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Door

それは、部屋の真ん中の、役にも立たないバーテーブルの上に無造作に置かれていた。
「外は天気がいいよ」
締め切られたカーテンを開け放ち、ユナコはここ数ヶ月こもり切りの彼をどうにかして外へ連れ出そうとしていた。だから、
「雨の中を歩くのも気持ちいいよ」
とか、
「面白い形の雲が出てるよ」
など、
とにかくいつも同じ姿勢で机に向かう彼の心が、少しでも部屋の外に向いてくれるよう言葉を選びながら室内に入るのが癖になっていたのだ。
だが、その日は違った。
ふと、部屋の中にいつもと違う輝きを見つけ、彼のデスクの後ろを素通りした。
「これ、どうしたの? 重…」
ユナコはそれを拾い上げ、手首を回転させながらまじまじと全体を見回す。
「ドアノブ」
たった今通り過ぎて来たデスクの前の塊…もとい、覆いかぶさるようにして作業を続けたままの彼が言った。
「それは見れば解るよ」
いつもと違う行動をとってみても、彼の行動はいつも通り、こちらを振り返ることすらせず、ただひたすらに机に向かうのみだった。
ため息をつき、もう一度それを眺めながらつぶやいた。
「アンティーク…かな?」
ユナコが手に取ったそれは、握り玉式のドアノブで、現在はあまり使用されていない握り部分がつるりと真ん丸で、その先はねじで止める部分が四角になっているチューブラ錠と呼ばれるタイプのものだった。しかし、
「ねじ穴が開いてないだろ。不良品だと思う」
くぐもった返事が返ってくる。
「不良品? じゃ、なんで買ったの?」
「おいしそうだったから」
「おいしそう…?」
それまで机に向かってこちらをチラとも見なかった彼だったが、
「普通そういうドアノブってさ、真鍮のモノが多いだろ? でもそれは、」
椅子を回転させ、得意げな顔で眼鏡越しにドアノブを指した。
「生クリームみたいだ」
「え。銀色だけど…? まぁ。見えなくはない…か」
横から見ると、なるほど先端部分が少しクリームのように盛り上がっている。だがどちらかといえば、
「タージマハル…」
「夕日に照らされてて、真ん丸な生クリームに見えたんだよ」
そう言って彼はまた、体を机に戻した。
「生クリーム好きだったっけ?」
「腹減ってたんだべな」
「なにそれ、へんなの」
だが、彼はいつだってそんなだ。
「あれ?でもこれ、ひとつじゃ用をなさないんじゃ? 反対側がないじゃない!…あぁ、だから不良品…」
と、納得するも、
「そもそも接続部分がついてない時点で、もう片方は作る意味もない」
妙に説得力のある言葉で返すも、
「役にも立たないドアノブなんてなんで買うの?」
「呼ばれたんだべな」
そこでようやっと気づく。
「ちょっと! いつ出掛けたの?」
不定期ではあったが、不健康な彼の生活をなんとかしようと甲斐甲斐しく通い詰める彼女の呼びかけには答えてはくれないのに、ひとりでどこかへ出かけたというのか。
「あぁ、昨日?」
「言ってくれたら一緒に出掛けたのに~」
「だって、昨日は別の〆切があったんだろ?」
ユナコは編集者のバイトをしていて、彼は担当ではなかったが、ただいま「ホテルに缶詰め」させられている小説家だった。
「そうだけど…」
なぜか損した気分が否めない。
「インスピレーションでも求めてたわけ?」
「そうでもない」
会話をしながらも彼は紙面に万年筆を走らせる。
普段は邪魔をしないユナコだったが、
「穴もないのに。しかも片面だけで。使うわけでもなく?」
と、ひとりごとを続ける。
そこで彼はパタリと万年筆を置き、ゆっくりと椅子を回転させた。
「君ならそれをどう使う?」
「ぇ、これ?」
「そう。その使い勝手のないドアノブをどうする?」
意地悪な目つきで、設問を投げかける。
「そうねぇ…」
ユナコはしばらく考え、ドアノブの握り部分を持って壁に向かった。
「わたしなら、こうして、とりあえず壁に当てる」
そう言って壁を一枚のドアに見立てて接続部分を押しつけてみせる。
「うん。それで?」
彼は楽しそうに好奇の目を向けた。
「そうすると…」
振り返り、

