山2

小説 『標本博物館』


ある日、招待状が届いた。
『特別ご優待券』と書かれた封筒には名前のみで住所の記載はなく、どうやら直接投函されたらしかった。

『眠きの館』特別内覧会ご案内状

拝啓、初秋の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。さてこの度、当館の特別内覧会を下記日程にて開催致します。日頃のご厚誼への御礼の気持ちを込めましてご招待状を送らせていただきました。
何分希少な展示物が多く、価値をご理解いただける方のみの閲覧とさせて頂きたく、勝手ながらこちらで選出させていただきました貴殿様おひとりでお越しくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

日時:9月XX日 日没時~日ノ出
会場:『眠きの館』標本博物館
場所:ムラサキ市野音生地マガジンニュータウン9-30

標本・・・・と聞いてしまっては、学者の血が疼くというもの。ひとりで…という点に疑問が湧いたものの、行かないという選択肢はなかった。

出掛ける前に少し調べておこうと、博物館について知っている者を探した。だが『眠きの館』を知る者はいても、その実態について知る者は学者仲間にはひとりもいなかった。

『眠きの館』には様々な噂があった。博物館と銘打っているものの、中の展示物について詳しく知るものはだれひとりいないということだ。いや、あいまいというのが適当か。ただ、国も介入できないというある特殊団体の所有で、あらゆる分野の希少な「標本」が展示されている…ということだけは皆知っていた。

ある人は「絶滅した珍しい昆虫が生きたまま保管されている」とか、またある人は「動物考古学的に歴史を覆すような遺物が生で保存されている」とか、またある筋では「ごく少量で山をひとつ消してしまうほどのマグマの欠片がある」など、とにかくその情報はまゆつばものばかりだったのだ。ゆえに、本当は標本などはなく、噂がひとり歩きしているだけの幻の博物館だ…などとその存在自体を否定する者もいた。

昆虫が生きたまま? 
標本が生きてるわけないじゃない

歴史を覆す遺物? 
だれがそれを決めたわけ? 発掘者さえ解らないというのに

山が消える?
マグマの欠片って、既に鉱物じゃないの?

とにかく、わたしは招待されたのだ。なぜ私が選ばれたのかは知らないが、学者としてよばれるのだ。これはとても栄誉なこと、粗相のないようにしなければならない。
だれも見たことのない希少な標本、いったいどんなものが展示されているのだろうか。とにかくわたしはその日を心待ちにしていた。

しかし、どうやって行こうか?
その博物館の場所は記されていた。だが、だれも行ったことのないその場所にたどりつく術を知らない。バスが出ているわけでもなければ最寄り駅も知らない。ただ、思いのほか近い…ということだけはなぜか知っていた。

とにかく、日没時を調べるか・・・・

だが、そんな心配などいらなかったようだ。
招待日当日そわそわして仕事どころではなかった。仕事を半日で切り上げ、交通手段を模索し途方に暮れて帰宅すると、日没間近に家の前に一台の黒塗りの車がやって来た。気難しそうな運転手はえらく細身の人物だった。大変無口な彼は入れ歯なのか、時々「コキコキ」と顎が鳴るような音がした。

「どんなところなんですか?」
「今日は何人ぐらい招待されてるんですか?」
「どのくらいでつきますか?」
「館長はどんな立場のどのような方ですか?」

聞きたいことはたくさんあった。だが、気難しそうな運転手はそれらの質問には一切答えてはくれなかった。
車の中は乗り込んだ瞬間、エタノールのような消毒臭い感じがしたが、そうかと思うと次にはとても良い香りに包まれて、退屈を感じる間にいつの間にか眠ってしまっていた。

遠くで携帯電話が鳴っているような気がした。

私…? いや、運転手さんかな?

