ゲームがやめられない人へ伝えたいこと
1.私は「ゲーム」にハマっていました
皆さん、「ゲーム」はお好きですか?
ここで言う「ゲーム」とはテレビやスマホで楽しむビデオゲームのことをイメージして下さい。
私は小さい頃から大のゲーム好きです。
1985年に発売されたいわゆる「ファミコン」とともに幼少期を過ごした世代です。
おそらくその世代の多くの人が「ゲーム」に熱中した経験を持つのではないでしょうか。
一方で2018年に世界保健機関が「ゲーム依存症」という病名を正式に設定するほどに、
「ゲーム」にはまりすぎて仕事に行けなかったり、金銭面で破綻してしまったり、日常生活上の支障をきたしてしまうような人も出てくるようになってきたといいます。
本来は楽しんで行っているはずの「ゲーム」が、自分自身の生活を脅かしてしまうというのは実に皮肉な話です。
何を隠そう私も「ゲーム依存症」ではないかと思えるほどに、ゲームにはまっていた時期が大学生の頃にありました。
具体的には徹夜で1日中ゲームをして一睡もせずに過ごすような状態です。
こどもの頃だけならまだしも、ある程度の大人になってからも「ゲーム」にハマっていて、しかも日常生活に支障をきたし始めているような状況まで陥って、
このままだとまともに働けないような大人になってしまうのではないかと不安に感じる時期がありました。
ところが結果的には今、私は無事に働き世代となって、「ゲーム」はぱったりとやらなくなりました。
それは「ゲーム」を止めようと決意したというよりも自然とそうなったという感じでした。
2.とことん「ゲーム」をやり続けたその先に・・・
なぜそれほどまでに「ゲーム」にハマっていた人間が、パタッと「ゲーム」をやらなくなったのだろうかと自己分析をしてみますと、
やっぱり環境の変化が大きかったのではないかと思います。
徹夜で「ゲーム」をやっていた頃は確かに楽しかったのは楽しかったですが、
同時に翌日の身体はとてもきつかったです。その体感は私にとって非常に重要です。
こどもの頃の元気の有り余る頃であればまだしも、だんだん大人に近づいていくと、同じくらいの熱中でも身体にかかる負担は変わってきます。
その体感をもとに、学生から就職するという環境変化が起こると、仕事のパフォーマンスを維持する必要性に重きが置かれてきます。
そうなると、あの身体のきつさを踏まえて少なくとも徹夜で「ゲーム」をしようという気にはならなくなってくると、
そうして「ゲーム」へかける時間が減っていくに連れて、自分の中での優先順位が「ゲーム」以外の何かへシフトしていくという流れをとっていくわけです。
この流れの中で、私が「徹夜でゲームをやった後の身体の疲労感」を体感したという経験は非常に重要なものだったと思います。
これがもし、何らかの理由で徹夜でゲームができないような形でゲーム時間が制限されていたという時は、
欲求が抑えられたまま、ある程度は「ゲーム」ができる環境が保持されている言わば生殺しの状態が続いてしまうので、
もしかしたら就職して以降も「ゲーム」への熱中がなかなか収まらなかったかもしれません。
3.「ゲーム」をやめるために大切なこと
何が言いたいかと言いますと、「とことん納得する所までゲームしてみたらどうか」ということです。
極端に言えば、たとえ生活が破綻したとしても本人がそれで満足するのであればそこまで行ってみればいいということです。
本当に生活が破綻してでも満足できている状態なのであればそれはそれで他人がとやかく言うことではないかもしれませんし、
そのレベルまで「ゲーム」にハマっている人に対しては、何をどう言っても変わりようがないはずです。
きっと心身の健康状態をみる視点、すなわち「体調を重視する」視点があれば大きく間違えることはないはずです。
誰かに何かを言われてハマっていることの軌道を変えることは大変難しいことです。
報酬や恐怖によって変えることができたとしても、それはあくまでも一時的な変化に過ぎません。
根本から何かを変える時にいつも動いているのは本人の「主体性」だと思います。
自分自身が気づくことが、自分が変わるための基本ではないかと思います。
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