日常

鈴虫がうるさい季節になった。                    蚊も時々部屋にお邪魔してくるようになり、虫が嫌いな私にとって虫がたくさん出てくる大嫌いな夏がもうすぐそこにいる。

セミを素手で捕まえられたり、何の恐怖心もなくゴキブリを退治できる人に憧れる。あと、汗っかきでない人も。


そんなことは別にどうでもいい。今日は遅めの起床で一日が始まり、ゼミでどういったことを研究するのか話し合いをしてから、阿部広太郎さんの『リモート時代の心をつかむ超言葉術』を講義の題としたコピーライター養成講座を受けた。

正直、この講義をめちゃくちゃ受けたい!という気持ちで講義を受けた訳ではない。                              たまたまニューヨークさんを好きになり、たまたま屋敷さんがいたシュガーティーチャーの放課後5学期に初めてオンラインという形だが参加させていただき、たまたまそこに出演されていた阿部さんのTwitterをフォローさせていただき、たまたまこの講義を宣伝されているツイートを見て受講させていただいた。

たまたまの連続で巡り合えた機会だった。でも人生こんなもんだろう。  

たまたまで興味を持ち、たまたま選択したこと。でもそれはどこか必然的なものだったのかもしれない。と人生経験スッカスカの自分の頭で考える。




昨日のnoteに書いたが、私は書店でアルバイトをしている。       働いていると自分が知らなかったとても興味深い本をお客様は目の前に会計の時に突き出してくる。そうするとどうなるか。買ってしまう。どうしても。そして積読本が増えていく。


いつかバイト先の先輩と積読本が増えていってしまっているということを話した。その時に先輩は

「レジに客がおもしろそうな本を持ってきても、とりあえず我慢して買わない。でも3回その本を会計することになったら運命と思って、その本を買う」(明確に覚えてないので大まかにこんな感じ)

と言っていた。

すごくいい考え方だなと感心した。自分もこの方法活用しようと思った。



実は阿部さんが書いた『心をつかむ超言葉術』に閉店後の店内で一度目を通したことがある。                          夏目漱石は「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳したとか。今のあなたなら何と訳しますか?という文面に引かれて。

よし買おう!


とはならず、当時の私は難しそうな本だなと思って本を平台に戻した記憶がある。(阿部さんすみません・・・)

今の自分がその時の自分なら間違いなく買っていた。過去に戻れるならビンタしてでも買わすようにしていただろう。


月日が流れ、先ほども出したシュガーティーチャーの放課後で阿部さんを知り、そして本を書いていることを知り、あの時の本だと思い出した。


運命的な2回目の出会い。


先輩の考え方だとあと1回運命的な出会いが必要だ。

でも気が付いたら本を買ってしまっていた。自分は決めたことを守らない男だな。情けない。今回だけは特別処置ということで。




そんなことがあり、読むのが遅い私は70ページほど読み終えた段階で日付またいで今日、講義を受講させていただいた。


とにかく面白かった。そして学ぶことがたくさんあった。        大学の授業がオンラインになり、それと同じような形式の講義だったが、大学のどの授業と比べてもおもしろかった。天と地の差くらい。


講義で学んだことは多かったが、そのなかで一番印象に残っているのが講義の目標であった「言葉の→(やじるし)に気づく」だ。


私なりの考えだが、この→(やじるし)は自分のことを相手に伝えたい気持ちではないかと思う。


中学生の時、いじめる側もいじめられる側も経験した。よくドラマで見る机の落書きだったり、トイレに入っているところに水をかけたりするものではなかった。私がやられ、そして私を含む私たちがやったいじめは無視することだった。

とにかく関わらない。話しかけられても話さない。

私は無視をやってから、無視をされたため無視されていることはすぐに理解ができた。そして無視されている期間もそこまで長くなかったため、そこまで傷を負うことはなく、よく覚えてないが当時は仲良くしてくれて良かった。とでもおもっていたかもしれない。

でも今、言葉とは何か。伝えるとは何か。について考えると言葉を遮断し、そしてさせられ、伝えるという行為を0にしていた、そしてされたことは一番残酷であったのではと今思う。


伝えるという行為を疎外することは一番いけないことなんだ。


長々と書いてきたが、最後にこの講義には外国人の方が一人受講されていた。そして、最後に直接質問もしていた。               正直、日本語は上手ではなかった。それでも一生懸命自分が疑問と思っていることを阿部さんにぶつけていた。

もし、自分が海外に移住し同じような講義があっても果たして受講するだろうか?私はしない。いや、できない。ましてや質問なんぞしようとも思わないし、できないよ。それでもあの外国人の方は自分なりの伝え方で伝えようとした。本当にすごいことだと思う。見習っていきたい。


先ほど最後といいましたが、最後の最後で1つ。最後の最後の最後はありません。

今回受講させていただき、ありがとうございました。         「言葉は時代と呼吸する」と仰っていた通り、今のこのご時世だからこそ言葉を尊重していくべきだなと考えさせられました。中学で学んだことも高校で学んだことも必ず今後に繋げると思っていながら、ほとんど忘れてしまっていますが、必ず今回学んだことは自分の今後にとって財産になることでした。最後に「ありがとうございました」と感謝してくださってとてもうれしかったです。


私なりの今のiloveyouの超訳し方は

「ごめんなさい。そしてありがとう。」

です。今後の自分がどう訳すかはまだわかりませんが、行き詰った時また考えたいです。


寝ます。本を少しだけ読んで。

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