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Answer「p6」

「p5」前話



 2023年10月4日。

 今日は「10使の日だ」と美咲がはしゃぐ。
 先月の休日出勤の代休で1日空いたことを伝えると「やっぱりね」と、そんなことを言った。美咲は昔から、そういう迷信を頼りに方向性を決めるきらいがあった。しかしながらあいにくの雨――これも天使の仕業だろうか。

 美咲の突然の訪問から4日が経っていた。美咲は未だ帰国の理由を告げないまま、だが毎日忙しくどこかへ出かけているようではあった。気を使っているのか、ここ最近の冷蔵庫の中は充実していて、毎日温かい料理が用意されている。いなくなったら、それをさみしいと感じてしまうほどに。
「なにもこんな日に内見なんて」
「1日つき合う約束よ。場所覚える手間省けるでしょ」
「そうだけど」
 これからも付き合いを続ける気はあるのか…と、奇妙な感情がつきまとう。
「萌、大丈夫かな」
 久しぶりに「会いたい」とLINEでやり取りしたものの、いきなりではなかったかと心配になる。相手は既婚で、まだ幼い子どももいるのだ。
「こなきゃ、家まで行くだけよ」
「またぁ」
 相変わらず強引だ。
「よその夫婦生活がどんなものか覗いてみたいと思わない? 気になるじゃない。はるかは家に行ったことあるのよね?」
「うん。まぁ。でも、意外と普通にしあわせそうだったよ」
「当たり前じゃない。新婚の頃ならみんなそう。問題は、いつまでそれを持続できるか、よ」
 なんだかこの話題は突っ込みづらい。
「まぁあたしは、最初からしあわせだった…とは言えないけどねー」
 結婚が決まった当初の美咲は、きっといろんな期待を胸に渡航したはずなのだ。だが見知らぬ土地どころか、言葉の通じない環境での生活は、想像以上に苦労があったに違いない。はるかはそれ以上、自分からその話題に触れることはないようにしようと思った。 

「しかしこの短期間でよく見つけたね」
 なににせよ、美咲の行動力には感心する。
「内見て言ってもね、部屋の家具確認するだけなんだ」
「家具付きなの?」
「そうよ。だってこれから揃えてたら、いくらかかるか解ったものじゃないし。はるかだって、いい加減ベッドで寝たいでしょ」
「そりゃぁ、ね。でも」
 帰国したばかりの友人を追い出したいほどつらいわけでもない。
「それに、夜中になんかコソコソしてるし?」
「え――」
 バレてる。
「別にコソコソなんか」
「はいはい、資料整理だったわね」
 資料整理、も嘘ではない。ただその合間に、過去のはるか自分と手帳を通じて奇妙なやり取りをしているだけだ。未だ自身でも信じがたい交流を告げたところで理解に苦しむ信じられないだろうし、逆に面白がって手帳を「見せろ」と言ってこないとも限らない。いや、美咲なら確実に言うはず――なにより、自分の過去を「上書き修正している」などと思われたら、これ以上惨めなことはない。
「男がいるならまだしも…。それとも、あたしに気兼ねしてる? そんなことないわよね、あの部屋じゃ」
 いちいちごもっともなれど、そこまで言われる筋合いはない。
「今は仕事が忙しいの」
「はいはい、やりがいがあるのよね」
「棘があるなぁ」
「あら気のせいよ」

「それで、いい物件はあったの?」
 久しぶりに会った萌は幾分ふくよかになって、もともとの物腰のやわらかさから、ますます「いいお母さん」という印象を受けた。
「そうなのよ、ホームパーティができちゃうくらい」
 まったく美咲の交渉のうまさには舌を巻いた。ひとり暮らしだというのになにを想定しての部屋数なのか、結構な広さの物件だったのだ。
「え~そんなところあるの?」
「もともと海外からの長期出張のために確保してある部屋なのよ。ほら、エンジニアなんかが年間契約で家族で滞在する用の。場所を選ばなきゃ戸建てもあるのよ」
「へぇさすが。そういうところに明るいね」
「当てもなく突然帰って来やしないわ」
 そういうところも相変わらず、準備がいいというか抜け目がないというか、逞しい限りだ。
「じゃぁしばらくこっち?」
「しばらくじゃないわ。一生いるわよ、旅行は別として」
 その言葉にきょとんとしている萌に「別れたんだって」と、未だ真偽の解らない現状を耳打ちする。
「うそっ」
「そう思うよね。詳しくは聞いてないけど」
「女は秘密があるからこそ美しいのよ」
「よくいうよ」
「じゃぁ、仕事も?」
「しばらくは通訳でもするわ。向こうで仲良くなった家族が丁度こっちにいるから、甘えるつもり」
 重ね重ね、美咲の行動力には頭が下がる。
「で、萌。サークルの会合はいつだって?」
「来月になりそう。今出欠取ってるけど、結構集まりそうだよ」
「楽しみ! ばっちりキメて行こうね」
 こっちは探られたくない腹を突かれるのではないかと気が気じゃない。

