「病気」の原因はここにしかありえないと思う
1. なぜ誰も難病の原因を見つけられないのか
きっと世界にはびっくりするくらい頭のいい人がいるはずなのに、
世の中には難病という誰にも治せない病気がなくならないどころか、どんどん増えてきてさえいるのが事実です。
なぜ世界の叡智を結集させてもなお難病は治せないのでしょうか。
それは難病を治すための答えが外の世界には存在しないからだと思います。
おそらく難病を治すための答えはその人自身の中にしか存在していません。
だから頭のいい人達が科学技術の粋を集めて捜索しても原因は見つからず、
いつも見つかるのは原因のようなもの、だけ。
だからいつまで経っても難病はなくならないし、増え続けていると。
そう考えればすごく納得がいくところが私にはあります。
2. 本当の「病気」の原因は誰にも見えないところにある
一方で、原因のようなものが見つかってしまうと、
「その原因のようなものを何とか解決してほしい」という気持ちが誘導されてしまいがちです。
もしも本当の原因はそれではなく、自分の中にしかないものだと仮定すると、
そのように「誰かに治してもらう」という気持ちは、むしろ病気を治すことから遠ざかる行為だと言え、
その結果、一時的によくなることはあったとしてと、長い目でみると病気はどんどんこじれていく、という構造になるのではないかと思います。
実際、世の中の「病気」と呼ばれる状態を見ていると、
ほとんどがそのような構造をとっているように私には見えます。
勿論、私のその考えに証拠はありません。何せ原因はその病気のある人の内側にしかないわけですから。
他人の考えていることは一部しか知り得ませんし、自分が頭の中で考えていることでさえ、はっきりとつかみきれないところもあります。
でも少なくとも構造は病気の原因が内側にあると考えて矛盾のない形をとっていますので、
どんな頭のいい人達も難病の原因を見つけ出せない限りは一考の余地ありと考えられるのではないでしょうか。
3. 「病気」を意識する場では「病気」は治せない
さて、もしも「難病の原因がその人の内側にある」のだとすれば、
「病気を治す」とはどういう行為でしょうか。
多分それは、自分の中にある病的な物質を取り除く行為ではありません。
それは本質的には病気の原因を外に求める行為だと思うからです。
おそらく「病気を治す」とは「自分が変わること」です。
「病気」という概念にとらわれず、ありのままの自分を受け止めて、そこから自分にできる何かを始めていくことだと思います。
だからきっと「病気」という概念を意識するような場所で、「病気」を治す行為を行うことは、
構造的に無理なのだと私は思います。
自分の生き方が変わり、気がつけば病気を意識しない世界で生きていた、
そんな人生の転換が行えるような場を創っていきたいです。
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