2021年7月17日(土)晴れ

7月17日、朝起きて、掃除洗濯を行いました。掃除洗濯が無事終わり、ホッとしました。

掃除洗濯が終わった後、読書を楽しみました。

読んだ本は、池上嘉彦さんの「記号論への招待」の意味作用の二つの極と「言語は精神、精神は言語」の項目を読みました。

一方の極は、「しきたり」や「慣習」を重視して作られる意味作用で、科学的な「術語」で、もう一方の極は、そういったものを無視して作られる意味作用で、「詩のことば」であるとのお話でした。中間的な意味作用としては、日常使われる言葉が存在しているというお話でした。

ざっくりまとめすぎて、自分の中で消化しきれていませんが、何となくイメージを持つことができるようになりました。

意味作用から表現に変わり、聴く側の人たちへ伝達する、という流れが存在していますが、表現する方法としては、いろいろな幅広い世界が広がっています。

表現者は、詩であれ、笑いであれ、しきたりや慣習の構造を理解して、解体し新しい作品を創る、ということなのだなぁと理解しました。

ある分野での専門家の立ち位置に立つくらいでないと、作品を創れるところまでは到達できなさそうだ、という感覚をつかんだのですが、勉強をがんばれ、というメッセージとして受け入れました。お話、たいへん面白く勉強になりました。ありがとうございました。

読書後、与野本町にある「そば処 田中屋」にて、上天ざるそばをいただきました。

田中屋にて、デイケアのお友達とばったり会って、一緒に昼食をいただきました。お話、たいへんおもしろかったです! ありがとうございました。

上天ざるそば、たいへんおいしかったです! ごちそうさまです。

昼食後、家に帰って、読書を楽しみました。読んだ本は、「吉本隆明が語る親鸞」「マンガでやさしくわかる部下の育て方」です。

「吉本隆明が語る親鸞」は、空海や道元とは全く違う、親鸞の教えについてです。

空海や道元は、自然世界の言葉を聴くことができるよう修行をすすめていますが、親鸞は人々の言葉が大切で、人々の声に目を向けなさい、ということと、自力ではなく、阿弥陀様の他力の力で救われる、と教えを説かれているというお話でした。

お話、たいへん難しくまだ消化しきれていません。吉本さん、お話ありがとうございました。

「マンガでやさしくわかる部下の育て方」は、振り返り(リフレクション)を読みました。

振り返りですが、お話している相手のお話を聞ききることが大切なことと、お話しているときに本人が問題点に気づいて、考えてもらうことがたいへん重要なことだ、とお話してくださっています。

相手に問いかけるときの問いかけ方もあるそうで、大変勉強になりました。ありがとうございました。

読書後、ゲームを遊ぼうと思ったのですが、まったくゲームを遊びたい気持ちではありませんでした。ですので、横になっていました。

コロナワクチン接種後の副反応で、右肩に痛みが出ていて、肩があがらない感じです。他は特に症状が現れていないので、助かりました。

弟のmasaさんは介護のお仕事のためワクチン接種が終わっているのですが、お話によると二度目の時は、強めに症状が現れるので注意してね、とのお話をいただきました。

今日は、のんびりお酒を飲んで楽しく過ごすことができなかったので、気持ち的に落ち込んでいたのかもしれません。

少しゲームを遊んだ後、実家に帰って、夕食をいただきました。今日の夕食は、ごはん、ハンバーグ、サラダです。たいへんおいしかったです! ごちそうさまです。

弟のmasaさんと相談してのお話ですが、両親に介護の人に入ってもらったほうがいいのではないか、とお話をしてみました。両親からの反応が薄かったですが、少しずつお話していけたらと思いました。


昨日の精神科ナイトケアにて、「認知行動SST」と「マインドフル・セルフ・コンパッション」を学びました。学んだことをまとめたいと思います。


「認知行動SST」は、認知行動SSTを行うにあたっての目標設定を行いました。

僕の長期目標は、「異性とでかけたい。」にしました。

長期目標にかかわる短期目標を2つ作りました。

一つ目は「少しお話をする」

二つ目は「共通の話題を探す・共通の話題でお話をする」です。

「少しお話をする」のステップは、①仕事のお話をする。②趣味のお話をする。③最近の気になることをお話してみる。④「声をかけても相手にしてもらえないだろうなぁ」という役に立たない思考を反証して消す。⑤「無視されているように感じる」という役に立たない思考をキャッチするです。

「共通の話題を探す・共通の話題でお話をする」のステップは、①お休みの過ごし方を聴いてみる。②趣味のお話をする。③相手のお話を聞いてみるです。

デイケアスタッフさんからアドバイスをいただいて、お話をしながら、お誘いの言葉をぶっこんでみる、のが重要なことだとのお話でした。お話、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。


