藻

小説『人形の家』

わたしの母方の生家は、昔から代々続く由緒ある家柄で、いまだ跡取り問題で親戚中が神経をすり減らす風習が続いていた。

今現在は母の弟である長男〈源一郎(70)〉が当主を名乗っている。

源一郎には息子が三人おり、次の当主は当然長男〈源太(40)〉となるのだが、源一郎の正妻に対する仕打ちに腹を立て家を出た切り戻っていない。
しかも彼は相続放棄の手続きを済ませ本家との縁を切ったという噂がある。
次男〈郷太〉は幼くして病死、三男〈甚太(34)〉はなにをしたのか服役中で、当然ながら除外。

源一郎は好色で、現在本家に居座るのは何番目かの愛人とその長男〈温之(34)〉夫婦である。
正当な嫡男が存在しながら、さすがに愛人の長男に家督を譲ることは親戚連中も難色を示していたが、長きにわたる話し合いの末、血縁を絶やせないことを理由に次の当主は温之の長男である〈子温(6)〉にするとの決定が下された。

それだけなら問題はなかった・・・・。

外に出た人間は家督争いには無関係…と言いたいところだが、なにせ由緒ある家柄なので、苔の生えた由緒ある理不尽な風習が未だ残っているのである。

それは当主の兄弟姉妹の子供に男児がいる場合、血縁として「影武者」もしくは「当主に従事しなければならない」というしきたりだった。

当主に従事するということは、個人としての存在を放棄し、あやつり人形のように「右を向け」と言われれば右を向き、「馬になれ」と言われれば四つん這いになり、「死ね」と言われれば自決も辞さないということだった。

そうやって一族の財産は漏れることなく守られてきたのだ。


母の兄弟は源一郎を含めて4人。
わたしの母である長女〈和香子(74)〉、次女〈恵以子(72)〉、源一郎、そして次男の〈源蔵(68)〉だ。

分家の源蔵は同じ敷地内に居を構え、今はその息子である〈卓哉(39)〉が跡を治めている。
そして次男〈哲哉(36)〉、三男〈智哉(34)〉は本家の使用人として従事させられ、外に出る機会のないふたりには婚姻の予定すらもなかった。

母には息子はいないが、娘であるわたしには娘と息子がふたりいる。
わたしも嫁に出た身なので長男は免責されるが、不幸なことに次男はそのしきたりに従い有無を言わさず召し出さなければならなかった。

それはこれから当主となる子温の、側用人として「従事しなければならない」という屈辱的な役割を担っていた。

男児が生まれたのは長女である母の娘(わたし)と、次男の源蔵おじさんの長男である卓哉の家の次男だけだった。

次女の恵以子おばさんの長女とわたしの妹にも息子はいたが、一人だけだったので免れることになる。
よって、卓哉の次男〈正敏(4)〉と、わたしの次男〈大洋(10)〉は、子温の家督相続が決まった時点で有無を言わさず本家に召し抱えられることとなった。

正敏はまだ物心ついたばかりでわけが解らず連れていかれたが、同じ敷地内に実家があるため母親から離されることはなかった。
だが、わたしの大洋は意味が解っての出家で、しかも一度本家に上がってしまえば大奥のごとく、実家に帰ることは許されないということを承知の上で上がるのだ。

この理不尽なしきたりを、わたしは我が子に、とても自分の口から告げることなど出来ず、もろもろの説明を主人に託した。

大洋は無言でひとしきり涙を流したのち「わかった」と答え、本家からの迎えの車に乗せられて出て行った。
身を切られるような思いで見送るわたしは、戦時中「バンザイ」と言いながら心で泣いていた召集されていく男子の母のような気分で見送ったのだった。


しばらくして当主である源一郎の死の知らせが届いた。

葬儀の日、わたしは不謹慎ながらも滅多に訪れることのない本家の敷居を跨げるチャンスに心弾ませていた。

厳かな空気の中、わたしは必死で息子の姿を探す。

だが、やたらと声を掛けることはできないので目を離さずに、ひたすらチャンスを伺った。
そうしてやっと、不本意な形でそのチャンスは巡ってきたのだ。

「ほら、大洋。かつてのお母さまにご挨拶なさい」

我が息子の名を図々しくも上から発するこの女は、次期当主である子温の母〈仁香(35)〉である。
本家に住まわっているというのに愛想がなく、親戚の中でもあまり良く言うものはいなかった。だが、今は当主の御母堂様だ。
誰もが彼女にかしずき、もうだれ一人として常識しらずの彼女を悪く言うものはいなくなった。

「茗子さん、大洋はよく働いてくれますよ」

今までわたしに対して口も利かなかったこの女は、勝ち誇った顔でそう言った。

わたしはただ黙って会釈するしかなかった。
どんな身分だろうと、どんなに常識しらずだろうと、たとえ外の人間だろうとも長男の嫁には勝てないのだ。

たとえわたしが長女の娘で、血筋として本家に近しい人間だろうと、所詮外に出て行った姉の娘。立場的には外の嫁だ。
この由緒ある家にかなう家などどこにもない。
一歩外に出ればみんな下級扱いなのだ。
血筋もなにも解らない、他人の仁香以下ということだ。

どんなに腹が立とうとも息子を人質にとられている以上逆らえない。
そうやってこの家は代々、身分の低い身内の頭を押さえつけ、人足らぬ扱いで存続し続けてきたのだ。


「お母さん…」

「大洋…さん」

たとえ目の前にいる年端も行かない子どもが我が子であろうと、本家の人間を呼び捨てにすることはできない。
身を切られるような思いでわたしは、ひたすらに息子を目に焼き付けた。

「お母さん。…僕は今日を限りにそう呼ぶことをやめます。僕はこの家で、子温さまのために勉学に励み、子温さまのために尽くし、子温さまのために命を懸けて生きていきます。今まで育ててくださりありがとうございました。どうぞ今日を機会にぼ…わたくしをお忘れください」

なんということを子どもに言わせるのか!

震えが止まらなかった。

そうやって我が子が本家に洗脳されていく。
我が子が他人の子のように感じるまでに、人形のように無気力なまでに改造されていく・・・・。

「立派に、おなりください…」

わたしはそう言うのが精一杯だった。
後ろでほくそ笑んでる仁香の顔を見ないよう、頭を下げたまま下がるしかなかったのだ。

これが会社であったなら「異例の出世」と言われたかもしれない。これが戦国時代であったなら、召し出した我が家は「御家安泰」と胸を撫で下ろすのかもしれない。

いずれも血の通った息子の犠牲の上に・・・・!


「萌子…ちょっと」

わたしは足早に妹のもとへ行き、妹と妹の隣にいた従姉妹を連れて本家を後にした。その従姉妹もまた召し上げを免れた者のひとりだった。

どこをどう歩いたのかやみくもに、近くの川べりにたどり着いた。

もう我慢の限界とばかりにわたしは恥も外聞もなく大粒の涙を流して泣いた。ひとしきり、言葉にならない言動で妹や従姉妹に思いの丈をまくし立て、子どものように大声で泣いた。

「もう、わたしの子どもではない。わたしの大洋ではない」

なんで、なんで、なんで…!

当然のように妹も甥の行く末とわたしの心を察して泣いた。
同じように「理不尽だ」「不憫だ」と言っては大声で泣いた。
従姉妹も静かに涙を流した。

くだらないこのしきたりを恨んで、ただただ女で、母親でありながらもなんの権限もないわたしたちは泣くことしかできなかった。




まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します