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【散文・考察】詩や短歌の経過観察その4(2022/9末)

短歌を始めて約5か月がたった。
4か月経過は以下の通り。

最近、短歌を詠むスピードが落ちてきて、試行錯誤する時間が長くなった。たぶん、また新たな壁にぶつかっているのかもしれない。これを繰り返して様々なパターンとか見方とか感じ方とかを学んでいくのだと思って毎日向き合っている。

買っていた短歌集は読むのが止まってしまった。ほかのことに集中したい。読むことよりも創作するほうが優先度が高くなっている。

試行錯誤中でほかの短歌にあまり興味が持てなくなっている。のだと思う。ネットの短歌にもあまり反応せず。

そもそも、人間よりも人間以外のものを描写するのがメインなので、そういった短歌ってネットではあまり見かけない。短歌の中でもやはりマイナージャンル。ゆっくりとやっていこう。

ただ、5か月もやってくると自分の得意なパターンが出てくる一方、ワンパターンになりがち。もう少し別角度からも挑戦してもいいかもしれない。

あと、毎日向き合うと作業っぽくなりがち。心の反応を大事にしたい。


詩のほうは短歌で詠んだ世界を広げたり深くしたりする詩を継続中。短歌一首を詩にするよりも二首のほうがより複雑で深くなることを発見する。短歌を詠むときひとつのテーマや題で二首詠むようにしているので、その二首をまとめて詩にすると、思わぬ世界や言葉や組み合わせが出てきて、自分でもおっ! ってなるときがある。


詩も短歌も頭の中に浮かぶ映像や心が反応したことから言葉にしていくので、いつも言葉を探っているんだけれども、その映像や心の反応がない状態ではまったく書けない。当たり前だけれど、何にもない状態はやっぱり書けない。ということがわかったので、書けないときの理由は、書く以前の準備段階にあるということになるので、書けないとか創作意欲わかないとかそういった理由で悩んむことが少なくなった。あるいは取り掛かる時間が短くなった。これはほかの創作物においても同じだと思う。

言葉が先に浮かんでくる、というのがない。たぶん、普段接している環境に影響するんだと思う。テレビや動画や映画、マンガ、アニメ、ゲームといった視覚から影響を受けるほうが多かった。これが、文字だけの媒体が中心だったら文字や言葉が先に浮かんできただろう。作家も映像主体、言葉主体とわかれるのではないだろうか。

10月もいつもどおりやっていこうと思う。



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