『大変っ! ノブが壁に吸い付いちゃった!』
『なんだって!?』
彼は椅子から立ち上がり、ユナコの元へ向かう。そうしている間ユナコは、吸い付いたドアノブを取り外そうと引いてみるがやはり外れず、試しにノブを回す仕草をしてみた。
すると、ドアに見立てた壁が向こう側に・・・・
『開いちゃた…』
ノブの軽い感覚に驚いて一瞬手を放すと、どんどん壁が向こう側に吸い込まれるように開いていく。
『なにやってんだよ』
慌ててドアノブを掴もうと踏み出すと、壁のあちら側は見たこともない明るい景色で、うっかり踏み入れてしまったスリッパの片足が花畑のそれにさくりと感じた。
『うわっ…』
驚いて足を引っ込め、その反動で掴んだノブを引くと、壁は「バタリ」と音を立てて閉じ、吸い付いていたドアノブが「ゴトリ」と床の絨毯の上に鈍い音を立てて転がった。
『なに? 今の…どこ?』
ユナコは即座にドアノブを拾い上げ、もう一度壁に押しつけるも、先ほどとは違ってノブは壁に吸い付くことはなかった。
『え…』
顔を見合わせるふたり。
『なんだったの、今の…』
そう言ってユナコはこわごわとドアノブを彼に手渡した。
『お花畑が見えたけど?』
『あぁ、しっかり地面も踏んだ』
ふと足元を見ると、踏み入れた足のスリッパがない。
『夢じゃないようだ』
『お花畑に置いてきちゃったの?』
『みたいだな』
『じゃ、なんで開かないの?』
『知らないよ。でも、一度開けると、開かないんじゃないのか?』
そう言われるや否やユナコは、彼の手からノブを奪い取り、今度はたった今開いた壁づたいに角になってる通路側の面にノブを押しつけてみた。
『あ…』
吸い付いた…と思うと同時、ノブを捻ると潮の香りと共に生ぬるい風が流れて来た。
『海?』
そう言った途端に地面が若干揺れた気がして慌ててノブを引いた。するとやはりノブは「ゴトリ」と鈍い音を立てて絨毯の床に落ちた。
『なんだか今、船の上にいるみたいだった…』
ぼそりと言って、
『魔法のドアノブなの?』
彼の顔を見る。
『一度開いたら、もう開かないのか。じゃぁ、向こう側に行ったら帰ってこれない…?』
腕組をしている彼の目が少し輝いたように感じた。
『まさか行ってみようなんて思ってないでしょうね?』
『開けてみるだけのドアなんてつまらないじゃないか』
『どこでもドアじゃないのよ!? ホントに帰ってこれなくなったらどうするのよ。第一どこに繋がってるか解らないじゃない』
『まぁ、確かに…』

「・・・・っていうのはどう?」
未だ机の椅子に座ったままの彼を振り返るユナコ。
「それじゃぁ終わりが見えない」
「そうか。じゃぁ、同じ景色なら?」
「そこでなにをする? 一度しか使えないなら同じ場所に行くことも不可能じゃないか」
「じゃぁ、わたしが実際にドアの向こうに行っちゃって、気づくと居なくなってたわたしを、あなたが探す旅に出る」
「一生会えなかったら? それじゃぁ確実に会える保証がない」
「そう、か」
ふぅ…と、ため息をついてベッドに座り込むユナコ。
「あたしは小説家になれないみたい」
「そんなことない。おもしろかった」
「導入部分だけで終わっちゃったじゃない」
ポイと、ベッドにドアノブを放る。だが、すぐに思い立ち、
「じゃぁ、ドアを開けられる回数を決める」
そう言ってベッドから立ち上がり、思い出したように自分のバッグに手を伸ばした。
「決めてそのあとは?…あ、」
赤い包みを見て合点がいった。
「さっき下でもらったの」
ロビーで配っていたという扉がいくつもついた薄型の赤い箱を差し出す。
「あぁ、アドベントカレンダ―」
「ね。チョコを誰かにあげて、代わりになにか受け取ったら、戻ってこれるの。どう?」
得意顔で箱を机の上に載せる。
「それは楽しそうだ」
「でしょう? それだと24回、ドアノブが使える」
「いいね」
「だけど、オチがない。チョコ溶けちゃうようなところだったら意味ないし…」
「まぁ、でも、アイディアは悪くない」
「そ?…で、そっちは今回はどんな話なの?」
椅子の背もたれに手を掛け、先ほどまで彼が覆いかぶさっていた机の上を覗き込む。
「あぁ。…推理小説」
申し訳なさそうに頬杖を突く彼。
「もう~。それじゃ全然使えないじゃん」
そう言ってユナコは笑った。
机の上に置かれた原稿用紙の表紙には濃紺の万年筆の色で『Door』と書かれていた。





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