見出し画像

威張らない人生

先日聴いた和田秀樹さんの著作の中に、戦前の日本人は寿命が短かく認知症になって介護を受けるほど長生きする人は少なかった、長生きするような人は裕福で家事を担う使用人がいて、家族が介護を負うようなことは少なかったと言うようなことが書かれているようだった(手元に本がないので聴き覚えなのだ)

仮にそうだとしてその割合はどの程度なのかとか、調べない限りは単なる伝聞であるのを前提として、

先日聴いた『青い壺』の時代設定における登場人物たちは富裕層やその末裔であったり高学歴である。
そもそもが、半世紀以上前に作家になるような人は高い教育を受けていて、大多数の庶民より暮らしぶりは豊かであっただろう。

よく、倹約や清貧などと書かれているが、庶民のどん底と比較対象ではないものに思う。

なぜかよくわからぬが、戦後のサラリーマン家庭は富裕層ではないのにその人たちの暮らしぶりを踏襲しているように思う。

私を含めて多くの人は、それが日本のスタンダードのような認識を知らず知らず持っているのじゃないかと思うことがある。

私の母もよく企業のサラリーマンであった父のことを、縦のものを横にもしない、家事育児を一切しないとこぼしていた。

お手伝いもいないのにそれでは、妻はたまったものではないと思うが、悪玉の(笑)家父長制度が絡んで使用人を雇うほど稼ぎはないが男は威張っていて、持参金もない妻は肩身が狭かったのではなかったかしら。

そうこうするうちに便利な家電が開発されて家事は格段楽になり、日中時間に余裕のできたサラリーマンの妻たちはやりがいを求めて料理や手芸に入れ込む…

私は特養で、半世紀前に編み物を教えていたと言う方と話をしたことがあった。
「当時は家庭の主婦の生徒が100人もいて、おかげでずいぶんあちこち海外旅行に行かせてもらった」そうである。

それが私の親世代かなあ…

でも、私の母は違っていた。ずっとパート勤めをしていた。
それなのに、父は家事育児を一切やらなかったのである。

父が亡くなる前に昔話をしていて、なぜ家事や育児を手伝わなかったのか聞いたことがあった。

毎日働いて帰ってくると疲れちゃってよ…お母ちゃん(母のこと)には悪いと思ったけどよ。

だけどお父さん(自分をそう呼んだ)は、おばあちゃん(父の母親)が子沢山で、百姓仕事も忙しくてあんまりかわいそうだったから、里芋洗って煮たり、掃除や洗濯をやったりしていたんだよ。
だからなんでもできるんだよ。

たぶん父のような男もけっこういたんじゃないかと思う。
皆押し並べて家事ができない、やりたくないわけじゃなかった…
ただ仕事が忙し過ぎたのだ。


高齢者施設は、近頃は男性入所者の比率が高くなっていると聞いた。
例えばワンユニット十名であれば男性は二人だったのが、四人五人と増えてきているのだと言う。

女性の方が寿命が長いから、介助を要する人数も年数も多いはずで、男女比率が半々に近くなるなら男性の割合が多いと言うことになる。

その理由について、
女性は介護を要するようになってもある程度身の回りのことを自分でできる。
だから、同じ程度の介助を要する夫婦がいたら男性の方に入所してもらうことになるらしい。
また、かつては施設に入所させることに抵抗感を持つ人が多かった。

介護サービス相談員を始めたころは、施設を姥捨山と言ったり、騙して連れてこられたなどと嘆きを訴える利用者さんもあった。
今は自らホームページで検索してこられる方もあると言う。

目に見えて減ったなあ…と感じるのは、無闇に威張っているお爺さんである。
長い人生ずっと威張り続けてきたので、高齢になり心身ともに不自由になっても変わらないのだろうと思っていた。

近頃ではそれどころか、洗濯物を干したりたたんだり、塗り絵を楽しんだり歌を歌ったり、陽気でフレンドリーな高齢男性入所者をよく見かけるようになった。

和田秀樹さんも書かれていたように、たとえ大半が苦労の多い不遇な人生だったとしても、最期に笑って楽しく過ごせれば幸福な人生と言えるのではないか…終わり良ければすべて良し。

それには、とにかく威張らないことなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?