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雑談が苦手な人は無意識が苦手

無意識と意識、どちらの処理が速いかと言えば、やはり無意識の方が速い。感情はパッと沸くし、会話の反応がいい人は、会話しながら考えている。

例えば、Aさんが「〇〇は、〇〇らしいですよ」と根拠が薄そうなことをパッという。それに対して、相手のBさんが「いやあ、でも〇〇はちょっと違うんじゃない?」と返す。そしたら、Aさんは「そうかあ…うーん」。

私だったら、根拠が薄そうなことは言わないかもしれません。あるいは、「根拠はないけど、〇〇らしいですよ」と説明を入れる。相手への影響を考えると慎重になってしまうのですね。

雑談においては、私はこの根拠問題にいつも足をとられています。正確性を判断している間に、話題はもう次に進んでいますから、今更もって遅いことを頭のなかでは考えている。タイムラグです。

そして厄介なのは、そのグループが自分の無意識(つまり価値観的な)と一致していない場合、より反応が遅くなる。あれ……?と考えていると、なかなか言葉が出てこない。この場で言っても良い言葉かどうかの判断の分、余計、時間がかかるのです。

恐らく、人見知りの人たちは、自分の無意識が他の人たちと一致していない場合が多いのかもしれません。その上、無意識を変えることはかなり難しい。また、真面目な所もあり、心に噓をついたり適当なことを言うのも抵抗があるのでしょう。

話の中心にいるような人たちは、自ら、ドーンドーンと太鼓を鳴らすようなもので、それによってグループのリズムを作り出すことが出来ます。周りはそれに乗って、トントンと太鼓を鳴らす。ドーンドーンの人は、自分の無意識を疑ってはいない。ていうか、無意識というものに気づいていない。

でも、そのドーンドーンは時には有難いもので、響きの良い太鼓の音に人は集まって来る。

人見知りにしてみれば、うらやましい限りです。太鼓名人には成れそうもありません。でも、雑談が上手いのと「信頼」とは別ものだ、とも考えることができます。

「信頼」は、誠実さです。これは、約束を守るという事と相手を尊重できるという事かなと思います。

以前、職場でほとんどしゃべらない人がいました(多分、苦手で)。他のスタッフからは、あの人は大丈夫かな?と思われていたようですが、上司には信頼されていました。ちなみに恋人もいました。

そんな感じで、雑談が苦手だと疲れるし悲しくなることも多いですが、人生の幸せにおいてはさほど関係は無い、というのが持論です。

成功への道すじが、おしゃべりが上手い人と違うのだと思います。ですので、一喜一憂して落ち込むより、こつこつ信頼を積み重ねる方が、ある意味、得策なのかなと思います。

でもやっぱり、話が上手くて物怖じしない人、羨ましいなあ…


お互い頑張りましょう! 
ありがとうございました。


追記/コメントを下さったVanさんが、雑談苦手克服のためのアプリを開発中とのことです。良かったら覗いてみて下さいね。

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