「マインドフル・セルフ・コンパッション」は、「セルフ・コンパッションと恥」について学びました。

恥は、大事な感情ですが、たいへん難しい感情でもあります。

恥と愛情が対の感情になっているそうで、「人から愛されない」という感情が恥で、自分のことを受け入れてもらえないという感情が恥だそうです。

恥は、自分が何か根本的に間違っていて受け入れられていない、愛されていないという感情のことだそうです。

【恥の3つのパラドックス】があります。

①恥とは純粋な感情である。⇒「恥について非難に値する感情と思いがち」

②恥とは誰にでも共通している感情である。⇒「恥を感じているときは、孤独で寂しく感じる」

③恥は一時的なもので私たちの一部でしかない。⇒「恥は永久に続き、自分のすべてにわたるような気がする」というものです。

「恥」≠「罪悪感」

罪悪感とは、行動について悪いと感じる感情⇒「自分は何か悪いことをした」

恥は、自分自身について悪いと感じる感情⇒「自分自身は悪い人間、ダメな人間」というものだそうです。

罪悪感は時に状況を改善する動機となる生産的な感情になりますが、恥は、人間を麻痺させて、効率的な行動を取らせなくしてしまう非生産的な感情です。

例として、働きはじめのころの仕事のミスはあまりなくて、半年とか働いていて、同じミスを何度も繰り返したときに、恥じらいが起こります。

そして、「恥」は熟成されて、もっとひどい状態になります。

僕の経験としては、僕は高校の時に、いろいろ問題をおこして、そのことが原因でいろいろいじめられたり、無視されたりして、引きこもりになったのですが、自分が悪いことをしてしまったことを思い出して、僕はすごくつらかったのですが、おそらくそれが「恥」の感情でした。

そのあと、僕は、悪いことをしたので、生きていてはいけないのではないか、と考えるようになって、「死」について考えるようになりました。

恥の感情は、放置しておくといろいろ問題が起こってくる、大変問題な感情でもあります。

【ネガティブな中核信念】人生で困難に直面したときに、心に何度も浮かんでくる思考。子供時代に感じた、自分自身への不信感をルーツに持つことがあります。

「自分は欠陥品だ」「自分は愛される価値のない人間だ」と考えます。

このような自分に抱くネガティブな中核信念は数が限られていて、15~20個とされています。恥を誰にも話さないと維持されます。

恥をほかの人や、自分自身から隠すと、ネガティブな中核信念も根強く残ります。しかし、私たちは自分の恥の側面が人に知れてしまうと、「拒否されるのではないか」と恐れてしまいます。

ネガティブな中核信念を、明らかにすると、影響が薄れてきます。

セルフ・コンパッションでは、ネガティブな一面も受け入れ、全体を認めていきます。

ネガティブな中核信念を表現できると、少しずつよくなっていきます。

僕の経験として、看護学生さんに、自分の統合失調症になったときのお話をする経験から、自分の悪いことをしたことをお話したことによって、恥の感情が薄くなって変わってきました。たいへん重要なお話でした。

この後、「ネガティブな中核信念に向き合う」という、自分自身の恥の感情と向き合うマインドフル・セルフ・コンパッションの方法を見つけました。

自分が時々持つネガティブな中核信念に注目して、特に信念の生じやすい状況を特定してみます。

【よくあるネガティブな中核信念】は、自分は不十分な人間。自分はできそこない。自分はどうしようもない。自分は詐欺師だ。自分は愛情に値しない人間。自分は必要とされていない。自分は大事な人間ではない。自分は弱い人間だ。自分は欠陥品。自分はバカだ。自分には能力がない。自分は悪い人間。自分には価値がない。自分は普通じゃない。自分は無力だ。といった考え方が考えられます。

僕は、「ネガティブな中核信念が生じやすい状況」として、「自分はダメな人間だ。」というものが思い浮かんできます。

【マインドフルネス】を行います。ネガティブな中核信念を持つと、どんなふうに感じるか、客観的に認めていくように書いてみます。

例えば、「自分は愛される価値がない人間と考えると、心が痛む」「自分が無力だと感じると、つらい気持ちになる」です。

僕は、「自分はダメな人間だと考えると、つらい気持ちになる。」にしました。

【共通の人間性】を探します。自分の持つネガティブな中核信念は誰でも経験する一部であることを書いてみます。

例えば、「こんな気持ちになるのは、自分だけじゃない。」です。

僕も、「こんな気持ちになるのは、自分だけじゃない。」にしました。

【やさしさ】セルフ・コンパッションを行います。

ネガティブな中核信念のために生じた経験に配慮しつつ、自分に向けた理解のある言葉を書いてみます。

例えば、「そんな気持ちになるのはつらいね。私自身はそのように思っていないよ。」です。

僕は、「確かにダメなところもあるけど、自分なりにがんばってもいるよ。」にしました。

僕自身の経験としても実感しているところですが、「共通の人間性」がなかなか出てこないかもしれません。最近の僕は、「共通の人間性」を思い出すことができるようになったので、「共通の人間性」を思い出すことによって、相当、自分自身が救われる経験をたくさんしています。

共通の人間性を体得する方法としては、いろいろな人とお話することで身につくのかもしれないですね。そのようなことを思いました。

「マインドフル・セルフ・コンパッション」たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

今日もみなさん、お付き合いありがとうございました。明日も、よろしくお願いします。

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