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ひとは努力をしている。の話。

先日、雨に濡れて自転車出勤した。
ちょうど家を出たら降り出した。
天気予報をしっかり観る方なので不安定な日に雨具を持たずに家を出るということはないのだが、その日の予報は『降りません』だった。
コンビニで雨ガッパでも買うか考えたがその時はすでにずぶ濡れだったのでそのまま会社に向かうことにした。
大雨だった。
予報にない雨のくせに大雨だった。
すぐ止むことはわかっていた。
つまり私が出勤してるタイミングだけを狙っての大雨だった。
予想通り会社に近づくにつれ、雨足が弱まってきた。
こうなると止むことすら腹立たしく思えてくる。
そこで考えることがあった。

ひとはネガティヴになる努力をしている。
昔から考えていることだ。

凹んでる時はさらに凹もうと。
悲しい時はさらに悲しもうと。
苛立っている時はさらに苛立とうとする。
また嫌いなひとがいるなら、さらに嫌いなところを見つけようと努力する。

凹んでるひとって凹んでいたいのだ。
悲しい時は楽しさが欲しくない。
苛立ってる時はそれを誰かに見てほしい。
嫌いと決めた人のことは嫌いでいたい。

大人になればなるほどその傾向があるように思う。

20代の頃に勤めていた職場に、生理的に受けつけないおじさんがいた。
特に何かされたわけでもないが、言動がいちいち嫌だった。
仕事着に着替えるロッカーが隣り合わせだった。
出社してくるタイミングも同じだった。ズラそうと早く出勤しても、そんな時に限ってそのひとも早かったり、渋滞に巻き込まれて結局同じタイミングになったり。
もちろんおじさんに悪気はないのだけど、プライベートで友だちと入ったファミリーレストランでたまたま遭遇したりもした。
往々にしてそういう存在というのはそういうもので。
余計に嫌いになってゆくのだ。

ある日、また同じタイミングになったロッカールームで(半ばズラすのを諦めていた)、僕はハンガーを落とした。
そのハンガーがそのおじさんの足下に転がった。
「マズい!」と思ったが時すでに遅し。
おじさんが拾い上げて私に渡した。
聞こえるか聞こえないかくらいの声で小さく礼を言い、私は頭の中で『最悪や。最悪や。最悪や。最悪や。最悪や。』つぶやいた。
まさか拾ってもらっておいて「なんやお前!」とブチ切れるわけにもいかず、ただ身体の内側で怒りを燃やした。

その時に気づいた。
『俺はこのひとを嫌いになろうとしている』
本来であれば『あ、いいひとなんだ。嫌いになるのはやめておこう』のはず。
だが私はそのひとを嫌いでいたかったのだと思う。
嫌いになるポイントを探しているのだと気づいた。
つまり【嫌いになる努力をしている】わけだ。

とてもつまらないことだと思った。
誰も幸せにならない行為に及んでいたのだと気づいた。
そのすぐ後にそのおじさんは別の派遣先に移ったので、あのままだったらどうなっていたかは不明だが、こんな人生は辞めようと思った。

この考えに至って、凹むひとも、悲しいひとも、苛立っているひとも、さらにそうなろうと努力しているという方程式に気づいた。
もちろん自分もそれまでそうだったとわかった。

たぎり屋の基本スタイルはここにあるのかも知れない。
辛い時って、やさしい言葉すら受け入れられないと思うんですよ。
誰かのアドバイスが聞きたいわけじゃない。
たぎり屋の歌詞に意味がないのはわざとにそうしてるわけで、「あー面白くないなー」って思ってるひと、自らが「あれ、楽しいかも!」ってシフトできるように、と願いを込めて歌ってます。

実は一曲だけメッセージ性込めてる曲があるんです。上記内容を歌詞に乗せました。
ライブ定番曲ですよw
「不幸を探して歩く そんな人生やめなよ」
【トマトジャンピン'】ですな。
これは、『一番ツマラン歌詞にメッセージ性乗せてやれ』っていう私なりの遊びなんですよwww

だからトマト菜箸で頬張って、
バカみたいに楽しく生きて行こうよ

知ってるよ俺は。
バカみたいに楽しいことなんてそんなにないし。
バカなんてひとりもいない。
みんな悩んでるよねー

せめて音楽聴く時くらいバカになっていいんじゃないのー?ってね。

とにかくまずは無駄な努力をやめましょう。

もちろんそのこと思い出して、雨に降られて出勤したけれども、笑い話に変えてやりましたよ!
その日それが原因で風邪引いて早退しました。

ムキーーーー!!

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