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建造物を信じるSILENT FIGHTER

人工的なものに恐怖を覚えない。
例えば吊り橋。遊園地のアトラクション等。
バンジーも未経験だがやってみたいと思う。

高所恐怖症じゃないのにこれらが怖いと思うひとたちは他人の技術を信用していないのかも知れない。

昨日クロマニヨンズのライブに行ってきた。フェスティバルホールで3階の1列目という席だった。
ちょうど真ん中あたりで観やすく、喜んでいたのだが、メンバーが出てきても同じ並びの人たちは席を立とうとしなかった。
確かに僕を含めおひとり様、しかもどちらかと言うと"若い世代"という塩梅ではなかった。
周りが誰も立たないので自分のガラスのハートではひとり立つことが出来ず『マジかー、立って観たかったなー』と思っていたのだが、とある代表曲のひとつが始まった時にたまらず僕は一人立つSILENT FIGHTERだった。
フェスティバルホールは構造上、3階席も前方にせり出しており、2階席の真上。
つまり3階の一番前から下を見下ろすと1階席なんです。
もちろん座って観ることを想定されて造られた手摺はベルトの高さより下。
「こっわ〜!」となった。
なるほど。これは立ってはいけないと思った。
僕は高所恐怖症ではないが、あまりに安全が確保できない場所ではさすがにビビる。
落ちたらおしまいだと思った。実際にそんな事故はないのか?とも考えた。その思考は恐怖をさらに膨張させた。

そういえば小学生の頃アスレチックも怖かった。安全ベルトなどもなく木造の建造物をルール通り登って最上に達した時、下を見て「あ、この高さから落ちたら死ぬかもな」と思ったら足が震えた。
作文でそのことを書いたら「運動神経抜群のナヤ君がそんなこと思うなんて(笑)」と担任の先生がコメントしたが、つまりどちらも作る側が想定していない危険なんですよね。
こちら側に安全の確保を委ねている。
『フェスティバルホールの3階席1列目には安全ベルトが設置されています。必ずご着用ください』だとか『安全を考慮し当遊具の下にはセーフティマットを敷いてあります。安心してお遊びください』とか。
それなら怖くないのだ。技術者たちの設計した【安全】に僕は身を委ねることが出来る。信じることが出来る。
つまり僕が信用してないのは自分自身ということなのか。
うむ、確かにそういうところあるな。

フェスティバルホール3階席1列目から覗き込んだ奈落の底で、僕は漂う自分の弱々しさを見つけた。

ただ立ち上がったことに後悔はなかった。
続けて始まった次曲は、僕が最も聴きたいと思っていた一曲だったから。
それが終わって気がつくと、手摺を握る両手はびっしょりと汗で濡れていた。
静かに席に着き、2度と立ち上がらなかった。

やってみたいと思っていたスカイダイビング。
これも無理だろうな。
自動的に絶妙なタイミングでパラシュートが開き、もしもの場合に備えて地面一面にマットが敷かれていない限りは。
あるいは坊主が袈裟着て控えてくれていたら、安心できるのかも知れない。
想定されているわけだから。

つまり覚悟してない死が怖いんだな。

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