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「特効薬」が欲しくてたまらない人へ伝えたいこと

1. 「特効薬」が欲しいですか?

病気というのは自分自身の反映だと私は考えています。

何も理由がなくて病気は起こりません。西洋医学は病気の原因を外部の何かに求め、それを除去することに一生懸命になっているのですけれど、

生まれつきの病気を除いて、実は自分自身がこれまで行ってきたことの帰結として病気が起こっていることがほとんどです。

ウイルスが原因とされるウイルス感染症でさえ、それが発症するのは常に自分の心と身体が乱れている時です。

誰がウイルス感染症にかかっているかというデータがそのことを示しています。

異論もある話だとは思いますが、もしも私のその考え方が正しいとした場合、

はたして「特効薬」と呼ばれるものは一体なんなのでしょうか。

「特効薬」とは、その薬を飲みさえすれば病気をたちどころに治してくれるという夢のような薬のことです。

自分が生き方を一切見直すことなく、病気の症状を治してくれる凄まじい薬のことです。

でも、もしも病気が自分自身の中の何らかの問題によって起こっているのだとしたら、

「特効薬」というのは、その問題を隠し続けるのに格好の存在ということにならないでしょうか。

そんな「特効薬」をあなたは希望しますか?


2. 「特効薬」の本質とは?

世の中に「特効薬」だと呼べるものは実質ないのではないかと私は思っていますが、

それに近いような現象が一つ頭に浮かびます。

それは「手術」です。一部の患者さんはよく外科医に「きれいさっぱり取っちゃって下さい」などと言ったりされます。

本当は「手術」とは病巣に到達するまでに正常組織を必ず傷つける行為なので、

きれいさっぱり取ることは不可能なのですが、

患者さんにとっては「この私を病気から救ってくれる素晴らしい手段」と思えているでしょうし、

「その病気の悩みから解放される」という点では「特効薬」的と言ってよいかもしれません。

ではその「特効薬」的な「手術」を行った患者さんはその後どのような流れになるのでしょうか。

多くの人は「手術」のおかげで元気になったと思うことでしょう。

しかし、まず「手術」するということは正常組織への傷害や正常組織の欠損を伴いますので、

何らかの後遺症は確実に残ります。ただし「手術」のダメージが少ない場合は気にならないレベルということはあるかもしれません。

ただ病巣だと思われているもの自体も、実は自分自身の反映だという考え方を私は持っているので、

たとえどれだけ綺麗に取りされたとしても、少なくとも私にとっては「手術」とは本質的に「正常組織の傷害・欠損」です。

しかしここでは「特効薬」というものの本質について考えたいので、仮に「手術」でのダメージは無視できるこど小さいものだと仮定して、

患者さんが言うように「きれいさっぱり取り去れた」という場合だとしましょう。これが「特効薬」に限りなく近い状態です。

この場合、問題は無事に解決されたことになるのでしょうか。

ちがいます。「手術」を受けるに至った原因が放置されたままです。その人の人生の中で、その原因は依然として残り続けています。

その結果「手術」で「きれいさっぱり取り去れた」人の中で何が起こるかといいますと、病気の再発です。

しかもその頃には時も経っているので、以前よりもその原因に立ち向かう力が衰えていることになります。

実際にはそこへさらに「手術」によるダメージも加わっています。そうなるとさらに立ち向かう力が弱まってしまいます。

その結果、多くの場合、病気の再発は厳しい戦いを強いられることになります。

要するに「特効薬」とは「問題の先延ばし」だということです。それが「特効薬」と呼ばれるものの本質だと思います。


3. 「特効薬」を使わない生き方

ウイルス感染症に対しても「特効薬」を求める声をよく聞きますが、

私は「特効薬」を使うことなく、病気と向き合っていくことをおすすめします。

この感覚を心底理解できた時に、人生はより良く生きられると私は思います。

なぜならばその先には「病気が治った」と、心底思える領域があるからです。

「特効薬」は魅力的ですが、魅力的なものにはしばしばトゲがあるものです。

決して惑わされることのないように生きていきたいものですね。


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