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グッズ・脳膿瘍・過大シャント~『死ぬかも知れない』そして今~

およそ2年ほど前。

まだ頻繁に救急車に乗ったりとか、容態がおかしくなって夜中訪問看護師さんに来てもらったりとか、お父さんはそういう状態だった。

私は「鬱くしき人々のうた 実録・閉鎖病棟」で四苦八苦していた。

同時に、「生活をする」という事もこなしていかなければならなかった。

pixivFANBOXと、漫画の執筆と、容態の安定しない お父さんと、生活を成り立たせていくことで、自分に全く余裕がなかった。

お金だって、本当にカツカツ だった。

そんな中。
ヴィレッジヴァンガード下北沢店 さんで、フェアを打ち出してくれるという話が舞い込んだ。

とても有難かった。
だけども その話に入る余裕がなかった。
いろんな人が動いてくれた。

グッズを作ってくれるという話になった。
著作権などの絡みから、小学館がイーストプレスに話を通してくださり、「人間仮免中 つづき」を描いた時の担当さんが動いてくれて、クリアファイルに挟む原稿 内容などをヴィレッジヴァンガード下北沢店さんと話し合ってくれた。
ポップカンパニーさんがグッズの制作・販売を請け負ってくれた。
フェアで流しっぱなしにする映像も撮った。
余裕のない中書き下ろした イラストは、出来の良いものではなかった。

あの映像を撮った日の翌日、お父さんは脳膿瘍の検査であった。
また入院するかもしれない。もしかしたらもう帰ってこれないかもしれない。死んでしまうかもしれない。
今でも忘れられない。
最後になるかと思った。
だから お父さんに、お父さんの手で映像を撮ってもらったんだった。

グッズに印刷する、イラストを発送した。
お父さんに毎年、誕生日プレゼントしているボビーと妙子のキャラのイラストである。
動画を撮ることと、イラストの発送しか、グッズ制作には関われなかった。
いっぱいいっぱいだったのだ。

だから、細かい話がどんなことかとか、聞いたかもしれないけれど頭からスッポ抜けている。

お父さんの検査は、2回にわたる 脳の手術と脳膿瘍の菌を特定できたおかげでその点滴が効き、そして免疫力もあって、退院時、わずかに残っていた再発のおそれのあった菌も死滅していた。

一番、命に関わっていた懸念材料が、ひとつだけ 減った。

この頃 まだ、ネフローゼ症候群だった お父さんは顔がパンパンにむくみ、造設したシャントの血流過多で、肩までどす黒く肥大していた。
他に シャントを作る場所がなく、シャントを閉じる手術のタイミングと、腎機能が少しでも回復してくれる時間と可能性と、その狭間にいた。

いよいよとなったら、もう、左の足の付け根に無理やり シャント造設して、手術するしかない。
身体中の血管という血管がもろく 潰れ、生き死にがかかっていた。

手術を伸ばしに伸ばした。
ドロドロの腎臓病食を食べ、水分制限をし、手術に踏み切るタイミングを計った。

心臓の三尖弁のカテーテル検査ができる日がいつ来るか。
これも時間との戦いだった。

ちょうど あの時。
そんなこんな が重なっていた。

お父さんの様子が少しでもおかしければ、24時間体制で待機していてくれる訪問看護師さんに来てもらい、あれこれと判断を仰いだ。

お金が苦しかった。
生活全体がカツカツ だった。
執筆は難航していた。

私の気力体力も、毎日フルで、毎日ギリギリだった。

そしてヴィレッジヴァンガード下北沢店さんでフェアをやって頂けた。

すぐにコロナが流行ってしまったけれど。
フェアも、コロナのためすぐに終わってしまったけれど。

その時のグッズを、今、ポップカンパニーさんの協力で、販売を再開できたこと。
ついでに私の描いた「落書き」の販売も請け負ってもらえたこと。

今、お父さんの体調が良いこと。
むくみはすっかり取れて、顔も足もすっきりしている。
心臓の数値も落ち着いていること。
今ではヘルパーさんが腎臓病食を作ったり、時にはお父さんが自分で腎臓病食を作ったり、私のご飯を作ってくれたり、そんなにまで元気になった。

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