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回想を聴く人は、何を考えているか? / その醍醐味について。

今日は、回想を聴く人は何を考えて聴いているのかについて書こうと思います。これはあくまでも私の場合と思って読み進めて下さいね。

映画を見るように映像が浮かぶ

これは私の聴き方の特徴なのかもしれませんが、映画を見ているように話を聴いています。多くの場合、人が回想をするとき過去を映像で見ていると言われています。それを言葉に変換して私に伝えてくれている。ですから、私もその方と一緒に映像を体験しています。

細部を拾う

ライターさんがインタビューする時その先にいるのは読者です。ですから恐らく、読者が読みたいことをいかに引き出せるかが力量なのだと思います。

一方で、回想を聴く人である私は、他者から見たら何でもないことかもしれない細部を拾いに行きます。その「何でもない」の中に本人の喜びや悲しみ、人生が広がっていて話し手はそこを歩いている。

感想というより水の波紋

回想が終盤を迎え無事終わったとき、多くの方が私に「どう思いましたか?」と聞きます。

でも、私は感想という枠組みで回想を捉えることができません。言葉で上手く説明するのは難しいのですが、心の奥の水面に小石が投げられたような感覚で「一人の人の人生に何か問われた」あるいは「何かが共鳴した」気持ちになるとしか言いようがないのです。そして、その波紋の意味が分かるにはまだ時間が必要だということは分かります。

それに加えて、私が感想を述べるより、本人がどの様に自身の人生を捉えたかが大切だと考えています。

回想という貴重な場

何より、話し手の方には「信頼して話してくれたこと」「得難い体験に立ち会わせてくれたこと」に対してありがとうございますと感謝を伝えたい。

半歩下がった同行者

今回は、私が何を思って聴いてるのか書いてみました。曖昧だったかもしれませんが、話を聴いているとき「評価も批判もしていませんよ。ただ一緒に『半歩下がった同行者』として歩いています。記憶の冒険が無事終わるときまで」ということです。

そこが他の職業の方との違いかもしれません。見立てをしたりアドバイスをしたりしませんが、インタビューする、傾聴するともまた違うのです。

相手とともに新しい体験に踏み出そうという冒険心は大切な資質と考えられます。少し観点を変えて考えると、これは「やわらかい心」「柔軟性」「ソフトな持ち味」などどと表現することもできるでしょうか。優しさや温かさというよりは、ぎすぎすしてない包み込むような雰囲気がかもし出されることが資質といえるのです。どれだけ肩の力を抜き、肘を張らずにいられるかが試されます。

Q&Aでわかる回想法ハンドブック(p23)野村豊子

先に、回想法の実施者は「立ち位置」を決めることはあり得ないと述べましたが、あえて「立ち位置」を表現するとしたら「相手の人生につれ添う半歩下がった同行者」といえるでしょうか。

同上

回想の聴き手としての醍醐味は上記のようなことだと感じています。

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