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介護をしながら思った、残りの会える回数

 おばあちゃんの家の、畳に敷いた布団の上から。この4ヶ月間、人が死へ向かう様子をこんなにも近くで見守ったことがなかった私は、介護を通じてたくさんのことを考えるとても貴重な経験をしています。今日はそんな中で思った「残りの会える回数」について書きます。

 以前もどこかで書きましたが、現在伯父さん家族と我が家でローテーションをしながら、末期がんの祖母と認知症の祖父の介護をしています。祖父母は二人暮らしのため、必ず誰かが毎晩泊まりに行って薬や食事・身支度の準備、その他諸々の家事をしています。泊まり始めたのが2月の終わり頃、気付いたらもう4ヶ月が経ってました。医者からは余命は残り数か月、3月を越えられるかどうかでしょうと言われていましたが、延命の治療はせずとも祖母は頑張ってここまできました。

介護が始まった当初

 病状が少し悪化して以降、会社帰りに祖父母宅へ泊りに行く生活が始まりました。といっても分担しているので週に2~3日です。伯父さん家族とのグループラインでその日泊まった人が食事や薬の内容と時間、そのときの様子を全てラインで報告し、訪問する看護師やお医者さんへの共有のためノートにも記録しています。初っ端は心配する気持ちが最も強かったし、ばあちゃんも来てくれることに感謝してくれていました。でも1,2か月経った頃だったか、私たちも慣れてきたのとばあちゃん自身も容態が安定して少し元気になってきたのとで、「来てくれることが当たり前」になっていたようです。用意した食事には一言注文やコメントが付くようになり感謝よりも要望が多くなってきて、家族ラインで耐えきれない思いをぶちまけたときもありました。でも、毎回じいちゃんの「来てくれて本当に嬉しいナァ、また待ってるからね」という言葉を聞くと、行って良かったと思って家を後にするのでした。

あとは、訪問介護や介護食・ヘルパーさんなど、この時点で色々と新しい視点も広がりました!

病状はゆっくりでも進行中。

 口は達者でも明らかに病状はじわりと進行、
食べる量、眠る時間、手の震え、握力の弱まり、痩せていく姿など変化は現れていました。行ったら出来るだけ、ばあちゃんの正面に向き合って話を聞いたり、じいちゃんの猛烈に繰り返される(笑)同じ話にも真剣に付き合うようになり。こんな冗談も楽しめるようになってました。

 そして6月に入ってからこの一か月の悪化の進行具合は驚くほど早くて、家族は何となく、いよいよ先は長くなくなってきたと薄々思い始めています。グループラインで共有される、体の端々に表れている体内機能の低下が分かる様子を読むたびにどきどきしてしまう。なので最近は泊まりに行くと、手を洗ったらまずしばらくおばあちゃんのベッド横で椅子に座って、すっかり細くなった手を握りながら話を聞きます。家を後にするときもやっぱり同じように手を触って、気付くとしつこいくらいに「また来週来るからね!」と言うようになっていました。

あと何回会えるかしら

 最近は週に1回程度しか行けていない私は、ひと月で言ったら家に行くのは4,5回程度。あと一か月、二か月なんて数える回数しかない。あと何回会えるんだろう、と率直に思うようになりました。おばあちゃんは先が見えているから特に強く考えていたけれど、両親やあまり普段合わない家族だって、数えたら会える回数は意外と少ないのかもしれないとこれをきっかけに思いました。もし会えるのが年に1度だったなら、親があと30年生きるとしたら30回。おじいちゃんおばあちゃんなら、いくらもないかもしれない。家族だけじゃない、遠くに住んでいる友達や大切な人、いつも相談にのってくれたり、仕事やプライベートで助けてくれるあの人。人生であと何回顔を合わせて一緒に過ごせるんだろう?もちろんだからと言って会いに行くべきということではないけど、どれだけその人との時間を真剣に過ごしていただろう。
 

 会えたときはそれが最後だとしても悔いのないように、お互いが幸せに感じられるように過ごしたいと冗談抜きに思います。忙しいと毎日流れるように過ぎてしまうけれど、一瞬立ち止まって、大切な人への想いで動く時間があっても良いのかもしれないです。今晩はハグをしておやすみをしました!良い夢を観れますように~!

長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!

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