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祖父が70代で大学を卒業した話

たまには、エロ要素ゼロの記事も書いてみたいと思います。
今回は、私が心の底から尊敬する、祖父の話です。

私の祖父は、大正生まれでした。

若い頃は兵隊として戦争に行っていました。
祖父の弟は海軍に所属していて、太平洋で戦死しました。

もともとお酒を飲まなかった祖父が、酒の味を覚えたのは…
戦争から帰ってきたころだと、父に聞きました。

私が物心ついた時、祖父はすでにアルコール依存症でした。
一人暮らしの家で、つねに酒浸りの生活を送っていたのです。
祖母は、父が子供の頃に家を出たんだそうです。

祖父はもともと風流な人で、尺八、横笛、俳句、日本画をたしなんでいました。
酔っていない時は、絵を教えてもらったこともあります。

尺八と俳句は、師匠から雅号を授かったそうです。
祖父の自宅には、塩ビパイプで作られた尺八が、ずらりと並んでいました。
もちろん、本物の尺八もありました。

子供の頃、アルコール依存症というものがどんなものか、私にはわかりませんでした。
祖父の家は近所でしたが、遊びに行くことはまれでした。

そんな祖父が入院したのは、私が小学6年生の頃でした。
当時祖父は、60代半ばくらいだったでしょうか。

アルコール依存症の祖父をどうにかしようと、親族が一丸となって、祖父を専門の病院に入院させたのです。

3か月ほど、祖父は入院していたと思います。
そのあたりは、あまり覚えていません。

祖父の入院生活がどんなものだったのか、私にはわかりません。
ただ、アルコール依存症の恐ろしさを、徹底的に叩き込まれたようです。

退院してから、祖父は一切のアルコールを断ちました。

父は私に言いました。

「じいちゃんが酒飲んでないか、たまに様子見てきて」

私は趣味人の祖父が好きだったので、たまに遊びに行きました。
そのたび、絵を教えてもらったり、横笛を習ったりしました。

父が心配していた飲酒も、まったくありませんでした。

そんな祖父が、いきなり言い出しました。

「おいちゃん(おじいちゃん)な、大学行くで」

はい????????
何て言いました?????

「あのな、佛教大学にな、通信科があるねん。そこに入学することにしたねん」

祖父は、満面の笑みをたたえて言いました。

私が中学校に入学するのと同時に、祖父も大学生となりました。

祖父は言いました。

「これからは高齢化社会になるから、老人福祉の勉強するねん」

…いや、アンタが高齢者や。
私は心の中で、強く叫びました。

祖父は、もともと頭のいい人だったようです。
せっせとレポートを書いては、学校に送っていました。

「多恵、見てみ。おいちゃん、レポートぜんぶAやで」

「すごいな。じいちゃん、勉強できたんやな」

ところが、そんな祖父にも、弱点がありました。

「英語がアカンねん。あれだけは、どもならん」

頭を抱えて、祖父は言いました。

中学生になった私に、「ちょっと英語教えてくれへんか」と祖父は言いましたが…
大学の英語の教科書を見ると、中学生に太刀打ちできるレベルではありませんでした。

当然です。

高校を卒業していなかった祖父は、教養課程を含めて、7年かけて大学を卒業しました。

卒業証書を私に見せて、

「どや、おいちゃん、学士になったんやで」

と、嬉しそうに笑った祖父の顔は、今でもよく覚えています。

アルコール依存症は克服しましたが、祖父はタバコを止めることはできませんでした。
大学に提出するレポートは、タバコの灰が落ち、穴があいていることもありました。

ヘビースモーカーだった祖父は、大学を卒業して何年も経たないうちに、肺がんで亡くなりました。

父に言わせると、

「あの親父(祖父)は、自分の好きな事だけやって生きてきたわなぁ。子供のことなんて、まるで考えてへんかったんちゃうか」

ということらしいです。

そんな祖父ですが、私は尊敬しています。

人間、その気になったら何歳からでも勉強できるんやなぁ…
私はそう、思ったのです。

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