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ロシアとフィンランドのカギ--小泉悠『ロシア点描』の感想

小泉悠さんの『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』をとても楽しく読んだ。日本人が海外での生活を書いたエッセイは数あれど、住んでいる国(ロシア)との距離感が絶妙で、読んでいて心地よく感じた。

海外に住む日本人のエッセイを読む人は、「驚きつつ納得したい」という気持ちで読むのだと思う。つまり、あっと驚くようなカルチャーショックを紹介してほしい一方で、それがその国では「理に適っている」理由も知りたい。『ロシア点描』はそんなわがままな(?)読者にぴったりの本で、ロシアという国の文化や人々にびっくりしつつも、背景にある考え方やちょっとした思想を覗きながら「なるほどなあ」と思える。こういうエッセイを書くためには、ベッタリと同化するのでも、あっさりと引いてしまうのでも駄目で、絶妙な距離感と、何よりも愛が必要だ。筆者はロシアが好きなんだと思う。戦時下だろうとそんなのは当たり前のことで、ぼくだって日本やタイやフィンランドが仮に世界の敵になったとしても、好きで居続けるに違いない。なぜって、住んでたからである。

ロシアのこんな濃厚なエッセイが出版されて、フィンランドに住んでいる日本人としては羨ましい限りだ。フィンランドも、日本人が書いたエッセイはいくつかある。それはそれで面白いのだけれど、『ロシア点描』ほどの濃さがあるエッセイには出会えていない。フィンランドはもっとこう、淡い色合いのスケッチみたいなエッセイが多い。そもそもオシャレな感じの女性が書いたものが多くて、「軍事オタク」を自称する『ロシア点描』の著者みたいな人はいない気がする。ぼくはもちろんおじさんで、おしゃれには程遠い、「デパートでズボンを試着する時間が世界でいちばん嫌い」みたいな男なので、もちろん『ロシア点描』の方が気が合う。

あと、あまりこういうことを言うとフィンランドに住んでいる人に怒られるかもしれない(なんで?)けれど、やはりフィンランドとロシアは似ている気がする。というか、隣同士だし、似てるに決まってるんだけど。

例えば、以下のような記述がある。

一度身内扱いになるとどこまでも親切にしてくれたりもします。(中略)これはロシア人の気の良さでもあるのでしょうし、厳しい気候や専制的な政治体制の下では助け合わないと生きていけなかった、という歴史の反映でもあるのでしょう。 さらに興味深いことに、ここでいう「身内」は必ずしも血縁とか実利的な関係に限りません。例えばアパートのお隣さん。ソ連時代の夏休みといえば勤務先の用意してくれた保養地に長い休暇に出かけるのが国民的な楽しみだったのですが、こういうときには自宅の鍵をお隣さんに預けて行くという習慣がありました。

「第一章 ロシアに暮らす人々編 無限の不信と信頼が同居する国」より引用

これはちょうど、僕自身もフィンランドで身に覚えがあった。2020年、僕はエスポーのレッパバーラという、ヘルシンキ中央駅まで電車で15分ほどの街に住んでいた。妻のソピッタ氏が通っていたアールト大学の学生組合が間借りしているアパートだった。

そのアパートの住民たちか、あるいは学生組合かは忘れたけれど、年に一度の会合があって、共同設備の管理など、代表者がさまざまなことを話し合っていた。僕もソピッタ氏も参加していなかったのだけれど、会合のあとに決定事項のメールが届いた。

そのメールに、「玄関のオートロックで鍵を閉じ込めてしまったときには警備会社を呼んで鍵を開けてもらう必要がありますが、その費用が今年もさらに高額になります。そこで日頃から、スペアの鍵は隣の部屋の人に預けておくことをおすすめします」と書かれていたのである。当時は二人で「そんな方法アリなんだろうか」と驚いていたのだけれど、ロシアにもそのような文化があると知って、なんだか納得した。ちなみに鍵を閉じ込めると、一回あたり7000円くらい払って警備会社「セキュリタス」の人を呼ぶことになる。そうすると、なぜか自宅の扉が開くのである。結局ぼくたちは鍵を隣人に預けることはできず、転居するまでにセキュリタスを2回も呼んだ。

そのほかにも、あまり裕福でない人々も郊外に別荘(ロシア語ではダーチャ、フィンランド語ではモッキ)を持っていて、ログハウスを自作することが生きがいな人が多くいる話や、「森の民」であるロシア人は時々森に行かないと落ち着かないという話は、そっくりそのままフィンランド人にも通じる。ベランダを自分好みにカスタマイズするというのも、ロシアほどではないけれど、フィンランドの人たちにも当てはまる。パンが黒くて固い、酒好きが多い、モスクワあたりのロシアの郷土料理は薄味中心で、日本食のはっきりとした味付けが恋しくなるというのも、ヘルシンキに住んでいるぼくはとても共感した。

もちろん、フィンランド(ヘルシンキ)とロシア(モスクワ)では違うことも多い。

例えば、『ロシア点描』では「ロシアの人々の心には、他者に対する不信と信頼が同居している」ということが書かれている。フィンランド人は、不信と信頼が同居というよりも、もっと他人に対してフラットで、不信と信頼の中間くらいで一定しているように思える。

もっと具体的な話をした方がいいね。建物の造りもかなり違うようだ。モスクワは、外から見るとなんの店なのかわからない、窓のない店が結構あると書かれていたけれど、フィンランドは陽射しを大きく取るために、どの建物も窓が大きい。この辺りは街自体の歴史も関わってくると思う。ヘルシンキはモスクワよりずっと新しい街だからだ。

最後に、なんだかちょっと変なことを言うけれど、やはりロシアというのははじめから、ちょっとおっかないイメージがある。むしろ、そこがいいんだと思う。外から見ると冷たいけれど、「中に入っていくと実は温かい」という驚きがある。その点、フィンランドは「世界一幸福な国」なんて言われているせいで、温もりに意外性がないし、かといって数限りなく存在する世の中の理不尽(もちろんあるよ!)について語っても、「でも世界一幸福なんでしょ」と言われそうだ。

一つだけ言わせてください。『ロシア点描』では(当時の)ロシアには賄賂があると書かれていたけれど、フィンランドでは高額な税金の裏に、さまざまな節税テクニックがある(らしい)。

「賄賂と節税は違うだろ」という声が聞こえてくる。もちろんその通りで、賄賂は金が金持ちから貧乏人に流れるけれど、節税テクニックはただ金持ちの金が増え続けるのである。ある友人は、「フィンランドで金持ちになれるのは、脱税の方法を知っている人だけだよ」と嘆いていた。


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