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韻文。

高校三年間、私の目の前にあるものは、無数の傷を負った一人の少女である、母、その人生であった。

私が文章作品を考えるとき、私の思考は常に母の人生とともにあった。

母が生まれ、寒さの中姉弟に足を温めてもらいながら育ち、兄にもらうみかんを愛し、哲学と文学に憧れ、早くから 働き父と出会い、私を授かり、姑という存在の前に少女のようになすすべもなかったこと。

しかし 母は、ことごとく 赦し、ことごとく愛し、誰も憎まず、愚痴も吐かず、涙も見せず、出来る限りの愛情という愛情を、全てに対し捧げて生きてきた。

私はいつしか、母のために強くなり、母のために世の中を正し、母を守りたいと、激しく夢想するようになっていた。

私は母の姿を、母という一人の少女の姿を、いつも大切に頭の中に思い描き、言葉という言葉を限界まで削いで、韻文を書いていた。

母が受けてきただろう傷は、私にとって怒り そのものであり、私はそれらを打ち砕きたく、断罪したく、安らかに眠りにつかせたく、葬りたく、成仏させたく、言葉という言葉で表していた。

私が、韻文を書くということは、すべて、母が憎まなかった 憎しみへの、私の想いであった。

私が書く文章の内容のことで、同級生の親御さんから、あの子とは付き合うな、そういう言葉がちらほら出た。

私の韻文を読んだ、遠く離れた地方の高校生から、手紙をもらい、文通をしたりもした。

私はこの頃、中退した高校で出会った、その後 一生の恩師になる画家の先生と、時々電話をしていた。

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