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エッセイ

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人生の話、フリーランスの話、広告コピーの話まで。TAGOの日々のできごとや考えを綴った文章。
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#旅行

海の宝石を求めて(翡翠を探す旅 part3)

「ああ、糸魚川にいきたい」 頭の中で、何度も何度も その言葉が繰り返されていた。 2022年冬のことである。 数ヶ月前に糸魚川で 1週間という贅沢な時間を 過ごしたばかりではあるが、 私は相変わらず翡翠のことばかり考えていた。 新潟の人はいいなあ。 東京には翡翠海岸がない。 東京にはフォッサマグナミュージアムがない。 東京には自宅から1時間以内に糸魚川がない。 冬の北陸は雪国になる。 わが愛車のサマータイヤでは危険だ。 翡翠シーズンは冬なのに。 ジレンマとの戦いが

パンケーキを食べずに死ねるか、と思った「下栗の里」。

天空の里。日本のチロル。日本のマチュピチュ。生きたマチュピチュ。 『下栗の里』には、いろいろな愛称がある。そこは、標高800〜1000m、最大傾斜38度の急斜面に民家や畑がへばり付くように点在する集落だ。長野県飯田市の山深い地域にある人口150人余りの里は、「日本の里100選」に選ばれている。スタジオジブリの短編映画「ちゅうずもう」の着想を得た場所だと言われ、実際、宮崎駿監督が訪れて宿に泊まったらしい。(下部イラスト参照) 好奇心を揺さぶるキーワードだらけの『下栗の里』。

35年後の答え合わせ

“たった一つの景色”だけを覚えていた。 私がまだ小学生低学年だった頃。親に連れられて和歌山県の白浜温泉に行った。初めての家族旅行だったと思う。もう35年近く前の話で、旅先のことはほとんど記憶にない。断片的に、一つの景色だけがずっと消えずに残っていた。 それは、ホテルのロビーの景色だった。 ホテルの名前も外観も全く覚えていない。ホテルのロビーにいた記憶の前と後がバッサリ切られている。どれだけ脳内に潜っても真っ暗で何も見えてこなかった。 ずいぶん前のことだし、その微かな記

サハラで出会った一番美しいもの

午前5時30分、腕時計のアラームが鳴った。 暗闇の中、“砂漠の民”ベルベル人のガイドがテントにやってきて出発を告げる。これからサハラ砂漠の日の出をみるために、高い砂丘を登るのだ。 ひんやりした空気の中、僕を含めたキャラバン参加者たちは、ガイドの後を追って足元が見えない砂丘をズボズボ登る。頂上に到着すると、みんなで横一列に並んで砂の上に座った。後はただひたすら待つのみ。 舞台の緞帳が上がるかのように、暗闇に隠れていた世界が少しずつ輪郭を見せ始める。空の色は、数分ごとに、赤

夢のかけら

物足りなかった。持て余していた。 大学生活が3年目を迎えた頃、夢もお金もなかったが、時間とエネルギーだけはたっぷりあった。僕は退屈な日々の中にいて、未来につながるような、寝食を忘れて没頭できるような何かがほしくて仕方なかった。 現状を打破するためには、今までの自分では到底考えられないような大胆な行動が必要だ。でも何をすればいいのかわからなかった。そんなある日、「深夜特急」という本に出会う。 海外一人旅なんて不安と怖さしかない。 一人旅どころかパスポートを持った経験すら

たまに、後ろを振りかえる。

人は「節目」になると、旅に出る。 卒業旅行をはじめ、結婚◎年目のアニバーサリー旅行、父親の定年退職を祝う旅行、さらに言えば、失恋旅行っていうのもある。それらの旅に共通しているのは「追懐」だ。節目の旅には、それまで歩んできた日々を思い出して懐かしむ時間が必ずある。 列車の車窓から流れていく景色を眺めながら。異国の大きな空を見上げながら。温泉に浸かりながら。旅という非日常空間の中で、過ぎ去った日々を思って感慨にふけったりする。 ほとんどの人が、わざわざ過去を思い出そうと思っ