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悔いがないように、2020年家族に対してしたこと

年末に2019年12月31日に書いた日記を読んでみると、2019年最後の夜はじいちゃん・ばあちゃん・父と一緒にすき焼きを囲んでいたことを思い出しました。特に去年は悔いがなかったと思えたので、今年もそう在りたいと思いながら、家族とどう過ごしたかについて書いてみます。

学ぶことが好きだった元気おばあちゃん:先に書くと、父方のおばあちゃんが昨年7月末に亡くなりました。お弟子さんもいるような書道家、40歳から始めた社交ダンスやカラオケを楽しみ、最後にはPC教室にも通ったりラインでスタンプもひょいひょい使いこなす、スーパー元気おばあちゃん!



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いつでもどっしり頼もしい優しさと陽気さで包んでくれる存在でした。そんな彼女は末期の膵臓癌が見つかり余命が3月までと言われながらも、7月末まで頑張りました。


良く葉書を書いた

そんなおばあちゃんへ、病気になる前も後もなるべく月に1度、葉書や手紙を書いていました。東京なので近いのですがそうしょっちゅう行けるわけではなかったので、せめて想っていることを電話やLINEだけでなくて書いて伝えていました。あとはおばあちゃんが書いた作品の感想や、出かけて良かったところの話など。とにかく思っていることを一言でも葉書に書き起こして送る、ということをしていました。おばあちゃんが筆でつらつらと格好良く返してくれるのもまた嬉しく...墨の香りとかもたまらないんだなぁ。

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たくさん想いを聴く、話す

前にも書きましたが、病気と分かってからは伯父さん家族と協力して自宅で介護をしていました。これは本当に奇跡だと思うくらいの協力体制で、皆で交代しながら宿泊して、90歳のおじいちゃん(少しぼけている程度で元気)のお世話もしながら過ごす日々。その時期特に、おばあちゃんが寝る前やふとしたときに、おばあちゃんが幸せと感じること、その理由、これまでに楽しかったこと大変だったこと、他にはそのときそのときの考えや想い・その理由を聴くようにしました。死への感情や、死が近いことが分かったうえで振り返ったこれまでの話はとても重厚で、その状況になっている人でないと語れない。亡くなる前に最後に会えた日も、「最後に言っておきたい事はなに?」とお互いはっきり意識して話せたのは有難い限りです。


会いに行く

今年の元旦は、横浜に住む母方のおばあちゃんの家で過ごしました。昔は、ぐーたらしながら料理してくれた美味しいごはんを食べて紅白を観て、1日にはお年玉をもらっておせちを食べるという良くある風景。でも今回は、「もう色々忘れちゃうことも多いんだよ」と笑い買ったものをどこに置いたか探すおばちゃんを責めないようにしながら、一緒にご飯を準備したり掃除をしました。私も嬉しいけど、それ以上に一緒に居ることをものすごく喜んで感謝してくれる。過ごしながら、今はもう支えてあげるのは私達なんだよなと、役割がくるっと反対になったことをよくよく実感しました。コロナも増えてきて今後は何とも言えませんが、泊まれないときでも半日でも顔を合わせにいくことを出来る限りしたいなと思ったわけです。


今年は

よし、では宣言のよう意味もこめて2021年、母方のおばあちゃんにはコロナの様子を見つつも会いに行く、そして月に1度は葉書を書いてたまに電話をします。そして父方のおばあちゃんが亡くなったことをきっかけに、おじいちゃんは施設へと入らざるを得ませんでした。コロナの影響もあり一度入ったら対面ではもう会えないので、様子を見に行くこともできません。なので出来るだけ葉書や手紙をまた送っていこうと思います。


まとめ

どこかで、老人は忘れ去られることを一番恐れていると読んだことがありました。たしかにそうだよねと...おじいちゃん・おばあちゃんを思い浮かべたときにその切なさを感じさせたくないし想っていることを知って安心してほしいと思うようになり、こういうことをするようになりました。

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たぶん20歳くらいの時だなこれ

想っているだけでなくて文字や声に出して伝えるということを全力でやって、2021年後悔しない時間を過ごしたいと思います。ふと頭にあの人が思い浮かんだ時が電話のかけどき・はがきの書き時だと思って、届けるまでを流さないで行動していきたいです。

それでは、今年もよろしくお願いいたします。

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