「・・、完了しました」

バタン…という、ドアの閉まる音で目が覚めた。
窓の外を見ると、背の高い大きな門扉の脇で運転手がインターフォンのような小箱になにかを打ち込んでいるようだった。

暗い…どのくらい眠ってしまったんだろう・・・

金属製の重そうな門扉が動き始めると、運転手が小走りに戻ってきた。どうやら雨が降ってきたようだった。
しばらく進んで行くと灯りがさし、大きな建物が見えてきた。雨が降っているのにも関わらず、その建物は白くとても綺麗で、建物の上に傘があるのかと思えるくらいにその輪郭がはっきりと浮き上がって見えていた。

「ようこそ、イラッシャイマセ・・・」
出迎えてくれたのは、変なイントネーションの白衣を着た色白の女性だった。顔が見えないほど前髪が長く、だが気のせいか、時折ちらと見える目が光ってるように感じた。

部屋の照明が目に痛いほどにまぶしい。館内もまた真っ白で、外観以上に広く、天井が突き抜けていた。

「お待ちしており、マシタ・・・」

カタコト? 変なイントネーションは、そのせい?
「よろしくおねがいします」

「こ、こちらへ、ドウゾ・・・」
まただ。運転手と話した時の用に言葉の終わりに妙な音がする。今度は歯ぎしりのような「ギギギ」という音。

ホテルのような造りで、エントランスからすべての階が見渡せる。だが、周りをぐるりと囲む壁にうっすらと扉が見える程度だった。白より白い壁と、明るすぎる照明のせいで、扉の境目が解りにくいのだ。こんなに白くては掃除が大変だな…という印象。そしてここは、博物館というより、病院のようだった。

「あ・・・」
ふと、足跡を気にした。たった今、濡れた地面を歩いて館内に入ってきたのだ。ついと、自分の背後を見ると、運転手がガラス扉の向こうからこちらを窺っていた。
一瞬ぞくりとしたのには、運転手の目が緑色に見えたから…遠目で色など確認できるはずもないのに、だ。思いのほか建物の外が暗かったせいだろうか。なんだか、カマキリみたいな人だなと思いながら足元に目を落とすと、不思議なことに足跡はなかった。

足ふきマットなんてあったかな・・・? 

それにしても、気味が悪いほど静かだ。そして寒いくらいに白い。

「わたしの他には・・・」
来館者はいないのだろうか。

「順番に見て、回って、オリマス・・・」

「そう、なんですね」
なんだか心細いな。

それ以降、無駄な会話をしない白衣の女性の後ろを歩きながら、それでも気持ちは高揚していた。いよいよ、噂の希少な標本が見れるのだ。

少し歩くと、階段が現れた。そう、実質現れたのだ。先ほどまでそこに階段があるなんて気づかないほどに、自分は舞い上がっているのだろうか。

壁の仕切りが見えないほど白いって…まるでトリックアートだ。

そして自分の歩く靴の音しか聞こえない。彼女は底のやわらかな靴なのだろうか。まるで床に足がついていないようだ。

「ここに来る前に、いろんな人に聞いてみたんです。ここにはどんな展示物があるのか・・・」
静かすぎて話さずにはいられなかった。
「みんなおかしなことばかり言うんですよ。昆虫が生きたままでいるとか、一瞬で山を消せるほどのマグマの欠片があるとか、そんなのあるはずないのに笑っちゃいますよね」
ひとりごとのように、自分の声ばかりが反響する。

「いえ。ゴザイマス・・・」

え・・・・?

「すべて、ゴザイマス。なにが見たいデスか」

「え、それじゃぁ…全部」

まさか・・・・ね

一つ目の扉を開ける。そっと、すきまから、色?が見える。
すると、しゃらしゃらしゃら…と、なにかがこすれ合うような音が耳を塞いだ。

「え?」

自分の目を疑った。だが次の瞬間、バタンと、扉は閉められた。

「え?」
なんで?

訝しんで彼女を見る。
だが、彼女はなにごともなかったように再び扉を開けた。

「わぁ・・・」
とりどりの色が目に飛び込んでくる。そこは蝶の標本の展示室だった。
「すごい・・・」
そこは室外と違い、白くはなかった。まるで理科室のような空間で、床も壁も木目調の造りで、壁は標本箱で埋め尽くされていた。
「きれい」
見たこともない色の蝶が所狭しと行儀よく並んでいる。そしてとても大きかった。もちろん当たり前に知っている標本もあるにはある。だが、ところどころ違和感があるような大きさの蝶があった。
「これは・・・」

「蝶は落ち着きがアリマセン・・・」

「へぇ。そういう見方もあるのですね」
「落ち着きなくて、う、ウルサイ」
「あは…。苦手、ですか」
「い、イライラ・・・する・・・」

そんなに?

