私がダンスインストラクターになるまでの軌跡

私の使命は、「ダンスを踊る楽しさ、心も体も元気になり、人を感動させることができる素晴らしいことを伝えていくこと。」
そのために、私は、3人の子供を産んですぐにダンスインストラクターを始めました。
当時私は子育てに行き詰まり、毎回出産の度に産後うつになり、追い込まれていた自分のためと、軽度の発達障害があった娘のために、始めました。
私は学生の頃ダンスが大好きで、(母になってからは子育てに必死で踊ることを忘れていましたが)、娘の発達には親子で関われるダンスが最適だと考えました。
でも、「ただの30代の主婦がダンスインストラクターになれるの?」
自分に何度も問いかけました。
「なれるの?」じゃなくて「なる‼︎」って決めました。当たり前だけどみんな反対でした(笑)

それから子供が通う幼稚園の園児を誘い大垣で市民活動を始め、幼稚園のお母さん方を対象にダンスを無償で教えをやらさせていただきました。
「やるからにはいいものを届けたい」との思いが強く、独身の頃に通っていたダンススクールの恩師に頼み込んで弟子にさせていただきました。
年齢も実績もない、誹謗中傷は当たり前のダンスの世界、弱音なんかはけない、容赦無く辛い言葉や厳しい言葉をたくさん浴びてきました。
そんなことは覚悟の上でしたが、やはり体と心がついていかなく、眠れない毎日でした。
朝方寝ついて、1時間寝て、朝バイトに出勤。
夕方からは、ダンスの仕事。子供のことは全てこなして、夕食のカレーだけ作り同居している義母に、お願いをしてダンスインストラクターとしての修行を続けました。もちろんダンスの仕事の報酬は、少なくガソリン代程度…
そんな生活が9年近く経ち、身も心も枯渇している自分に気づきました。
ダンスインストラクターになる夢のきっかけを作った市民活動、全ての仕事を手放して、新たにダンスインストラクターを仕事としてやっていこうと決めました。
手放すことになった話、
その後についてはまた今度にします。
長々と最後まで読んでくださりありがとうございました🙏
#BJ岐阜2024

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