「ねぇはるか。今までテニサーの会合って出てた?」
 帰り際、遠慮がちに美咲が尋ねて来た。
「萌が結婚するまではね。それも、1回か2回だよ」
「そっか。そのとき…」
「来ないよ。そういうの、嫌いだったじゃん」
「そっか。だよね」
 言いたいことは解る。
 テニスサークルのグループLINEの中には、タクミの名前も未だ存在しているのだ。返信してくることはなかったが、それでもいつ名前が出てくるかと期待していた時期もあり、それを見ないための「音信不通」だったのだ。
「あれからタクミとは?」
「ぜんぜん」
「だよね。当たり前、か」
「くるかな」
「こないよ。忙しいだろうし、来られても困る」
 タクミが今、多忙であることは美咲も知っているはずなのだ。
「萌はいつも、梶先輩と一緒に?」
「最初の頃は、そうだったかも。でも子どもが生まれてからは」
 どうだったかな…と言おうとした言葉を遮り、
「今日の萌、しあわせそうだった?」
 突然美咲は強く言い放った。
「なんで?」
 久しぶりだったから多少の遠慮はあったのかもしれない、とも思った。だがどうだろう。なにか話したいことがあったんじゃないだろうか…とも思うのだ。
「いちばんしあわせなのは、はるかかもねー」
「なによ、急に」
「はるかは結婚したい?」
「別に」
「即答。そういうことよ」
 そういうこと?

 2016年のはるかとのやり取りは、思いのほか急展開を迎えていた。それというのも、現在生活しているこちらの時間より、過去の時間は早送りされているかのようにあっという間に過ぎていた。
 こちらは未だ10月が始まったばかりだというに、2016年では既にハロウィンを迎えていたのだ。

ほんとだった
34才はるか、返事して
ほんとだった ハロウィン
最悪 p

 妙な気持ちだった。もうすっかり忘れていると思っていたのに、甘いような苦いような思いがよみがえる。
 他にも付き合った人はいたのに、彼のことだけは、不思議な後悔が胸に広がる。今日は特に――。

うん
つらかったね p

(結局、美咲と行ったんだな)
 今現在、自分が美咲と一緒にいることにも何か意味があるのだろうか?
 美咲はハロウィンの後、あの時一緒だったキツネ目の彼と結ばれて海外に行くことになる。だが7年後の今、また自分の隣にいる。

これからどうなるの?
わたしとタクミ、うまくいくの? p

 彼のことは好きだった――別に別れたいわけじゃなかった。

それは、2016年のはるか次第 p

 ページを捲ると10月に限らず、手帳のそこかしこに「タクミ」の文字が溢れている。別れ話をする直前まで彼はこの部屋にいた。よく言えば同棲、軽く言えば居候、悪く言えばヒモだった。
「やば。恋ダンスって」
 思わず口に出た。その年の10月から始まった『逃げるは恥だが役に立つ』をふたりで夢中になって観ていたことを思い出す。お互いを「さん」付けで呼び合ったり「ハグの日」を決めたり、恋ダンスも動画を撮ってふたりで練習していた。今考えるとバカバカしい。けど――。
(かわいい時間だったなぁ)
 別れたのはそれから2ヶ月後。

 当時のタクミは、仕事をやめてWEB漫画を描いていた。才能があると信じていたし、応援していたつもりだった。でもそれが、まったく稼ぎに繋がらないことに憤りを感じていたはるかに対し、バイトして少しでも手助けしようと考えることはおろか、経済力のなさを棚に上げて夢を語るだけのタクミに「だれのお金で」みたいな言葉を口走ってしまったのがきっかけだった。
(結婚してたら、いちばんダメなヤツ)
 言ってはいけない…そう強く思っていたからこそ、つい出てしまったのかもしれない。けれど、どこに行くにもコンビニですらタクミは、自分の財布を出そうとはしなかった。あの頃は若かったし、周りは彼氏が「誕生日に奮発してくれた」とか「記念日のプレゼント」をくれるとかくれないとかそんな話ばかりで、挙句のハロウィンの打撃だったものだから、それまで蓄積されていた不満が爆発したのだと思う。
 大した荷物を持たないタクミだったが、漫画の道具と、はるかが買ってやった衣類その他をしっかりと持って出ていった。それきり。それきりだったはずなのだ。ところが、風の噂どころかタクミの名前は、今ではだれでも目にするくらいには有名になっている。WEB漫画が当たり、漫画家として大成したのだ。だから、過去を振り返っている暇などないほどに忙しいだろうし、きっとかなり儲かっているはず。

ケンカしないで
ケンカしたらダメ
今日のこともタクミを責めないで p

 彼が有名になってお金持ちになったことを後悔しているわけではない。「恋ダンス」を踊るくらい、わたしたちはうまくいっていた。決して未練ではなく、ただ、あの頃の自分にはもっとしあわせな気分を感じていて欲しい。

頑張って
2016年のはるかが頑張れば
今のわたしも違ってる p

 過去に手を加えることは禁忌――。
 小説でもアニメでも、とにかくその手のことは「当たり前」とされている。だからきっと、今自分がしていることも、もしかしたらルールに反しているのかもしれない。その証拠に、ちょっとでも未来のことを書こうものなら、インクが出なくなったかのように文字にならない。

だって、わたしだよ
あなたは、わたしだよ
つらかった気持ちは知ってるよ p

 ねぇ。今のわたしは、どう見える――?
 例えばこの先、2016年のはるかのように、2023年のはるかわたしを、もっと未来のはるか自分が見たら、どんな風に感じるだろう。やっぱり、胸がつまるような思いだろうか。

 わたしはどうしたいんだろう――?

まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します