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『お父さんの克服』

『記憶を保持できない』と言う状態について考える。
これは大変に不安な状態である。

少し前、お父さんは、昨日と今日とたった今の区別がつかなくなった時、説明して、今日は何月何日何時で、これからするのは何かを理解するまで、少々パニックを起こすことがあった。

そして、全てを理解した時、『あぁ!今は何月何日何時か!というわけで、俺はこれからこの薬を飲めばいいのか!いや、たまげた!俺もキテるなあ!』
そんなふうに言った。

私よりも、暗算が得意で、国会中継など見ていると、どの議員がいつどんな不正を働いたか、すらすら出てくるお父さんである。

はっきり言ってわからないことがあれば、お父さんに聞いた方が本を読むより早い。

そんなお父さんであるが、血管性認知症を6年前に発症したのだった。

ただでは起きないお父さんである。
中学高校から勉強し直し、パソコンの本は、初歩の初歩から全部読み直し、スマートフォンの操作も、Googleの最新版や日経PCを全部読んで、私より使いこなしている。

そのようなわけで、6年前、認知症の薬を使っていたが、1年でいらなくなり、今は日本の歴史世界の歴史、語らせたら、ベラベラ出てくるし、政治経済に至っては得意分野である。

現在のお父さんには、口で勝とうと思っても、とても理屈でかなわない。 

お父さんに、血管性認知症について話したことがある。

入院時に見たせん妄や妄想はよく覚えていたが、家に帰ってからの事はスポンと忘れていて、

『え?また〜、俺本当に認知症なの?』

そう言って、今度はそれを芸の肥やしにしてしまい、来客があったとき、ナチュラルにボケた演技をすると言うドッキリをやるようになった。

『外は暑かったでしょう、冷たいのどうぞ!』

そう言ってごく自然に、醤油とオリーブオイルなどを、麦茶よろしく出すと言うやつである。

これに本当に引っかかる人が多くて、お父さんはそれを楽しんでいる。

血管性認知症だと知った後、物忘れを防ぐため、お父さんはあらゆる手段を講じた。
Googleカレンダーを使ったり、メモアプリを使ったり、付箋紙や日記、ノートのメモ書き等、お父さんが日々書き残しているものは膨大である。

いかんせん、私の頭が悪すぎて、お父さんの書いたメモやノートが英語で書いてあったり、専門用語ばかり使ってあるので、わたしには難解で理解することができない。

そんなふうに、お父さんは、物忘れ外来に行ってから、認知症の薬が減らなくなった途端、猛勉強し、自分自身だけの努力で血管性認知症を乗り越えてきた。

血管性認知症だと知らせてからは、昨日今日たった今何時なのかといったことを、わからなくならないようにことさら努力して確認し、パニックを起こすこともなくなった。

今日配布された『市政はこだて』の特集が認知症であったが、当てはまるものは、2つだけで、他は加齢による物忘れに該当した。

そのようなわけで、父さんは日々、忘れると言うことを克服しながら生きている。
そして勉強すると言うことを日々続けている。

該当する内容のうち、『すべて忘れていて、ヒントがあっても思い出せない』と言う項目の中身だが、ちょうど物忘れ外来に行った後から、回復するまでの調子の悪かった時期だけが、すっぽりない。

物忘れ外来に行ったけど、あれなんだったんだろう?といった感じで、調子の悪かった頃のことがすっぱり忘れ去られている事は、これは逆にラッキーではないかと思う次第である。

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25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

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