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教科書たいせつの話。

中学か高校の教科書に載っていた説明文。
"ミロのヴィーナスは腕がないから美しい"という話。
これが妙に好きで。
いや、正確には後から好きになったのだと思う。
何か似たような事柄に遭遇した時に「そういえばそんな話がどこかにあったな」と思い出し、仕舞ってあった教科書を引っ張り出して読んだのではないだろうか。

つまり、想像力が掻き立てられるから美しい、というわけです。
失われた両腕は、どのような形をしていたのか、それは人それぞれだということ。

そんな案件よくありますよね。
まずマスクがそう。
半分隠して想像するから美しいひとに思える(聞くところによると男性も女性も感覚は同じだそうです)。
そう考えると隠すことの方が美意識なのかも知れませんね。
それってちょっとエロチシズム。
よく言うチラリズムとか、それに似てるのかな。
私もくつ下はかせたままで致す方が…この話はまあまた別の機会に。

枯山水とかも似た感覚なのでしょうな。
若い頃一度だけ龍安寺で拝観しましたが、当時はよく分からなかったなぁ。
縁側にひとが束になって座り込んでボーッと見てて。
ただただ疲れて休憩してるように見えた。
中には感動して見入ってるひともいたのかも。
私も今一度見たなら感覚変わるのかなぁ。

映画や漫画もセリフの少ない作品が好き。
こちらに想像させてくれる作風が好きです。
小説で言うところの『行間を読む』ってやつですね。
音楽もそうなのだろうなー。
なんか、音楽が一番わからんなー、やってるくせに。
やってるからわからんくなったのかなぁ。
ブライアン•イーノ氏がやってる音楽とかが上記のそれに当たるのかなぁ。

ブライアン•イーノ【1/1】

落語がそれの最上級ですよね。
観客が想像することで成り立つ芸術。
おじさんが小さな子どもにもなれば娘にもなる。
それに対して笑う観客はいない。

そしてこのミロのヴィーナスの話(タイトルや著者は忘れましたが💦)、授業ではやってないんですよねー。
かなりいい題材になると思うのですけど。
まあ教室の大半が理解できないでしょうね。あるいは理解できないフリをしたか、ですね。
学生特有のあの『無関心がカッコいい』風潮。良くないですよねー。
それはつまり授業を面白く進められないからかも知れない。
教育者側にも要因はあると思われる。
あんなに長い時間をかけてテストすることで優劣をつけ、しかし授業だけでは英会話もできないのが日本の実情。
よくないねー。

思わぬ方向に話が逸れました。

つまり。
授業ではやらずに教科書には掲載し、生徒たちにチラリズムを図り、想像力を活性化させるという素晴らしい日本の教育法なのではないかと。
そしてそれを倍以上齢を重ねた卒業生がブログのネタにでもしてくれれば一番の功績だと。
なるほど。
私は日本の教育界における教科書という名のネギを背負ったカモだったわけです。

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