夫婦の最近

我が家は結婚9年目、付き合っている頃からだと16年の付き合いになる。

私は夫と16年一緒にいて今が一番一緒にいて居心地がいいんだけど、私が居心地がいいと思っているからといって夫も同じように思っているとは限らないよなと思い、自戒もこめてここ最近感じたことを綴っていきたい。


気分屋な夫とテンションが一定な私

私達夫婦が知り合って付き合った当初はこんな感じだったと思う。
基本的に私が夫(当時はまだ彼氏だったが)の思いつきや気分に振り回されがちだったし、私はあまり感情の浮き沈みを露にしたりしなかったと思う。
パワーバランスも完全に夫が強かったと思うし、私としてもむしろそれで心地よかったので成り立っていた。喧嘩もほとんどしたことがなかった。

7年の交際を経て結婚、出産となり生活がガラッと変わったが、基本的な関係性は変わらずにずっときた。

ただ私が妊娠を機に長年勤めていた会社を退職して専業主婦になってから、関係性そのものは変わらなくてもその中で生まれる思いに変化が訪れた。


“無職”である負い目

専業主婦になり、私がまず思い知ったのが
“自分の稼ぎによる収入がなくなる”ということが、こんなにも自己肯定感を下げ、自分自身の心の自由すら奪われることなのか
ということだった。完全に想定外だった。

長年勤めていたやりがいのある仕事だったけど、色々考えて納得して退職したし夫も私の選択を尊重してくれた。

だけど子供が1歳をむかえる頃になると、周りは育休を終え仕事に復帰したり、子育ての合間に働ける仕事を見つけ働き始めるママたちが増え始めた。
私は焦り始めた。そして夫に対しても「養ってもらってすみません、お荷物ですみません」などと思うようになってしまった。夫はそんな態度一切とってなかったのに。私を“お荷物”だなんて思う人ではないのに。
そうすると私は、夫に言いたいことが言えなくなった。頼りたくても言い出しずらくなった。もしかしたらこれはあるあるパターンかもしれないよね。

思えばあの頃は、育児も家事も様々な雑務もほとんど頼らず一人で抱えて、夜泣きで何度も起こされても自分の体調がいまいちでも自分でやるしかないと思っていたしなるべく手を抜かないようにしていた。「働いていないんだからこれくらいはしっかりやらなきゃ」と負い目のようなものを感じていたんだと思う。


心に蓄積していった“私ばっかり”

言いたいことが言えなくなった私は、育児疲れも相まってみるみる卑屈なっていったと思う。
休みの日は好きなだけ寝て、ちょっと子供の相手をするだけで肝心な(大変な)部分は結局母親である私に任せればよくて、いつでも身軽に飲みに行ける夫を、心底羨ましく思ったけど【夫くんは日々がんばって働いてくれてるから…私はどうせ無職だし…】と心に蓋をした。
でも蓋をした心の中で確実に響いていた「助けてほしい」は、やがて「どうして私ばっかり」に形を変え溢れかえった。

ここで、喧嘩するなり話し合いなりをするべきだったんだろうけど、冒頭にも書いた通り私は元々感情の浮き沈みをあまり露にしてこなかったため、夫とはほとんど喧嘩をしたことがなかった。

私が感情の浮き沈みをあまり露にしてこなかったのは、私自身の美学であえてそうしていたのもあったし、夫に対してなにか物申したいことがあったとしても「ま、いいや。ほっとこう」とあまり直視しないようにしていたから喧嘩にもならなかったんだと思うけど、結婚して一緒に暮らしているとそうもいかなくなった。
ついに意を決して話し合いの時間を設けたが、喧嘩の仕方すらわからない、負い目があるため言いたいことがうまく言えない私の思いは、どこから手をつけたらいいのかわからないほどにぐちゃぐちゃにとっ散らかって、結果支離滅裂になった。
ただただ涙だけがあふれて止まらず夫も困り果てた。こんな感じの関係がしばらく続いたなんて今思えば地獄絵図だ。
適切なタイミングで適切に心の声を受け止め、溜め込まずにちゃんと発散しないとこうなってしまうんだと気づけたのは本当に最近になってから。


転機となった第二子出産

そんな状態に転機が訪れたのが、第二子出産だったと思う。
第二子となる娘を出産するために入院し、我が家は結婚して初めて夫一人に家事も育児も丸々任せた。
当時超絶ママっ子だった息子を置いていくことも、これまでほとんど家のことを一人ではやったことがない夫に全てを任せることも、私はとにかく不安だったけど、対して夫は「なんとかなるでしょ」と深刻度ゼロだった。(こういうところにいつも助けられるのだけど)

しかし私がいない間、それはそれは大変だったそうで、とにかくしんどかったそうで、面会にきたときに心底思い知ったみたいな面持ちで「こんなに大変だったんだね。本当にすごいよ。俺、これからちゃんと一緒にやるから」と言ってくれた。
このときの報われた解放感のような理解してもらえた喜びのような感動は忘れないと思う。


恨み言の伏線を回収しない

身をもって理解し本当に変わってくれた夫になら、私はこれまでなら言えずに飲み込んでいた「助けて」を言えるようになった。だって、わかってくれているんだもん。この差は大きかった。
ヘルプを出せるようになった私は心の中が収拾つかなくなるほど荒れ果てることが減った。

でもたまに、助けてが言えなかった頃の自分の感情のしこりが痛んでしまうときがある。
そんな時つい【わかってくれる今のあなたになら言えるから言うけど】という気持ちで「あのとき私はこれだけ大変だったんだ、つらかったんだ」という当時の恨み言を、変わってくれた今の夫にぶつけてしまうことがある。

これは絶対に良くないと、最近思い直して反省した。
“産後の恨みは一生根に持つ”とはよく聞くし、その凄まじさたるや自分にも心当たりがあるのが正直なところなんだけど、
でも、
だからといって、
言えなかった分を取り返すかのような怒涛の恨み節のオンパレードになってしまってないか、言葉を発する前に立ち止まってみるべきだと思った。
言いやすいから、わかってくれているから、といってなんでもかんでも投げ掛けて全て受け止めてもらおうなんて、昔言えなかったという経緯があったとしても間違っている。
やっと溜め込まず言えるようになった私が、その先に気づけた至極当然のことだった。
やっと夫婦として健全なやりとりができるかもしれない。(“かもしれない”の段階だが)


こんなことを考えたきっかけは最近夫とあることで少し揉めたからなんだけど(一応仲直り済)、noteに綴ることでより気持ちがまとまった。夫は多分根に持ったりしていないと思うけど、あらためて謝ろうかなと思う。






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