「ひとつところ、長居はデキマセン・・・」
そう言って白衣の女性は退出を急かし、追い出すようにして扉を閉めると、また最初に聞いた時のような音と映像が目の前を横切り閉じられた。

え、もう?
でも、さっき・・・さっきの音は?

「蝶、好き、デスか・・・」
「そうですね。わたしは、オオカバマダラの渡りの研究をしているので」
もっと、見たかったな…

「次、参りマス・・・」

「あ、はい」

トンボ、カマキリ、カブトムシ・・・セミにバッタ、カミキリムシ、コガネムシにハチ…と、その階はどうやら昆虫の階らしかった。次の部屋もその次の部屋も、しゃらしゃらしゃら…バタンと、一度扉を閉じては再び開けられた。それはまるで中の空気を外に漏らさないようにでもするかのように。そして、その都度目に飛び込んでくる映像が不可解でならなかった。
しゃらしゃら…という音は、扉を開ける時の音かとも思われた。だが、部屋ごとに聞こえる音は微妙に違うし、どうも羽擦れの音のようにも思えてきたのだ。しかもどの部屋からも独特の匂いがするのだ。それはまるで・・・

生きた昆虫の匂い? まさか・・・本当に生きてる、とでも?
でも、次の瞬間にはちゃんと、標本箱に並んでいる。

「なぜ一度締めるのですか?」

「え…だって。逃げてシマウ・・・」
カタコトで女性はそういった。それが当たり前だというように。
「本当に生きてるんですか?」
だが、その質問には無言の返事しか返ってこなかった。

演出?
今さら「生きてる」とは言えないから?
でも確かに、羽ばたいていた・・・・?

次の階の展示室はとても重い扉のようだった。だが、開かれると同時に何故重いのかが納得させられた。むっとするのだ。
そこは炭の断面のような、グレーの空間だった。だが、部屋の中心は煌々と緋く、室内は燃えるような熱風に包まれていた。

「あつ・・・」
思わずそう言ってしまうと、
「ミテハイケマセン。目がつぶれ、マス」
と、扉を縦のようにしている彼女がいい、すぐに扉は閉じられた。

「今のは…まさか」
「マグマの欠片」
それも当然のように答えた。

この、ちょっとしか見せないスタイルは、からくりを隠すためだろうか?

次の展示室は開けた途端に吸い込まれるような感覚が身体を襲った。思わず足を踏ん張ると「つ、つき・・・」と彼女が答えた。
確かに宇宙のような壁で、床はモノクロ映画のような不思議な色をしていた。だからといって「月?」

「まさか・・・」
半分苦笑いで彼女を見ると、彼女は扉にしがみついて必死に扉を閉めようとしていた。それに、気のせいか、体が紙のようにひらひらと浮いているようなのだ。
思わず手を出す。それほど扉は重くはなかった。だが、心なしか喉がおかしい。むせるようだ。

ムジュウリョク・・・?

扉を開けるたびに「まさか」「いや、そんなはずは…」「気のせい」と、否定的な単語ばかりがちらつく。
そうだ、ここは、希少な展示物を納めているのではなく、だまし絵とからくりめいた部屋でそれっぽく見せているだけのインチキ博物館なのだ。きっと、そうだ。

だんだんと、疑いと、苛立たしさが湧いてきた。
全部、見なくてもいいかも・・・
そう思ったら途端につまらなくなってしまった。

こんな博物館なら、大人より子供の方が喜ぶんじゃないだろうか。

それにしても人に合わない。人の気配が感じられない。不気味だ。

鉱物の展示室の階を終え、次は歴史博物館の階。そこには戦国武将の甲冑や私物と言われるものがガラスケースに収められていた。中には幼少期に抜けたとされる乳歯や、戦争で受けたという傷のまさかのホルマリン漬け、訛り玉など、およそ重要とも思えない遺物も並んでいた。

