僕にとってのサッカー

幼稚園でサッカーというスポーツに出会った。ルールは手を使ってはいけない足でボールを扱ってゴールに向かって蹴るというシンプルなものだった。幼稚園生の僕たちにとって馴染みやすくなにより楽しかった。その結果サッカースクールにも通った。どんどんサッカーに飲み込まれて好きになっていく。

ただ、僕には一つ問題があった。父は僕に野球をやってほしいということが分かったいたからだ。小さい時からグローブを買ってくれ、キャッチボールを何度もしてきていた。野球が嫌いというのではなくサッカーか野球かと言われればどっちもというレベルで選ぶことはできずにいた。小学四年生になり習い事を一つもやっていなかった。父への遠慮があったわけではない。ただ、優柔不断な自分にとって選べなかった。決め手となったのは、恥ずかしながらキャプテン翼だったと思う。小さいころから母に名前を翼に変えて欲しいというほど大空翼に憧れていた。やっぱりサッカーがいい。そう思わせてくれた作品だった。

小学四年のある日の夜に父が帰宅するのを待って、サッカーをやりたいということを泣きながら言ったことを今でも覚えている。それだけ幼い時の自分にとって僕にとって父は怖い存在だった。野球をやれと言われると思っていた自分にとって「やってみな」という一言は意外で驚いた。そこからは、父に助けられてばかりだった。すぐに小学校の少年団に入団してプロの試合まで連れていってくれた。そしてそこで初めて清水エスパルスという今の僕にとって私生活に影響を与えるほどのチームと出会った。清水エスパルス対柏レイソル戦。相手には酒井宏樹がいたことを覚えている。結果は覚えていないけどシュートが外れて飛んできて前の席に座っていたおじさんにあたってビールが吹き飛んだことも覚えている。

 今思えば、父には感謝していることが多い。サッカーのルールをあまり知らないのに審判員になるために講習にいってくれたし、常にいいシューズやいい練習着を買ってくれた。一番は、GKになった時にGKコーチがいなかったため、父が感覚と勉強して全て教えてくれた。高校までサッカーを満喫できたのは間違いなく両親の支えがあったからだ。今では、父と二人でサッカーを語り合うまでになった。

サッカーにのめりこみ今では、年間120試合以上見るようになったし戦術理解もできるようになった。僕にとって小4から現在に至るまでサッカーは生活の一部でありサッカーのない生活は考えられない。

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