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コロナにかかるメリットを考えてみる

1.なぜ「ウイルス感染症」は起こるのか

私はこの世に「絶対悪」というものはないと思っています。

どれだけ「悪」に思える人や現象も、立場や見方が変わることによって、それ相応の理由や理屈は存在しているものです。

しかし自分の価値観やものの見方が片方に偏っている時には、その対象が「悪」にしか見えないということは往々にしてあると思います。

コロナ禍において「自粛警察」や「マスク警察」などといった一定の価値観を押しつける集団的傾向が目立ったのも、

価値観が偏っていることが背景としてあるのではないかと思っています。

そんな中、世界は新型コロナウイルスに感染することを「絶対悪」のように捉えてしまっている節があると思います。

とにかく感染することから社会の経済を崩壊させてまで逃れようとする価値観の暴走が、今もなお留まるところを知りません。

しかし人間の悪意であればまだしも、「ウイルス感染症」というのは、言ってみれば自然現象です。

「ウイルス感染症」という現象は人間が生まれる前からおそらく普遍的に存在していたであろうと思われる現象です。

そこに善も悪もなくて、「ウイルス感染症」とは起こるべくして起こっている、必然的な理由のもとに起こっている現象だと私は考えています。

言い換えれば、「悪」だと思えるその現象にも「善」だと思える側面があるのではないかと思います。

今回は世界中が忌避しているコロナにかかるという現象、引いては「ウイルス感染症」にかかることのメリットについて考えてみたいと思います。


2.「ウイルス感染症」にかかることの2つのメリット

まず、今までの「ウイルス感染症」に関する事実からわかることとして、

「ウイルス感染症」は体力のない人や、体力はあるけれど無茶をしてしまったような人を中心によく起こります。

「ウイルス感染症」ならばどのウイルスであってもほぼ共通して起こるのが「発熱」です。これは身体がウイルスを追い出そうと免疫細胞が活性化する際に付随して起こる現象だと説明されています。

私は、この発熱という現象は、言わば身体が全力疾走をしているような状態だと考えます。

つまり何らかの原因で乱れてしまった身体のシステムがウイルス感染を契機に急激に刺激されてメンテナンスを余儀なくされているような状態です。

これは「ウイルス感染症」として皆が忌避する現象の正の側面を表していると私は思います。それには大きく2つあります。

すなわち「ウイルス感染症」にかかるメリットの一つ目は「身体がオーバーヒートで故障するのを未然に防ぐ役割がある」ということです。

発熱を伴えば、身体はだるくなり、それ以上活動しようという気持ちが失せます。

もしも発熱という現象が起こっていなければ、このまま無理をし続けて身体が故障していってしまったであろう状況を、未然に予防してくれていると言えるのではないでしょうか。

だから熱はあるけれど、仕事があるから安々と休めないというような一昔前までの常識的価値観は、身体のシステムから考えれば論外ということになります。

「ウイルス感染症」にかかることのメリットもう一つは「いざという時に全力疾走する時の練習が出来る」ということです。

熱を出せるということは、いざという時に外敵と戦って自分を守ることができるということを意味しています。

私は医者なので人生の終末期における患者さんを数多く診てきていますが、

肺炎などでさんざん発熱を繰り返してきた高齢の患者さんも最後は熱が出せなくなるステージがあります。

頑張り過ぎて力尽きるという構造を示していると思いますが、全く頑張らないのもいざという時に戦えなくなって困ります。

何事も使わない能力は衰えていくものです。「ウイルス感染症」は自らのシステムの故障に気づかせてくれると同時に、いざという時に全力疾走できるように爪を研ぐ役割も持っているのだとも思うんです。


3.「ウイルス感染症」を悪く思うのは、まるで〇〇をないがしろにするようなもの

そして諸説はあるものの、「ウイルス」というのはそもそも細菌、古細菌、真核生物といった生物の3大カテゴリーのすべての源流に当たる共通祖先的な存在、もしくはそれらとは一線を画する第4のカテゴリーだという仮説があります。

いずれにしても、ウイルスは自然界を構成する一員だということであり、

これらは私達が細菌や真菌と共生し、バランスを取りながら生きている構造と同様に捉えることができるように思います。

細菌や真菌と比べて、ウイルスに違いがあるところがあるとすれば、

生物としての不完全性の部分だと思いますが、それも含めて自然の一部だという風に解釈することができますし、

ウイルスが生物として不完全な存在なのであれば、なおさらそこに「悪意」は存在しないということになります。

不完全な存在に刺激されて、完全だと思っていた自分の身体の不完全さに気づき、また精進しようと思わされるということは、

人間の世界でも大人がこどもに教わることも多いという構造とも似ているのではないでしょうか。

今私達がウイルスを一生懸命忌避している行為というのは

まるでこどもの主張に耳を貸さずに、大人達の都合だけで世界を回しているかのような傲慢さに通じるように私は思います。

今の私達には、現象に余計な解釈を挟まずに、ありのままに受け止めるという姿勢が必要なのではないでしょうか。

コロナから逃げずにいきましょう。かかったらかかったでありのままを受け入れようではありませんか。

実はそれは自分が大きく成長するチャンスかもしれませんよ。

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