとなく「屋外でもマスクは着けたほうがいいと言っている専門家もいるから着けたほうが吉」みたいな状況である。

もう一つの理由:顔を見られるのが恥ずかしい

日本でマスクが外せない理由をもう少し探ってみると、「外せない」のではなく「外したくない」と思っている人も、一定数いるんじゃないかと思う。そもそもコロナの前から、職場でずっとマスクを着けている人も日本では珍しくなかったし、日本人には「顔を隠したい」「顔を見られるのが恥ずかしい」みたいな気持ちがあるように思うのだ。

ルッキズムが蔓延る日本

最初に結論を言う。日本はルッキズムが根深い国で、実は自分の顔を隠したい人が多い。だからマスクに対する抵抗が少なくて、むしろマスクが心地よかったりする。(デジタル大辞泉によると、ルッキズムは「外見的な美醜を重視して人を評価する考え方」だって。)

なぜ、「日本はルッキズムが根深い」なんて言えるのか。すごいことを言うけれど、我慢して聞いてほしい。

日本人は顔が似過ぎているのだ。

「1億2千万人なんとなく同じ顔」の国

「大和民族が人口の90数%を占める」みたいなデータを持ち出すまでもなく、ただただ日本人は顔が似ている。東アジアの周辺国から日本に帰化した人たちも、アイヌ民族も、著しく異なる容姿をしているわけではない。

日本はアジアの極東にある列島で、遠く離れた大陸から移民がじゃんじゃか来た歴史もなく、北米やヨーロッパ主要国、さらにはそれらの宗主国から移り住んだ人々が社会に根付いた南米のような多様性もない。当たり前すぎて馬鹿馬鹿しく、むしろあまり言われてないけれど、1億2千万人がなんとなく同じ顔なのである。

日本社会が作り出す「美しい顔」の統一規格

この「1億2千万人がなんとなく同じ顔」という状況が、日本のルッキズムを強化している。つまり、日本社会には「美しい顔」の統一規格があるのだ。流行りのアイドルでも女優でもなんでもいいのだけれど、すべての人の顔面や容姿は、そこからの減点評価で測られる。なぜなら、アイドルも女優も、クラスメイトも職場のみんなも、揃いに揃って「両親祖父母全員日本人(=大和民族)の日本人」だからである。

前述したように、世界にはさまざまな人種や民族が存在し、外見だって明らかに違う。国家単位で見ても、ヨーロッパやアメリカ大陸では、さまざまな人種が入り混じっている。日本のように「クラスに一人だけお父さんがアフリカ系の同級生がいる」とか、「アイドルグループに一人だけロシア人のクォーターがいる」とかいうレベルではなく、社会のあらゆる集団で、異なるルーツの人々がごちゃ混ぜになって暮らしている。

そんな社会で、アフリカ系と北欧系、中東系、さらにはラテンアメリカ系と東アジア系の顔を同じ基準で比べるのは、どう考えても無理がある。複数のルーツを持ったミックスだって大勢いる。「目は大きい方がいい」「鼻は高い方がいい」「お尻は小さい方がいい」「肌の色は白い方がいい」なんて雑なことを、僕たちは間違っても言えなくなる。いや、そんなこと誰にも判断ができなくなる。

日本はどうすればルッキズムを克服できるのか

日本が「1億2千万なんとなく同じ顔」社会である以上、ルッキズムをなくすのは難しいように思う。「私らしい顔」なんてものも幻想で、そこにあるのは「同じ日本人(=大和民族)」の中での劣化版的差異(「太った菅田将暉」や「一重まぶたの浜辺美波」)でしかない。これは日本における「反ルッキズム」の論調からも明らかで、「鼻が高くなくてもいい」「目が大きくなくてもいい」「太っていてもいい」「背が低くてもいい」等の「美しくなくていいのだ」系の「応援メッセージ」がルッキズムへの反論だと勘違いされている。それらは結局、「美しい方がいい」という言葉を、正義の側から言い換えただけだ。

馬鹿みたいだけど、ルッキズムを社会から無くすためには、とにかく物理的にいろんな顔の人がいる社会を作るしかないと思う。そうなると多民族国家、いろんなルーツを持つ人々がワイワイごちゃ混ぜになって暮らす国になるのだけれど、それはそれでいろいろな問題や反論があるだろう。もしかしたら、ルッキズムで生き辛いくらい、我慢したほうがいいのかもしれない。

本題、日本はどうすればマスクを外せるのか

日本の夏は暑い。マジで暑いので、夏になればマスクは外れるのではないか。謎に猛烈な熱波が来て、今度は政府が屋外ではマスクを外すお願いをするみたいな、しょうもない展開がいいと思う。

あとは、人々が「キタナイ」ものに慣れる日が、もう一度来るかもしれない。ぼくはコロナ以降、外から帰ってくるとスマホをおしぼりで拭くようになった。何となく、ばっちいような気がするからだ。それと同じで、人がたくさん密集している場所は、何となくマスクを着けたいような気分になる。でも、2年後くらいには、スマホを拭くこともなくなっているんじゃないかと思う。密集エリアでもマスクをせずに、平気でいられる日が来るはずだ。

あるいは、ルッキズムを減らすために、移民政策を押し進める。美しい日本人の統一規格を壊す。これから人口がなおも増え続ける国々のリストを見ると、日本から遠く離れていて、容姿の違い的にはいい感じである。

おまけ

僕はYouTubeをやっていて、自分の顔を出して動画でしゃべっているのだけれど、たまに日本人の友人から「そんな顔でよくYouTubeやれるな」と冗談混じりに言われることがある。それはもちろん、僕が彼らと同じ日本人で、「かっこいい顔、世間に晒していい顔」の基準を持っていると思われているからだ。テレビなどのマスメディアを通して、「画一化された日本の美しい顔」を毎日見せられている日本人はそういう幻想を持ってしまうが、あいにく僕はそのような基準を持ち合わせていない。だから、今日もYouTubeであくび顔を晒すのである。


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