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リアルでの情報量は多いけれど

クラシック音楽の生演奏を聴く機会があったのですが、

とても心に響いて、そこに感動を覚えました。

ところがその演奏と同じ内容のものをCDで聴いても、

同じような感動が得られず、何か物足りないという感じが残りました。

なぜ同じ音楽を聴いているはずなのに、そのような違いが生まれてしまうのでしょうか。

今回はその疑問から、このオンライン時代における対面とオンラインの使い分けについて考えてみたいと思います。


まず、CDで聴く情報とオンラインで聴く情報には近いものがあろうと思いますが、

リアルで音を聞くのと、CDやオンラインで音を聞くのとでは、情報の量がどうしても少なくなってしまうのでしょう。

少なくともその空間によって生じる反響音、音の振動、演奏している人の雰囲気、息づかいなどがCDやオンラインでは得られません。

それを踏まえますと、オンラインなどで情報のやり取りをする場合には、同じ情報を伝えているようで実際にはリアルと比べて少ない情報しか伝わっていないということを理解しておく必要があります。

こうして言葉にすると当たり前のことのようにも思えますが、オンラインでの情報のやりとりが隆盛を極めていく中で、意外と忘れられがちなことのようにも思えます。


これは、決してオンラインでの情報のやり取りは価値がないから行うべきではない、やはりリアルや対面での情報のやり取りを行うべきだということを言いたいわけではありません。

オンラインでの情報のやり取りはそういう制限された情報のやりとりであって、その上でそこで何ができるのかを考えて、洗練させていくことが大事だと私は考えています。

話が飛ぶようですが、昔のファミコンのゲーム機では今のゲーム機よりもよほど少ない容量でたくさんの面白いゲームが作られてきました。

制限された環境というのは、決して何かができなくなることだけを意味しているわけではありません。

その環境だからこそ工夫を凝らし、アイデアを創出するというきっかけだとも考えることができるのではないでしょうか。

ものは考えようです。ピンチはチャンスとよく言ったものです。

苦境をバネにして新たな可能性を模索していくステップとする。

そんなことをクラシックを鑑賞しながら考えた次第です(^_^;)

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