「ほかの階はどんなものがありますか?」
もうどのくらいここにいるのだろうか…。淡々と足を進めているのにも関わらず、長い間ここにいるような気に駆られている。それほど歩いたわけでもないのにものすごく足が重い。
「上の階は、うみ・・・」
「海? 海の生き物の標本ですか?」
「は、い。あ、いえ、海デス」
「は? 海そのもの?」
また無言の返事。バカにされているのだろうか。
「海、は・・・担当外。案内、カワリマス・・・」

担当外・・・学芸員がそんなにいるとも思えなかったが、それぞれ専門家がいるにはいるようだ。

「少し疲れてしまったので、休憩したいのですが・・・」
そう告げると彼女は、少し口角をあげたようだった。
「あ、閲覧時間に限りがあるようでしたら次にいきますが・・・」

「いえ。コチラヘ・・・」
そう言って彼女は手を差し出しわたしの手首に触れた。

いた・・・っ

チクリとした。
瞬間、意識が遠のいた。

体が動かない。
寝かされている?

まぶしい。
ここはどこ?・・・手術室の天井みたい。手術室?

また、あの音が聞こえる。

『コキコキ・・・目、覚めた、カ・・・』

〈ココは…〉
声が出ない!?
体も、動かない!?
〈なに? なにが起こっているの?〉

『コキコキ・・・気分良いか?』

だれ? 運転手さん?
〈気分? いいわけないじゃない〉
う・・・のどがつまる。なんなのこれ?

『時期に、慣れる・・・』

聞えているの? わたしの声が・・・

『では、展示室に・・・』

展示室? 動けないのに?
どうなってるの?

運ばれている。でも、どうやって?
寝ているまま? ベッドで運ばれてるの?
それにしてはゆれが激しい・・・
〈ちょっと、どうなってるの! どこにいくの! なにしてるのよ!〉

「やっぱり・・・う、うるさい。蝶は落ち着きが、ない。ギギ」
白衣の女性の声。
蝶がうるさい? 蝶なんてどこにもいないじゃない。

しゃらしゃらしゃら・・・

また、あの音?

え・・・・

蝶が飛んでる。
ここは蝶の展示室?

「思いのほか、小さい」
頭の上で声がする。だれ? 

わたしの声?

なんで?

体が傾く。
〈あ・・・〉
気づかなかったけど、目の前にガラスが・・・? え?

体が傾く。
え?

体が立てられる。
え? え? え?

コトリ…
頭の後ろでなにかにあたったような、音がする。
それより、なに?

なに? 目の前に…!
目の前のガラスの向こうに・・・

わたしがいる!

わたし、なに?

さっき見た光景はうそじゃなかった・・・?
生きてる…標本箱に入っていた、あの蝶たちが、展示室の中を舞っている。どういうこと?

そして、わたし・・・

なに?

『コキコキ・・・本当に蝶はうるさい』
運転手…目が、みどり色の運転手。カマキリ・・・!

そう言えばあの時、車の中の電話で彼は『捕獲完了』と言ったのではなかったか?

「デハそろそろ、おいとまします…」

わたしが喋ってる。緑の目の運転手と、わたしが、目の前で会話してる。
じゃぁ、わたしはだれ? どうしてわたし? これは夢?
おいとま? どこへ行くの? わたし・・・わたし・・・わたしはだれ?

わたしはなに?

必死で目を動かす。視界が狭い。
目の前のわたしは、わたし・・・じゃない?

しゃらしゃらしゃら・・・

激しく飛び交う蝶たち。

「うるさい、もどれ!」
白衣の女性、わたしを覗いてる。
口角をあげて、薄ら笑いでわたしを見てる。
「ギギ、だから蝶は嫌い」
そう言って髪をかきあげると、目の前を遮るガラスに目を近づけた。

おでこに触角のようなもの・・・蜂?

・・・はち

「へんな色の、オオカバマダラ・・・ギギ」

おおかばまだら?

「さようなら、わたし。ふふふ」
硝子の向こうのわたしが、わたしに語り掛ける。 

ふふふ・・・さようなら、わたし・・・・







まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します